【更新中】タイ王国のパッチャラキッティヤパー王女殿下(44歳)が心臓発作で入院(2022年12月)意識が戻る可能性は低いとの見方

 タイ王国の王室に関する情報で最も有名なジャーナリスト、アンドルー・マクグレゴール・マーシャル氏(Andrew MacGregor Marshall)が、タイ王国のマハ-・ワチラロンコン・プラワチラクラーオチャオユーフア国王陛下(ラーマ10世王 : His Majesty King Maha Vajiralongkorn Phra Vajiraklaochaoyuhua, The King of Kingdom of Thailand : King Rama X)の44歳の娘、ラーチャサリニーシリパット女公パッチャラキッティヤパー王女殿下(Her Royal Highness Princess Bajrakitiyabha, The Princess Rajasarini Siribajra)が心臓発作で入院し、陛下がヘリコプターで駆け付けたと報じています。
 また、同氏は王女が死亡した可能性を示唆しています。

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離婚(2022年?):ラヒム・アーガー・ハーン公子とサルワ妃(ケンドラ・スピアーズ)が離婚していた模様

 アーガー・ハーン4世殿下(His Highness Aga Khan IV)の長男ラヒム・アーガー・ハーン公子(Prince Rahim Aga Khan)と、サルワ・アーガー・ハーン公子妃(Princess Salwa Aga Khanケンドラ・スピアーズKendra Spears)が離婚していたようです。

 

 (英語)The Aga Khan’s Enduring Struggle in Afghanistan 2022-02-23 | Ismaili.NET – Heritage F.I.E.L.D.

Following his recent divorce from American model Kenda Spears, the Prince maintains a home in Geneva with his two sons, Irfan, 6, and Sinan aged 5.

 離婚の日付は不明ですが、二人の子供、イルファン公子とシナン公女はラヒム公子とジュネーヴで同居しているようです。

 

 アーガー・ハーン4世殿下はイスラム教イスマーイール派(ニザール派)のイマームで、故・英国女王エリザベス2世陛下より「殿下(His Highness)」の敬称を(個人として)受けています。

記事(英語):ナイジェリアで最も強力な王たち トップ10(2022年9月)

 定期的に見かけるタイプの記事ですが、ナイジェリア連邦共和国で最も影響力のある伝統的君主を10人挙げています。

 

 (英語)Most Powerful Kings in Nigeria (With Pictures): Top 10 – Bscholarly

 

 10人は、

1. Alaafin of Oyo
2. Emir of Kano
3. Sultan of Sokoto
4. Ooni of Ile-Ife:
5. Dein of Agbor
6. Oba of Benin
7. Oba of Lagos
8. Obi of Onitsha
9. Olu of Warri
10. Olubadan of Ibadan

 となっており、

  1. オヨ王
  2. カノ首長
  3. ソコトのスルタン
  4. (イレ=)イフェ王
  5. アグボー王
  6. ベニン王
  7. ラゴス王
  8. オニチャ王
  9. ワリ王
  10. イバダン王

 いずれも記事などで動静がよく報じられる人物たちです(オヨ王は2022年4月に崩御し、空位)。

 1.のオヨ王と、4.のイフェ王は、ヨルバ系の二大君主です。歴史的にもあまり仲がよろしくありません。
 7.のラゴス王、10.のイバダン王もヨルバ系なので、このトップ10ではヨルバ系君主が4人ということになります。イバダン王は最近崩御があり、先代王と確執・騒動があった人物が新たに王となっています。

 2.のカノ首長は、北部イスラム圏ではナンバー2の君主です。
 大きな影響力を誇った先々代のアド・バイエロの薨去後、長男のサヌシ・アド・バイエロではなく、ムハンマド・サヌシ2世(ジョナサン大統領(当時)と対立した中央銀行総裁(当時))が政治的なバランスも考慮されて州知事から指名されていました。
 しかし結局、廃位され、アド・バイエロの次男(?)のアミヌ・アド・バイエロ(ビチ首長という新設の首長になっていた)が継承しています。ビチ首長自体は弟のナシル・アド・バイエロが継承。
 また先述のサヌシ・アド・バイエロは首長位につけておらず、弟の即位後に評議会のメンバーに選出されていますが、将来の継承に影響が出るのかどうかはわかりません。

 3.のソコトのスルタンは、北部イスラム圏でナンバー1の権威の君主です。
 ナイジェリアからのマッカ(メッカ)巡礼を率いる役割を毎年のように大統領から打診されていますが、これが伝統なのかどうかはよくわかりません。

