ハプスブルク家当主/オーストリア大公カール殿下がエストニアの音楽祭に臨席(2021年8月)

 ハプスブルク=ロートリンゲン家当主のオーストリア大公カール殿下(オーストリア皇子・ハンガリー王子・ベーメン王子 : His Imperial and Royal Highness Archduke Karl of Austria, Prince Imperial of Austria, Prince Royal of Hungary and Bohemia : カール・ハプスブルク=ロートリンゲンKarl Habsburg-Lothringenカール・フォン・ハプスブルクKarl von Habsburg)が、エストニア共和国の年次の音楽祭「Klaaspärlimäng(英語などでは Glasperlenspiel と表記)」に臨席しているようです。音楽祭というか、展覧などもおこなわれているようですが。

 

 (エストニア語)Täna avati festival Klaaspärlimäng – Eesti Päevaleht
※記事下部の写真では13枚目と29枚目に写っています。

 

 (英語版公式サイト)Glasperlenspiel Festival 2021 | ERP

July 8th at 3 pm, Tartu Town Hall: the round table chaired by His Highness Karl von Habsburg on the topic Protection of Cultural Hertiage in Emergency Situation (by invitations only)

 イベントの項目内に、「緊急時における文化遺産の保護」について語る会合(招待客のみ可)に臨席するとあります。
 名前などの表記は「His Highness Karl von Habsburg(カール・フォン・ハプスブルク殿下)」となっており、称号は無く、殿下の部分もハプスブルク家が用いる格が高くて長い(His Imperial and Royal Highness)ではありません。なかなか不思議な表記に見えます。

ガーナ伝統的君主:アシャンティ王オトゥムフオ・オセイ・トゥトゥ2世陛下に、アトウィマ=クワンウォマ地域の青年団が同地の新しい首長の選出を嘆願(2021年8月)

 ガーナ共和国の伝統的君主/アシャンティ王オトゥムフオ・オセイ・トゥトゥ2世陛下(アシャンティ皇帝 : His Royal Majesty Otumfuo Osei Tutu II, King【Emperor】 of the Ashanti Kingdom【Empire of Ashanti】【Asantehene of Asante】, Kumasehene of Kumasi)に対して、同共和国アシャンティ州アトウィマ=クワンウォマ地域の青年団が、同地の新しい首長の選出を嘆願したようです。

 

 (英語)Kwanwoma youth plead with Asantehene to install Chief for the community | News Ghana

 

 上記記事によりますと、2016年に当時の同地の首長(Odikro : アシャンティのさほど格の高くない首長)ナナ・コフィ・アグイェイ4世Nana Kofi Agyei IV)が薨去したことに伴い、首長は空位に。
 そして、同地の開発は停滞し、何人かの個人(有力者?)や氏族長らが適当に土地を売却した結果、葬儀場や市場がどこの誰とも知らない者の手に渡っていたりする模様。
 また、街灯が少ないため、学生らが武装した強盗の被害にあったりもしているようです(街灯程度でどうなるのかという気もしますが……)。
 ともあれ、アシャンティ王によって新首長が選出されなければもうおしまいだという雰囲気に満ちている記事内容です。

 しかし、そこはガーナ共和国アシャンティ州の一部で、地方自治体のようなものが存在するはずなのですが……。
 国や州に対策を求めず、アシャンティ王に首長の選出を求めるというのも、いったいなんのためのガーナ共和国なのか、と不思議な感を覚えます。

訃報(2021年7月17日):トゥルン・ウント・タクシス公子アルベルト・フリードリヒ殿下、薨去(1930~2021)

 2021年7月17日、トゥルン・ウント・タクシス公子アルベルト・フリードリヒ殿下(His Serene Highness Prince Albert Friedrich of Thurn-Taxis : アルベルト・フリードリヒ・プリンツ・フォン・トゥルン・ウント・タクシスAlbert Friedrich Prinz von Thurn und Taxis)が薨去したようです。
 1930年7月5日生まれの91歳。

 先代のトゥルン・ウント・タクシス公の従弟にあたります。

 

 (ドイツ語)Traueranzeigen von Albert Friedrich von Thurn und Taxis | trauer.merkur.de

訃報(2021年8月6日):サピエハ=ロザンスキ公子ヤン・パヴェウ閣下【ジョン・ポール・サピエハ】が薨去(1935~2021)サピエハ家の最年長系統の男系男子

 2021年8月6日、サピエハ=ロザンスキ公子ヤン・パヴェウ閣下(His Serene Highness Prince Jan Paweł Sapieha-Różański)が薨去した模様です。
 1935年8月26日生まれという情報がこれまで出ているものですが、9月26日という可能性も出ています。

 法律上の名前は、英国に移住した時にジョン・ポール・サピエハJohn Paul Sapieha)となったと見られ、またその後にブラジルに移住したときにどうなっているのかは不明です。ただブラジルのポルトガル語系メディアでもジョン・ポール・サビエハと英語式ファーストネームで表記されており(発音はわかりませんが)、変更はないのではないかと思います。

 同公子はリトアニア=ポーランドの名族サピエハ家の最年長系統の男系男子と思われます。
 2回結婚しており、最初の結婚がロンドンでおこなわれ、マイケルMichael)という男子が英国で生まれています。この人物が今後、最年長系統の男系男子ということになるでしょう。
 また2回目の結婚は、(旧)ブラジル帝室ペトロポリス系統の当主の妹であるオルレアン=ブラガンサ公女クリスティーナ殿下が相手で、女子が二人生まれています。次女のパオラ・マリア・ボルボン・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサ・サピエハ公女閣下(Her Serene Highness Princess Paola【Paolla】 Maria Bourbon de Orleans e Bragança Sapieha)は工業デザイナーやモデルなどの仕事を経験し、同じくポーランドの名族シフャトペウク=チェトヴェルチンスキ公子コンスタンティン閣下(ティンコ・チェトヴェルチンスキ)と結婚したようです。同閣下はベルギー貴族に編入されており、パオラ公女もベルギー貴族ということになるでしょう。

 

 (ポーランド語)Jan Paweł Sapieha, cała Polska, 13.08.2021 – pozostałe

ロシア帝室ロマノフ家継嗣/ロシア大公ゲオルギー殿下とレベッカ・ベッタリーニ嬢の民事婚は9月24日におこなわれる模様(2021年8月)

 2021年8月5日、10月1日に結婚式(宗教婚)が予定されているロシア帝室継嗣のロシア大公ゲオルギー殿下(His Imperial Highness The Heir, Tsesarevich, and Grand Duke George of Russia : プロイセン王子 : Prince of Prussia)とレベッカ・ベッタリーニ嬢(Rebecca Bettarini)は、モスクワ市庁舎にて結婚予告の申請をおこないました。
 9月24日に民事婚がおこなわれるようです。

 

 (英語)Civil Marriage date set for Grand Duke George Mikhailovich and Victoria Romanovna Bettarini — The Russian Legitimist

 

Rebecca Bettarini(@rebecca_bettarini) • Instagram写真と動画