ナイジェリア伝統的君主:アナンブラ州の洪水でウムエリ王の家の一つが沈む。王は防災機関からの水量増加警告に気づかず(2018年10月)王は被災者へのさらなる支援を要請

 ナイジェリア連邦共和国アナンブラ州の、アナンブラ東(地方行政区域)のウムエリ地域では、洪水により大きな被害が発生し、ウムエリ王の家の一つも沈んだそうです。

 

 (英語)Flood Submerges Umueri Traditional Ruler’s Home | Independent Newspapers Nigeria

 

 記事によれば、王は州の防災機関から(なんらかの形で)水量増加に関する警告を受けていたようですが、気付かなかったようです。
 そして、行政の支援に感謝しつつも、さらなる支援が必要だと述べているようです。
 地域の畑などに甚大な被害が出ている模様。

※なぜかどこかで聞いたことがあるような話ですが……。

 

 さて、ここで記事から、この王の名前や称号を見ていきたいと思います。

His Royal Majesty Igwe Sir Bennett Chukwuemeka , Okebo 2 of Umueri

 ……となっています。

 最初の“His Royal Majesty”はすっかりおなじみですが、「陛下」。

 次の“Igwe Sir Bennett Chukwuemeka”ですが、最後の二語「ベネット・チュクウェメカ【チュクエメカ】」は名前でしょうが、“Sir”が気になるところです。英国とはすでに関係ないでしょうが、「勝手につけた称号の類」や「偶然にも同じ表記にするしかない伝統的称号が存在した」という可能性もあります。また、「先頭に“Igwe”があるので名前の一部では?」とも考えられますが、ナイジェリアの歴史上では、英国統治下で“Sir”を受けたイスラム教徒の人物がメッカ巡礼(ハッジ)を果たしている場合、“Alhaji Sir”(アルハッジ・サー)の順番で表記されていることがあります。つまり、“Igwe”が称号や敬称であれば、“Sir”もまたそうである可能性もあります。
 ざっと調べたところ、 Igwe は名前にも姓にも使われますが、王の名前に前置して表記される例もあるようです。ナイジェリアでよくある「Oba」のように使うのだと思いますが、今回はこれでしょうか。

 そして「 , 」のあとの“Okebo 2 of Umueri”。
 この数字の「2」は判断に迷いますが、過去のニュースなどをあたってみた限り、この王がウムエリの二代目の伝統的統治者であることを示しているのだと思います。つまり「第二代ウムエリ王」でいいのではないでしょうか。

 

 ……と、ここまで書いたところで、Google頼みで、たぶんないだろうなと思いつつ公式サイトを探したところ、なんと同地域の公式サイトらしきものを発見(工事中ページが多いですが)。
 しかもサイドバーに王に関する表記があります。
 ……が。

 (英語)Welcome to umueriland.com | www.umueriland.com

His Royal Highness
(Traditional Ruler)

H.R.H Igwe Sir Ben Emeka
Igwe Okebo II of Umueri

 敬称が“His Royal Majesty”ではなく“His Royal Highness”になっています。「陛下」ではなく「殿下」。
 そして、名前の一部かどうかわからなかった“Igwe”が、あきらかに称号の部分にも付いています。

 そしてさらに……

His Majesty
(Traditional Prime Minister)

HRM Mike ekweonu
Onowu Iyasele of Umueri

 伝統的君主の下に伝統的首相の欄があり、その人物には“His Majesty”・HRM(His Royal Majesty の短縮表記)と「陛下」が使われています。
 ……なぜ??

