結婚式(2018年10月27日):ナイジェリア伝統的君主イグビデ王の一族の王子が二人の女性と同日に結婚

 2018年10月27日、ナイジェリア連邦共和国デルタ州のイグビデ王エドワード・オブケニ1世陛下(His Royal Majesty Edward Obukeni I, The Ovie Of Igbide)の一族のマンデー・オブケニ王子(Prince Monday Obukeni)が同日に二人の女性と結婚したようです。
 たまにあることのようです。

 

 (英語)Delta Prince set to marry two women same day » Within Nigeria
 (英語)Delta Prince wed two women together in a grand ceremony (photos) » Within Nigeria

The brides identified as Miss Ufuoma Ozoro and Miss Oghale Andrew look happy as they wed traditionally.

 

your village people…さんのツイート: "Delta Prince wed two women together in a grand ceremony (photos) https://t.co/164FCYQ824"

 

Within Nigeria – Delta Prince wed two women together in a… | Facebook

 

企画展「久留里藩の記憶と象徴の行方」に久留里藩主黒田家当主 黒田英志 氏が家臣の子孫らと来館(2018年10月)

 2018年10月10日から12月2日の期間で、千葉県君津市の久留里城址資料館で企画展「久留里藩の記憶と象徴の行方」が開催中です。
 久留里藩主黒田家伝来の甲冑など久留里藩ゆかりの品々が展示されている模様。

 2018年10月20日に、久留里藩主黒田家当主黒田英志氏が家臣の子孫らと来館とのことです。

 

 豪華甲冑150年ぶり里帰り 久留里藩主の威信象徴 現当主「感慨深い」 君津で企画展 | 千葉日報オンライン

里帰りした甲冑は、江戸中期から幕末まで久留里藩を治めた黒田氏の藩祖、黒田直邦(1666~1735年)の時代に作られた「紺絲縅鎧(こんいとおどしよろい)」。新興大名だった黒田氏が威信を示すためにしつらえた家の“象徴”で、大正5(1916)年、靖国神社遊就館に奉納された。

20日には、黒田家の現当主、黒田英志さん(70)=神奈川県鎌倉市=が家臣の子孫らとともに来館。先祖ゆかりの品々をじっくりと見つめた黒田さんは「これほど美しい甲冑が今に残り、地元に戻ってきて感慨深い。皆さんに見てもらえれば」と先祖の歩みに思いをはせた。

 

結婚式(2018年10月29日):高円宮家の絢子女王殿下と守谷慧 氏の結婚式が明治神宮でおこなわれる

 2018年10月29日、高円宮家の絢子女王殿下(あやこ : Her Imperial Highness Princess Ayako of Takamado)と、守谷慧氏(もりや けいKei Moriya)の結婚式がおこなわれました。

 

ANNnewsCH(ANN NEWS):
絢子さま きょう結婚式 守谷慧さん明治神宮へ出発(18/10/29) – YouTube

 

ANNnewsCH(ANN NEWS):
絢子さま 装束姿で 守谷慧さんと結婚式(18/10/29) – YouTube

 

ANNnewsCH(ANN NEWS):
絢子さまと守谷さん 結婚式終え2ショットで会見(18/10/29) – YouTube

 

ANNnewsCH(ANN NEWS):
絢子さま「なんと幸せなこと」 明治神宮で結婚式(18/10/29) – YouTube

 

 絢子さまと守谷慧さんの結婚式 東京 明治神宮 | NHKニュース

結婚式を前に、午前9時半から、守谷さんの使いが絢子さまを迎えにあがる「入第(じゅだい)の儀」がお住まいの高円宮邸で行われました。

絢子さまは、「袿(うちぎ)」に「切袴(きりばかま)」という平安朝ゆかりの装束に、「おすべらかし」と呼ばれる髪型で儀式に臨んだあと、母親の久子さまや姉の承子さまが見守る中、皇室関連の重要な儀式や行事に使われる乗用車に乗り込み、皇宮警察のサイドカーも加わった車列で式場に向かわれました。

午前10時半すぎに明治神宮に到着すると、鳥居の前で出迎えた守谷さんとともに式をあげる神楽殿へと進まれました。

神楽殿の前では、お二人の友人ら40人余りと多くの参拝客が待ち受け、「おめでとうございます」と祝福する声や拍手に対し、絢子さまは、守谷さんと何度もおじぎをしてこたえ式場に入られました。

結婚式は、午前11時半すぎから始まり、久子さまや承子さまをはじめ、守谷さんの父親など、両家の親族33人が参列しました。式は、神式で仲人を立てずに行われ、絢子さまは、「小袿」と「長袴」に着替えて臨まれました。

