注意)このページは長い間、ほぼ更新がされていません。また、不確かでない情報を含んでいます。
ここでは1947年に皇籍離脱した11宮家の男子とその男系子孫のうち、生存している人物を中心に、情報が出ている方々を掲載しておきます。
1947年に皇籍離脱した男子とその男系男子で生存中の人物は太字で表記。
記載順番は迷いましたが、最終的に五十音順にしてあります。
戦前の皇位継承順位は、年長系統の男子から順番ではありません。皇籍復帰の検討などの話題も出ていますが、もし復帰があるとして、もし複数の旧宮家からの復帰があるとしたら、順位についても検討されることになるでしょう。
※長男 → 長男 → 長男 …… という形で継承されているケースについて、「旧宮家当主【嫡流当主】」と表記しています。
旧・朝香宮家(あさかのみやけ)
- 故/鈴木冨久子(冨久子女王殿下) (1941年-2009年)
- 朝香誠彦(誠彦王殿下) (1943年生まれ) ※旧宮家当主【嫡流当主】
- 朝香明彦 (1972年生まれ?)
- 朝香美仍子(美仍子女王殿下) (1945年生まれ)
旧・賀陽宮家(かやのみやけ)
- 故/賀陽邦寿(邦寿王殿下) (1922年-1986年) ※邦壽の表記もあり
- 故/賀陽美智子(美智子女王殿下) (1923年-2009年?)
- 故/賀陽治憲(治憲王殿下) (1926年-2011年)
- 故/賀陽章憲(章憲王殿下) (1929年-1944年)
- 賀陽章子?
- 賀陽正憲 (1959年生まれ?)
- 賀陽? (199?年生まれ)
- 賀陽? (199?年生まれ)
- 賀陽文憲(文憲王殿下) (1931年生まれ)
- 賀陽宗憲(宗憲王殿下) (1935年-2017年?)
- 賀陽健憲(健憲王殿下) (1942年-2017年?)
旧・閑院宮家(かんいんのみやけ)
1988年、閑院純仁(春仁王)、薨去。
旧・北白川宮家(きたしらかわのみやけ)
- 故/北白川道久(道久王殿下) (1937年-2018年)
慶子夫人(島津慶子) (1943年生まれ)- 北白川?(長女)
- 北白川?(次女)
- 北白川?(三女)
旧・久邇宮家(くにのみやけ)
- 久邇邦昭(邦昭王殿下) (1929年生まれ) ※旧宮家当主【嫡流当主】
- 久邇朝尊 (1959年生まれ)
神宮(伊勢神宮)大宮司に 久邇朝尊 氏が就任(2022年7月) - 久邇邦晴 (1961年生まれ)
- 久邇晃子 (1963年生まれ)
- 久邇朝尊 (1959年生まれ)
- 久邇朝建(朝建王殿下) (1940年生まれ)
- 久邇朝俊 (1971? 1972? 年生まれ)
- 久邇桂子
- 久邇朝宏(久邇宮朝宏王殿下) (1944年生まれ)
※いずれかの系統に201X年生まれの男系男子ありとのこと
旧・竹田宮家(たけだのみやけ)
※「恒」の字が使われているか「恆」の字が使われているか確認出来ないため、両方書いておきます
- 竹田恒正[恆正](恒正[恆正]王殿下) (1940年生まれ) ※旧宮家当主【嫡流当主】
- 竹田恒貴[恆貴] (1974年? 1975年? 生まれ)
- 竹田浩子 (????年生まれ)
- 竹田素子(素子女王殿下) (1942年生まれ)
- 竹田紀子(紀子女王殿下) (1943年生まれ)
- 竹田恒治[恆治](恒治[恆治]王殿下) (1944年生まれ)
- 竹田恒昭[恆昭] (1979年生まれ)
- 竹田恒智[恆智] (1980年? 1981年? 生まれ)
- 竹田恒和[恆和] (1947年生まれ) ※日本オリンピック委員会【JOC】会長退任決定
- 竹田恒泰[恆泰] (1975年生まれ)
- 竹田恒俊[恆俊] (1978年? 1979年? 生まれ)
- 竹田?(長女)
旧・梨本宮家(なしもとのみやけ)
1951年、梨本守正(守正王)、薨去。
1976年、梨本伊都子(守正王妃伊都子)、薨去。
1985年、長女の広橋規子(規子女王)、薨去。
1989年、次女の李方子(方子女王)、薨去。
故・梨本伊都子(守正王妃伊都子)の養子としていくつか情報が出ていますが……:
?年、梨本儀光(長女広橋規子【規子女王】の息子広橋儀光、後に離縁?)