 

 謎が解決せずに、ふくらんだだけですが、とりあえず王の名前だけ見てみましょう。
 記事のほうでは、

Igwe Sir Bennett Chukwuemeka

 となっていましたが、サイトでは、

Igwe Sir Ben Emeka

 となっています。 Ben(ベン)は Bennett(ベネット)の愛称というか略称というかで、Emeka(エメカ)はChukwuemeka(チュクウェメカ)のこれも短いバージョンです。
 したがって同じ人物を示しているのは間違いないのですが、やはり“Sir”の部分についてはわかりません。

 そして Ben または Bennett の部分が Benneth となっている過去の報道もあるようです。

 

英国王室のウェセックス伯爵エドワード王子殿下夫妻がエストニアを訪問、エストニア大統領カリユライド閣下と会見(2018年10月)

 英国王室【イギリス王室】のウェセックス伯爵エドワード王子殿下(Prince Edward : His Royal Highness The Earl of Wessex)とウェセックス伯爵夫人ソフィー妃殿下(Sophie : Her Royal Highness The Countess of Wessex)はエストニア共和国を訪問、エストニア共和国大統領ケルスティ・カリユライド閣下(Her Excellency Ms Kersti Kaljulaid)の出迎えを受けました。

 

The Royal Familyさんのツイート: "Tere Estonia! 🇪🇪🇬🇧 At Kadriorg in Tallinn, The Earl and Countess of Wessex are officially welcomed to Estonia by President Kersti Kaljulaid & Mr Georgi Maksimovski. #RoyalVisitEstonia… https://t.co/aTkPVpDR7k"

 

The Royal Familyさん(@theroyalfamily) • Instagram写真と動画

 

Kersti Kaljulaidさんのツイート: "Greeted HRH Prince Edward and Sophie, Countess of Wessex in Tallinn. Here's to another 100 years of being allies and friends! 🇬🇧🇪🇪 #100YearsOfFriendship #EV100… https://t.co/crLjQlP0eo"

 

Kersti Kaljulaidさんのツイート: "Exchanged gifts more literally than usual – presented the Earl and Countess of Wessex with honey from the rose garden of the Office of the President and also received gifts of honey from the royal residences. 🐝… https://t.co/4mMPE8lpzz"

 

Hindame Eestis, et Ühendkuningriik on… – Kersti Kaljulaid | Facebook

 

エストニア共和国首相ユリ・ラタス閣下と:
Stenbocki maja – Eestis viibivad kolmepäevasel visiidil… | Facebook

 

ナイジェリア伝統的君主:エド州政府によりウェッパ=ウワンノが分割され、ウェッパ=ウワンノ王はウワンノの王になり、ウェッパには新たに君主が立てられた模様(2018年8月)

 (英語)After 70 years of agitation, Edo State government separates Weppa Clan from Uwanno — Sunday Magazine — The Guardian Nigeria Newspaper – Nigeria and World News

 

 2018年8月にナイジェリア連邦共和国エド州政府により、ウェッパ=ウワンノが分割され、ウェッパ=ウワンノ王はウワンノの王になり、ウェッパには新たに君主が立てられた模様です。

 上記リンクの記事は、
 ウワンノ王になってしまった元ウェッパ=ウワンノ王のジョージ・オシアピ・エガボル陛下【オモアゼ1世】(His Royal Majesty, Dr. George Oshiapi Egabor JP OON FNIM, Omoaze I, Okumagbe of Uwanno Kingdom)、
 と、
 ウェッパの首長となったモーゼズ・アクパムカ・エツ殿下(His Royal Highness Moses Akpamuka Etsu, Ogie Eppa of Weppa)
 にインタビューしたもののようです。
※敬称が前者は陛下(His Royal Majesty)、後者は殿下(His Royal Highness)となっていましたので、ウェッパのほうはとりあえず「首長」としました。もしかしたら第一級伝統的統治者ではないのかもしれません(前者にも“Oba”が使用されていないので、分割がおこなわれてもまだ定まっていないことがあるのかもしれません)。

 

 記事によりますと、もともとウェッパ(Weppa)とウワンノ(Uwanno : Wanno)の両部族は部族長というか君主というかを持たなかったようです(詳細な指導体制は不明ですが)。

 1940年代後半に、同地を植民地として統治していた英国が、統治の単純化のために一人の王をウワンノから選びました。これが現在まで続いている(いた)ウェッパ=ウワンノ王(Okumagbe)です。