このあと絢子さまと守谷さんの婚姻届が東京の港区役所に提出され、絢子さまは皇室を離れられます。

 (英語)Japan’s Princess Ayako QUITS royal family to marry commoner declaring she's 'full of joy’ | Royal | News | Express.co.uk

 

追記:
 翌10月30日、皇統譜のうちの皇族譜への登録。

 絢子さん 結婚し皇室離れたことを「皇統譜」に登録 | NHKニュース

29日に大手海運会社に勤務する守谷慧さんと結婚した絢子さんが、皇室を離れたことを皇室の戸籍に当たる「皇統譜」に登録する手続きが、30日、宮内庁で行われました。

「皇統譜」には、天皇皇后について記す「大統譜」と、天皇皇后以外の皇族について記した「皇族譜」があります。

 

追記2:
 翌10月30日の晩餐会に関する記事など。

 守谷絢子さんと夫の慧さんの結婚祝う晩さん会 | NHKニュース

晩さん会は午後6時半前から東京 千代田区のホテルで開かれ、皇太子ご夫妻をはじめ、絢子さんの母親の高円宮妃の久子さまなど10人の皇族方、それに安倍総理大臣ら三権の長や両家の親族など70人が出席しています。

ANNnewsCH(ANN NEWS):
絢子さん、守谷さんの母親ゆかりのドレスで晩餐会(18/10/30) – YouTube

 

首都圏在住会津出身者らによる会津会の総会に、会津松平家第14代当主 松平保久 氏が臨席(2018年10月)

 2018年10月27日、首都圏在住会津出身者らによる会津会の総会に、会津松平家第14代当主松平保久氏(まつだいら もりひさ)が臨席したようです。

 

 歴史の重み再認識 東京・会津会 松平保久さん講演 | 県内ニュース | 福島民報

 首都圏在住の会津出身者らでつくる会津会の総会は二十七日、東京・上野の上野精養軒で開かれた。戊辰戦争から百五十年の節目を迎え、歴史の重みを再認識するとともに、会津の発展に向けて心を一つにした。

 会津松平家第十四代当主の松平保久さん、斎藤勝会津若松市副市長が祝辞を述べた。役員改選で、柳沢会長を再任した。
 松平さんが「それからの会津」と題し、戊辰戦争後の会津の歩みなどについて講演した。

 

誕生(2018年10月28日?):ハムダーン・ビン・ナーセル・ビン・ハマド・アル・ハリーファ。バーレーン王の孫

 バーレーン通信社によりますと、同王国の“トロイカ”である、
 バーレーン王ハマド・ビン・イーサ・アル・ハリーファ陛下(His Majesty Hamad bin Isa Al Khalifa, King of Bahrain)、
 王の叔父のバーレーン王国首相ハリーファ・ビン・サルマーン・アル・ハリーファ王子殿下(His Royal Highness Prime Minister Prince Khalifa bin Salman Al Khalifa)、
 王の長男で継嗣のバーレーン皇太子サルマン・ビン・ハマド・ビン・イーサ・アル・ハリーファ王子殿下(サルマーン皇太子 : His Royal Highness Prince Salman bin Hamad bin Isa Al Khalifa, Crown Prince of Bahrain)が、
 バーレーン王の二人目の妻との間の長男“シャイフ【シェイク】”・ナーセル・ビン・ハマド・アル・ハリーファ殿下(His Highness Shaikh Nasser bin Hamad Al-Khalifa)に、第四子・三男となる子息“シャイフ【シェイク】”・ハムダーン・ビン・ナーセル・ビン・ハマド・アル・ハリーファShaikh Hamdan bin Nasser bin Hamad Al-Khalifa)が誕生したことに対して祝福のメッセージを送っているようです。

 バーレーンの敬称に関してはよくわからないところもあり、現段階でHis Highness(殿下)なのか His Excellency(閣下)なのか、なにもないのか不明です。
※父であるナーセル殿下と同じく王子(Prince)ではありません。バーレーン王国には、王子は皇太子と首相の二人しかいません。

 おそらくバーレーン王位継承順位は第15位。
※なお、バーレーン王は自分の子供のうちから継承者を指名することも可能です。

 誕生したハムダーンの母親ですが、下記リンク先の記事では触れられていないものの、ナーセル殿下の妻でドバイ首長の娘であるシャイハ・ビント・ムハンマド・ビン・ラーシド・アル・マクトゥームShaikha bint Mohammed bin Rashed Al Maktoum)と考えるのが普通ではないかと思います(中東では誕生に際し母親の名前が報じられないことが多々あります)。なお、UAE関連のメディアで今回の誕生を報じたところは現段階では見当たりません。

 

 (英語)HM the King congratulates HH Shaikh Nasser on newborn baby
 (英語)HRH Premier congratulates HH Shaikh Nasser on newborn baby
 (英語)Crown Prince congratulates Shaikh Nasser on newborn baby