結婚(2021年7月3日):オスマン家のヤウズ・セリム皇子殿下とダムラ・イシク嬢

 2021年7月3日、オスマン家のヤウズ・セリム皇子殿下(His Imperial Highness Şehzade Yavuz Selim Osmanoğlu Efendi)とダムラ・イシク嬢(Damla Işık)がイスタンブールで挙式したようです。

 報道の他、父親のオルハン皇子殿下が Instagram に動画を投稿しています。
 オスマン帝国皇帝アブデュルハミト2世の子孫。

 

Türkiye Haberi:
İstanbul’da şehzade düğünü – YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PQBZTzrLgkE

 

 (トルコ語)Sultan II. Abdülhamid Han'ın beşinci kuşaktan torunu Yavuz Selim Osmanoğlu, İstanbul'da evlendi
 (トルコ語)İstanbul’da 'şehzade' düğünü: 2. Abdülhamid'in torunu evlendi

 

Şehzade Orhan Osmanoğlu(@sehzadeorhan) • Instagram写真と動画

 

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Şehzade Orhan Osmanoğlu(@sehzadeorhan) • Instagram写真と動画

 

Şehzade Orhan Osmanoğlu(@sehzadeorhan) • Instagram写真と動画

 

Damla Işık OsmanoğluはInstagramを利用しています:「maşuk🤍」

訃報(2021年4月3日):タウフィーク・アーディル・トゥスン王子殿下(1925~2021)エジプト、ムハンマド・アリー朝/サイード・パシャの玄孫(孫の孫)?

 2021年4月3日、タウフィーク・アーディル・トゥスン王子殿下(His Highness Prince Tewfik Adil Toussoun)が、アメリカ合衆国カリフォルニア州で薨去したようです。
 1925年4月18日生まれの95歳。

 オスマン帝国下でエジプト・スーダン総督を務めた、ムハンマド・アリー朝のサイード・パシャの玄孫(孫の孫)ではないかと思います。

 

 (英語)Prince Toussoun Obituary (2021) – La Quinta, CA – The Desert Sun

インタビュー記事:ロシア帝室ロマノフ家当主/ロシア女大公マリヤ殿下がウクライナに独立正教会を設置しようとしているキリスト教/コンスタンティノープル全地総主教庁を批判「首位性は儀礼的なもの」「あそこはアンティオキア総主教庁から独立したが今は指示を受けたりしない」「自らが独立を認めた教会へ介入する権利はない」(2018年9月)

※この記事はキリスト教 高位聖職者のニュースと重複します。

 

 ロシア帝室ロマノフ家当主/ロシア女大公マリヤ殿下(Head of the Russian Imperial House : Her Imperial Highness The Grand Duchess Maria Wladimirovna of Russia)が、Interfax のインタビューを受けた模様です。
 元が英語なのか、そのロシア語版の翻訳なのかわかりませんが、英語記事がロシア帝室公式サイトに掲載されています。

 

 (英語:ロシア帝室公式サイト)Russian Imperial House – Grand Duchess Maria of Russia: Constantinople’s position will lead to the splintering of the very foundations of Orthodoxy

 

 キリスト教/東方正教会/全地総主教庁(コンスタンティノープル)が、ウクライナの管轄権を持つロシア正教会モスクワ総主教庁の許諾なしに一方的に「ウクライナへの独立正教会設置準備」を始めたことについて聞かれ、それを批判している内容です(「非常に悲しんでいる」というような言葉もありますが)。

 自らは、聖職者でも歴史家でもないため専門家ではないと前置きしつつも、全地総主教庁(コンスタンティノープル)の首位性は儀礼的なものであり実質はないとし、コンスタンティノープルはもともとはアンティオキア総主教庁から独立したが(大昔ですが)その後に指示を受けたりしていないことを例示し(これは微妙です。少なくとも初期の総主教らはアンティオキアに叙任されていたという話もあります。とはいえ現在はもちろんそうではありません)どの教会であれ独立正教会と認めた教会へは介入する権利は持っていないと述べています。

 また、東方正教会の理論としてどうなのかはわかりませんが、「母なる教会」(Mother Church)と「娘である教会」(Daughter Church)は、母が娘の独立を認めたら「姉妹教会」(Sister Church)になる、という表現を用いています(あくまで表現です。この表現は初めて見ましたが……通常は独立を認めても「母なる教会」は「母なる教会」と表現されます)。

 結論として、コンスタンティノープル全地総主教庁の行動は、東方正教会を分裂させるものだ、としています。

 

 全体の話の流れはロシア正教会側の主張とほぼ同じですが、「母なる教会」関連の表現ではさらに踏み込んでおり、これはあるいはロシア正教会モスクワ総主教庁とは立場が違うかもしれません(この理屈であれば、ロシア正教会モスクワ総主教庁が独立を認めた教会側はロシア正教会を「母なる教会」と呼ぶ必要はないことになりますので)。

 

トルコ訪問中:三笠宮家の彬子女王殿下が、イスタンブール海軍博物館を訪問。日本海軍の軍艦「清輝(せいき)」のミニチュアモデル(ものすごく小さい)の展示が開始、殿下がネームプレートに揮毫(?)した模様(2018年9月)

 2018年9月11日、トルコ共和国訪問中の三笠宮家の彬子女王殿下(あきこ : Her Imperial Highness Princess Akiko of Mikasa)は、イスタンブール海軍博物館を訪問したようです。

 同・博物館で、明治維新後初の国産軍艦である日本海軍「清輝(せいき)」小さいモデルが展示開始となり、ネームプレートには殿下が揮毫したようです。

 

 (トルコ語:写真数枚)Japon Prensesi'nden Deniz Müzesine Savaş Gemisi Seiki Maketi – İstanbul Haberleri

 

 なお、上記記事の館長のスピーチにある出来事は年代順では、
 1878年~、清輝がヨーロッパへ(この時、イスタンブールへも)、
 1887年、小松宮殿下(彰仁親王 : あきひと)がオスマン帝国を訪問、
 1890年、エルトゥールル号事件、
 となっています。
 つまり今年が、清輝のイスタンブール訪問140周年のようです。

 

関連:
 (2018年9月)三笠宮家の彬子女王殿下のトルコ共和国訪問関連記事