※記事からはウェッパとウワンノは部族名でもあるようですが、地名でもあるように取れます。ややこしい箇所もあります。

 その後、ウェッパ側が独自に王を立てたいと行動したようですが、二人の王に歳費を払うのが嫌で英国はそうしなかった、と記事(のウェッパの首長のコメント)ではなっています。

 1970年代(ナイジェリア共和政移行後)には、ウェッパ=ウワンノ王とウェッパ側が立てたがっていた王に加え、それぞれの部族から四つの家を追加し、合計六つの家が王の位をローテーションするという、なんだかよくわからないシステムができあがったようです。

 そして、結局、2018年、ウェッパとウワンノは分離したわけですが、ローテーションがどうなったのか、などそのあたりはよくわかりません。

 また、ウェッパのほうにオルウェア家(Olwea family)という、二部族共通の神官的存在がいるようです。
 なぜこの家が王になっていないのかは説明されていませんが、ウェッパのほうが人口が少ないからというのが考えられる理由でしょうか(しかし、それでは“六統迭立”にも入っていなさそうなことは説明できませんが)。

 

 さて、ウワンノ王のほうは、今回の分離は政治的な意図があり、自分はしっかりやってきた、とこれまでの実績を強調しています。
 どうも、陛下への誹謗中傷(なのか本当のことなのかわかりませんが)があったらしく、それを否定。
 そして、ウェッパとウワンノは、年次の祭典を共有するものだという点から、両者が一人の王を奉じることを肯定しています。

 

 一方、ウェッパ首長のほうは、これまでの歴史を振り返っています(歴史に関してはほぼこちらのコメントから)。
 そして、レヴェンティス氏(Mr. Leventis)という企業家(?)の人物に“Igodi of Weppa”という称号を与えて、州政府との交渉に役立ってもらおうとしているようです。

 

英国王室のウィリアム王子殿下がケニアを訪問、ケニア大統領ウフル・ケニヤッタ閣下と会見(2018年9月)

 2018年9月30日、英国王室のケンブリッジ公爵ウィリアム王子殿下(Prince William : His Royal Highness The Duke of Cambridge)はケニア共和国を訪問、ケニア共和国大統領ウフル・ケニヤッタ閣下(His Excellency The Honourable Uhuru Kenyatta CGH)と会見しました。
 野生動物の保護などについて会談したようです。

 

The Royal Family Channel:
Prince William meets Kenya's President Uhuru Kenyatta – YouTube

 

Kensington Palaceさんのツイート: "At @StateHouseKenya in Nairobi, The Duke of Cambridge received a warm welcome from President @UKenyatta 🇰🇪… "

 

Uhuru Kenyattaさんのツイート: "Held talks with Prince William, The Duke of Cambridge, when he called on me at State House. Our discussions mainly focused on wildlife conservation | @KensingtonRoyal #EndWildlifeCrime… https://t.co/jGDO7EaWXJ"
https://twitter.com/UKenyatta/status/1046446416338571265

 

Uhuru Kenyatta – President Kenyatta meets Prince William… | Facebook

 

ルーマニア王室当主/ルーマニア王位守護者マルガレータ陛下夫妻が、フランスのスルツマットを訪問(2018年9月)同自治体公式サイトの敬称表記「Sa Majesté(陛下)」

 2018年9月末、ルーマニア王室当主/ルーマニア王位守護者マルガレータ陛下(Her Majesty Margareta, the Custodian of the Crown of Romania : ルーマニア皇太子マルガレータ殿下 : Her Royal Highness Crown Princess Margareta of Romania)と夫のルーマニア王子ラドゥ殿下(His Royal Highness Prince Radu of Romania)は、第一次世界大戦中にドイツ及びオーストリア=ハンガリーによってフランス(とドイツの係争地方)に収容され死亡したルーマニア兵たちの慰霊のためにフランス共和国のスルツマットとアグノーを訪問しました(うち、アグノーは、同自治体よりの招待と表記されています)。