 5.のアグボー王は、(Dein of Agbor)という称号を用いますが、州の伝統的君主の評議会がこの称号を取り消して他の君主らと同じようなものにしようとした結果、抗議活動が起こったりするなどの出来事がありました。

 6.ベニン王、8.オニチャ王に比べると、9.ワリ王の知名度は低かったように思いますが、昨年の戴冠式に大統領経験者やイフェ王の訪問があったり、関連してベニン王との歴史的つながりがあらためて示されたりということがありました。

訃報(2022年7月24日):ナイジェリア伝統的君主/イセイン王アブドゥルガニユ・アデクンレ・サラウディーン陛下(アジネゼ・オログネビ1世)が崩御(1956~2022)ヨルバ系君主の崩御続く。オヨ州知事が弔意を表明

 2022年7月24日、ナイジェリア連邦共和国オヨ州の第一級伝統的統治者の一人、イセイン王アブドゥルガニユ・アデクンレ・サラウディーン陛下(アジネゼ・オログネビ1世 : His Royal Majesty Oba Dr. Abdulganiyu Adekunle Salaudeen, Ajinese Ologunebi I, Aseyin of Iseyin)が崩御したようです。
 62歳。

※名前の表記としてアブドゥルとガニユの間をハイフンでつないでいるものや(Abdul-Ganiyu)、サラウディーンの部分の異綴(Salawudeen)、また単にサラウ(Salau)としているものもあります。イスラムの慣習も絡んでいるかもしれませんが……。

 2006年に即位した第28代のイセイン王。今年の2月に死亡説が流れていましたが、王室が否定、ただし闘病が続いていた模様。
 崩御に伴い、オヨ州知事セイ・マキンデ閣下(Seyi Makinde)が弔意を表明しました。

 昨年12月より、オヨ州のヨルバ系君主は、オグボモショ王、イバダン王、そして同州最高権威のオヨ王が崩御しています。

 

TVC News Nigeria:
Oyo State Loses Another Monarch Following Death of Aseyin of Iseyin – YouTube

 

 (英語)Aseyin of Iseyin dies at 62 | Dailytrust
 (英語)Aseyin of Iseyin, Oba Abdul Ganiyy Adekunle Salaudeen Joins Ancestors | National Insight News
 (英語)Another prominent Oyo monarch dies, Makinde mourns – P.M. News
 (英語)Another traditional ruler dies in Oyo
 (英語)Aseyin of Iseyin in Oyo State is dead – Tribune Online
 (英語)Another First Class Yoruba monarch, Aseyin of Iseyin joins ancestors at 62
 (英語)BREAKING: Aseyin of Iseyin Joins His Ancestors – InsideOyo.com
 (英語)Aseyin of Iseyin, Oyo traditional ruler, is dead | TheCable
 (英語)Another top Oyo monarch is dead | Premium Times Nigeria
 (英語)JUST IN: Aseyin of Iseyin joins ancestors The Nation Newspaper
 (英語)Oyo State Lost An Exemplary Oba — Makinde Mourns Aseyin Of Iseyin | Oyo State News

訃報(2021年9月9日?):ナイジェリア伝統的君主/コンタゴラ首長サイドゥ・ナマスカ殿下が薨去(1937~2021)

 ナイジェリア連邦共和国ナイジャ州の伝統的君主の一人、第6代コンタゴラ首長“アルハッジ”・サイドゥ・ナマスカ殿下(His Royal Highness Alhaji Saidu Namaska, Emir of Kontagora【Sarkin Sudan of Kontagora】)が薨去したと報じられています。
 1937年生まれの83歳か84歳。日付までの情報では12月31日生まれとしているものがあり、その場合は83歳です。

 1974年より同首長の地位にあったこと。
 そして、ナイジェリア北部イスラム圏の最大権威であるソコトのスルタンの同族だという情報があります。

 

 (英語)Emir of Kontagora, Saidu Namaska, dies at 84

Vanguard NewspapersさんはTwitterを使っています 「Emir of Kontagora, Saidu Namaska, dies at 84 https://t.co/H6tbZ9GGQN #vanguardnews https://t.co/nWKdVGT8Vb」 / Twitter

 

 (英語)Sarkin Sudan of Kotangora, Saidu Namasaka, dies at 84 – Punch Newspapers

Punch NewspapersさんはTwitterを使っています 「Sarkin Sudan of Kotangora, Saidu Namasaka, dies at 84 – Punch Newspapers https://t.co/oVr1tjxsCW」 / Twitter

 

 (英語)Emir of Kontagora is dead | Dailytrust
 (英語)Buhari mourns Emir of Kontagora – Tribune Online