2007年4月9日、プロイセン王子ヴィルヘルム=カール殿下(His Royal Highness Prince Wilhelm-Karl of Prussia : Wilhelm-Karl Prinz von Preußen : ヴィルヘルム=カール・プリンツ・フォン・プロイセン)が薨去された模様です。
1922年1月30日生まれの85歳。
ルター派の聖ヨハネ騎士団ブランデンブルク大管区管長などを務めました。
2007年4月9日、プロイセン王子ヴィルヘルム=カール殿下(His Royal Highness Prince Wilhelm-Karl of Prussia : Wilhelm-Karl Prinz von Preußen : ヴィルヘルム=カール・プリンツ・フォン・プロイセン)が薨去された模様です。
1922年1月30日生まれの85歳。
ルター派の聖ヨハネ騎士団ブランデンブルク大管区管長などを務めました。
バイエルン王女マリア・アナ殿下(バイエルン公女 : Her Royal Highness Duchess Maria Anna in Bavaria, Princess of Bavaria)とクラウス・ルノウ博士(Dr Klaus Runow)が婚約したようです。
マリア・アナ殿下は、バイエルン王子マックス殿下(バイエルン公(in))の五女です。
オーストリア大公カール・クリスティアン殿下(オーストリア皇子/ハンガリー王子/ベーメン王子/ハプスブルク=ロレーヌ公子 : His Imperial and Royal Highness Archduke Carl Christian of Austria, Prince Imperial of Austria and Prince Royal of Hungary and Bohemia, Prince de Habsburg-Lorraine)とエステル・ド・サン=ロマン嬢(Estelle de Saint-Romain)の婚約が発表となったようです。
カール・クリスティアン殿下は1977年生まれの方で、ハプスブルク家の一員で、加えて父親とともにベルギー貴族に編入されています。
2007年3月31日、現・タンザニア連合共和国内の、ウシハ首長デービッド・キダハ・マクワイア(Chief David Kidaha Makwaia)が薨去した模様です。
1922年5月7日生まれの84歳。
1945年にスクマ人(スクマ族)のウシハ首長の地位を継承、50人以上の首長たちから構成されるスクマ人の最高首長となり、タンガニーカ立法会議のアフリカ人の最初の出席者たちの一人となります(立法会議での地位は1958年まで)。
1953年までに東アフリカでもっとも力のある首長の一人となり、タンガニーカ総督“サー”・エドワード・トワイニング(Sir Edward Twining : のちに一代貴族のトワイニング男爵 : 総督任期:1949~1958)とも親交を深め、いくつかの公的な地位を得ています。
1953年の英国女王エリザベス2世陛下の戴冠式の賓客。
1954年に植民地政府で働くために、ウシハ首長の地位を弟フセインに譲る。
この頃、キリスト教のローマ・カトリックに改宗し、デービッドとポウルという名前(洗礼名?)を自分に加え、以後デービッド・キダハ・マクワイアと呼ばれるようになる。
1961年にタンガニーカは独立。彼とも親交のあったジュリウス・ニエレレ首相は首長の社会的指導者の地位を廃止して、彼と弟フセイン首長を遠い地区へ追放した。
2005年に弟のフセイン首長が薨去し、ウシハ首長に復位。子息二人が生存しているようで、ウシハ首長位を継承する可能性あり。
2007年3月26日、ヘッセン世子ハインリヒ・ドナトゥス殿下(Heinrich Donatus : His Royal Highness The Hereditary Prince of Hesse)とヘッセン世子妃フローリア殿下(ファーバー=カステル伯爵女 : Floria : Her Royal Highness The Hereditary Princess of Hesse)の間の第一子・第二子となる双子、長女のヘッセン選帝侯女パウリーナ殿下(Her Highness Princess Paulina of Hesse)と長男のヘッセン選帝侯子モーリッツ殿下(His Highness Prince Moritz of Hesse)が誕生した模様。
モーリッツ殿下は、将来的にヘッセン家当主/ヘッセン選帝侯位継承者/ヘッセン大公位継承者、そしてフィンランド王室当主/フィンランド王位継承者をヘッセンの年長系統が継承しているとする立場からはそれらも継ぐ。