 2018年9月29日は、スルツマット(ゾウルツマット、ズルツマット)を訪問。
 この地にあった収容所は墓地となっているようです。
 これまでもルーマニア王フェルディナンド1世陛下と王妃マリア陛下(英国王室出身)、旧ルーマニア王ミハイ1世陛下と王妃アナ陛下(ブルボン=パルマ家出身)らなど、ルーマニア王室から訪問がなされています。

 慰霊のための式典には、キリスト教/東方正教会/ルーマニア正教会の西欧・南欧府主教ヨシフ座下(His Eminence Metropolitan JosephIosif】 of Western and Southern Europe)が臨席。

 陛下と殿下は、同コミューン(規模が小さいようですが市としておきます)の市長ジャン=ポール・ディーリンガー閣下(Jean-Paul Diringer)から、スルツマット=ヴィンツフェルデン名誉市民(Citoyens d’Honneur de Soultzmatt-Wintzfelden)の称号を授与されました。
※「ヴィンツフェルデン」というのは同市の中にある地名のようですが、なぜ名誉市民称号に加えられているのかは不明です。

 

 (ルーマニア語:ルーマニア王室公式ニュース配信サイト)În Anul Centenar, Majestatea Sa a devenit cetățean de onoare al localității Soultzmatt | Familia Regală a României / Royal Family of Romania
 (ルーマニア語:ルーマニア王室公式ニュース配信サイト)Ceremonie la cimitirul martirilor români din Primul Război Mondial | Familia Regală a României / Royal Family of Romania

 (ルーマニア語:ルーマニア正教会通信)Majestatea Sa Margareta şi ASR Principele Radu au devenit cetăţeni de onoare ai oraşului Soultzmatt – Basilica.ro
 (ルーマニア語:ルーマニア正教会通信)Familia Regală s-a rugat pentru eroii români înmormântaţi la Soultzmatt – Basilica.ro

 

 現時点ですが、スルツマット市の公式サイトトップページはこうなっています。

 (フランス語)Soultzmatt – Site officiel de la commune

 一方、そこからリンクされているページは、当日の予定のものでした。

 (フランス語)Réception en l'honneur de la Famille Royale de Roumanie le 29 septembre 2018 – Soultzmatt – Site officiel de la commune

Réception en l’honneur de la Famille Royale de Roumanie le 29 septembre 2018
Sa Majesté Margareta de Roumanie, Gardienne de la Couronne, et Son Altesse Royale le Prince Radu seront en visite officielle à Soultzmatt, dans le cadre du Centenaire de la Première Guerre mondiale et de la création de l’État roumain moderne.

 「Sa Majesté Margareta de Roumanie, Gardienne de la Couronne」
 マルガレータ陛下の表記はこうなっています。

 「Sa Majesté」は陛下です。
 「Gardienne(ガルディエンヌ)」は、英語での Guard や Guardian のフランス語(女性形)で、英語の Custodian などに対応するちょうどいい言葉はないのかもしれませんが、これでは王冠を守っている女性警備員と思われるのではないのかという心配が。
※そもそも「Custodian」自体が警備員や清掃員などを連想させるという指摘もありますので、物理的な王冠をイメージさせる「王冠守護者」ではなく、このサイトでは「王位守護者」としています。

 

Familia Regalăさんのツイート: "Vizită regală la Soultzmatt, pentru a onora memoria martirilor români din Primul Război Mondial https://t.co/cPOhSVWAAs… https://t.co/PQplHRiKpV"
https://twitter.com/casamsregelui/status/1046023437322506245

 

Familia Regalăさんのツイート: "Ceremonie la cimitirul martirilor români din Primul Război Mondial https://t.co/bsBLYkJUsk… "
https://twitter.com/casamsregelui/status/1046088906784034817

 

În locul inaugurat de Regele Ferdinand I… – Familia Regala a Romaniei | Facebook

 

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