ナイジェリア伝統的君主:エド州政府によりウェッパ=ウワンノが分割され、ウェッパ=ウワンノ王はウワンノの王になり、ウェッパには新たに君主が立てられた模様(2018年8月)

 (英語)After 70 years of agitation, Edo State government separates Weppa Clan from Uwanno — Sunday Magazine — The Guardian Nigeria Newspaper – Nigeria and World News

 

 2018年8月にナイジェリア連邦共和国エド州政府により、ウェッパ=ウワンノが分割され、ウェッパ=ウワンノ王はウワンノの王になり、ウェッパには新たに君主が立てられた模様です。

 上記リンクの記事は、
 ウワンノ王になってしまった元ウェッパ=ウワンノ王のジョージ・オシアピ・エガボル陛下【オモアゼ1世】(His Royal Majesty, Dr. George Oshiapi Egabor JP OON FNIM, Omoaze I, Okumagbe of Uwanno Kingdom)、
 と、
 ウェッパの首長となったモーゼズ・アクパムカ・エツ殿下(His Royal Highness Moses Akpamuka Etsu, Ogie Eppa of Weppa)
 にインタビューしたもののようです。
※敬称が前者は陛下(His Royal Majesty)、後者は殿下(His Royal Highness)となっていましたので、ウェッパのほうはとりあえず「首長」としました。もしかしたら第一級伝統的統治者ではないのかもしれません(前者にも“Oba”が使用されていないので、分割がおこなわれてもまだ定まっていないことがあるのかもしれません)。

 

 記事によりますと、もともとウェッパ(Weppa)とウワンノ(Uwanno : Wanno)の両部族は部族長というか君主というかを持たなかったようです(詳細な指導体制は不明ですが)。

 1940年代後半に、同地を植民地として統治していた英国が、統治の単純化のために一人の王をウワンノから選びました。これが現在まで続いている(いた)ウェッパ=ウワンノ王(Okumagbe)です。

※記事からはウェッパとウワンノは部族名でもあるようですが、地名でもあるように取れます。ややこしい箇所もあります。

 その後、ウェッパ側が独自に王を立てたいと行動したようですが、二人の王に歳費を払うのが嫌で英国はそうしなかった、と記事(のウェッパの首長のコメント)ではなっています。

 1970年代(ナイジェリア共和政移行後)には、ウェッパ=ウワンノ王とウェッパ側が立てたがっていた王に加え、それぞれの部族から四つの家を追加し、合計六つの家が王の位をローテーションするという、なんだかよくわからないシステムができあがったようです。

 そして、結局、2018年、ウェッパとウワンノは分離したわけですが、ローテーションがどうなったのか、などそのあたりはよくわかりません。

 また、ウェッパのほうにオルウェア家(Olwea family)という、二部族共通の神官的存在がいるようです。
 なぜこの家が王になっていないのかは説明されていませんが、ウェッパのほうが人口が少ないからというのが考えられる理由でしょうか(しかし、それでは“六統迭立”にも入っていなさそうなことは説明できませんが)。

 

 さて、ウワンノ王のほうは、今回の分離は政治的な意図があり、自分はしっかりやってきた、とこれまでの実績を強調しています。
 どうも、陛下への誹謗中傷(なのか本当のことなのかわかりませんが)があったらしく、それを否定。
 そして、ウェッパとウワンノは、年次の祭典を共有するものだという点から、両者が一人の王を奉じることを肯定しています。

 

 一方、ウェッパ首長のほうは、これまでの歴史を振り返っています(歴史に関してはほぼこちらのコメントから)。
 そして、レヴェンティス氏(Mr. Leventis)という企業家(?)の人物に“Igodi of Weppa”という称号を与えて、州政府との交渉に役立ってもらおうとしているようです。