1966年?、龍田徳彦(1943年に久邇宮家より臣籍降下した徳彦王) (1922年~2007年) と正子(久邇宮家の正子女王)(1926年生まれ) の夫妻
※徳彦と正子夫人は1980年に離婚しているようですが、伊都子は夫人とも養子縁組しているとも。
徳彦と正子夫妻の三子、龍田徳久、龍田豊子、龍田鑑代子(養子縁組前の子供のためか龍田氏)。
徳彦は養子として、皇室と血のつながらない人物(梨本隆夫)を養子として迎えたという情報もありますが、このページの対象ではないので割愛します。
旧・東久邇宮家(ひがしくにのみやけ)
- 故/東久邇盛厚(盛厚王殿下) (1917年-1969年)
故/一番目の妻:東久邇成子(昭和天皇第一皇女・成子内親王殿下) (1925年-1961年)- 故/東久邇信彦(信彦王殿下) (1945年-2019年)
訃報(2019年3月20日):東久邇信彦 氏【旧・東久邇宮家の 信彦王 殿下】、薨去(1945~2019)昭和天皇の初孫- 東久邇征彦 (1973年4月3日生まれ : 1974年生まれとの情報も)※旧宮家当主【嫡流当主】
- 東久邇?? (2010年?生まれ)
- 東久邇?? (2014年?生まれ)
- 東久邇征彦 (1973年4月3日生まれ : 1974年生まれとの情報も)※旧宮家当主【嫡流当主】
- 東久邇文子(文子女王殿下) (1946年生まれ) ※高木代々吉と婚姻
- 東久邇秀彦(壬生基博 : 旧壬生伯爵家へ養子に) (1949年生まれ)
- 壬生基成 (1979年9月22日生まれ)
結婚(2007年?):壬生基成 氏が結婚- 壬生?? (2008年?生まれ)
- 壬生基敦 (1982年5月8日生まれ)
- 壬生?? (2010年?生まれ)
- ? 壬生??
- 壬生基成 (1979年9月22日生まれ)
- 東久邇眞彦【真彦】 (1953年生まれ)
- 東久邇照彦 (1979年5月11日生まれ)
- 東久邇?? (2004年生まれ)
- 東久邇睦彦 (1980年11月13日生まれ)
- 東久邇照彦 (1979年5月11日生まれ)
- 東久邇優子 (1954年生まれ)
故/二番目の妻:東久邇佳子夫人(寺尾佳子) (1927年-2011年)- 東久邇厚彦(寺尾厚彦 : 母方の養子に) (1966年生まれ)
- 東久邇盛彦 (1967年生まれ)
- 故/東久邇信彦(信彦王殿下) (1945年-2019年)
- 故/師正王殿下(1917年-1923年)
- 故/粟田彰常(侯爵 彰常王殿下) (1920年-2006年)
- 粟田彰彦 (1948年生まれ)
- 粟田常一 (1950年生まれ)
- 故/多羅間俊彦(俊彦王殿下) (1929年-2015年) ※ブラジル帰化
- 多羅間稔彦(多羅間アルフレッド稔彦) (?年生まれ) ※ブラジル人
- 東伏見韶淑
- 東伏見慈晃(東伏見守俶 : 青蓮院第49代門主)
- 東伏見光晋(東伏見憲和) (1977年?生まれ)
- (男子)
- 東伏見光晋(東伏見憲和) (1977年?生まれ)
- 東伏見睿淑
- 東伏見禎容 (1981年?生まれ)
- 伏見博明(ふしみ ひろあき : 博明王殿下) (1932年生まれ) ※旧宮家当主【嫡流当主】
夫人:和子- 朗子 (1959年生まれ)
- 宣子 (1961年生まれ)
- 雅子 (1964年生まれ)
旧・東伏見宮家
※邦英王は戦前に臣籍降下しているため、現在の東伏見家は1947年に離脱した旧・十一宮家およびその子孫には含まれません。
1922年、依仁親王、後継者無くして薨去。
1931年、久邇宮家の邦英王が東伏見宮家の祭祀を継承するため臣籍降下し、東伏見邦英に(後の法名:慈洽)。
1947年、依仁親王妃周子殿下、皇籍離脱。東伏見周子に。
1955年、東伏見周子、薨去。
2014年、東伏見慈洽 青蓮院前門主(元・邦英王殿下、元・東伏見邦英伯爵) 遷化(訃報(2014年1月1日):東伏見慈洽 青蓮院前門主(元皇族の邦英王殿下、元華族の 東伏見邦英 伯爵) 遷化(1910~2014))。男系子孫あり。
旧・伏見宮家(ふしみのみやけ)
旧・山階宮家(やましなのみやけ)
1987年、山階武彦(武彦王)、薨去。
※戦前に臣籍降下した家系の子孫あり。