ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク公子ルートヴィヒ=フェルディナント殿下が当主グスタフ殿下を提訴した件、第二審は2020年7月の模様(2020年1月)「もはや事実婚は普通の結婚と同等であり、庶民と事実婚した当主は先祖の遺言に背いている」と主張

 ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク公グスタフ殿下(Gustav : His Highness The Prince of Sayn-Wittgenstein-Berleburg : グスタフ・フュルスト・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルクGustav Fürst zu Sayn-Wittgenstein-Berleburg)は、デンマーク王女ベネディクテ殿下の息子、つまりデンマーク女王マルグレーテ2世陛下の甥にあたります。

 このザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク家は、先々代のグスタフ・アルプレヒト殿下が、財産相続に厳しい制限を付けています(第三帝国時代)。
 それは、財産相続人は男子であり結婚相手を「貴族・プロテスタント・アーリア人」に限る、としたものです(ただし、完全に詳細な内容は公開されていないはずです)。
 この条件を満たさない結婚をおこなうと即座に財産の相続権を失い、すでに所有している場合それでも失う、というのがこれまでのドイツの判例からほぼ確実視されています。

 先代のリヒャルト殿下は、結局はデンマーク王女と結婚したので、まったく問題なかったのですが、現当主のグスタフ殿下は、庶民のカリーナ・アクセルソン嬢(Carina Axelsson)との結婚を望んだものの、結婚すると財産を相続できなくなります。そして、それは城というか館というか、自分の家を遠い親戚に渡さなければならないことを意味します。

 これが元々の状況で、これに対し、「アーリア人などを条件に含む元々の遺言はナチス時代のものでおかしい」という見解はありました。しかしそれでもドイツの判例からどうにもならないだろうというのがあり、それで二人は結婚せずに一緒に生活していました。

 ところが、2018年あたりからの報道で、リヒャルト殿下の従弟のザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク公子ルートヴィヒ=フェルディナント殿下が、グスタフ殿下に対し、自分に財産を譲るよう要求しているとの報道がなされます。
 これが、簡単にいえば、「事実婚はもう普通の結婚と同じなのだから、条件を満たさない人物と事実婚をしているあなたは財産の所有権がない(=財産は私のもの)」ということです(ルートヴィヒ=フェルディナント殿下が次の相続人とみられています)。

 第一審は、グスタフ殿下側弁護士にリッペ公室当主/リッペ公シュテファン殿下が立つという展開がありましたが、ともあれグスタフ殿下側が勝訴。
 ルートヴィヒ=フェルディナント殿下は控訴し、第二審は今年【2020年】7月とのことです。

 この問題は、「“アーリア人”を含む遺言は差別ではないか」(ただしこれだけでは遺言を無効にできないだろうとみられている)に「事実婚と普通の結婚を区別するのは差別ではないか」という問題が絡み、これまでのドイツ王室・貴族関連訴訟で最も面倒なものになるのではないかと思われています。
 また、この件が難しいのは、現実の制度を拒否し自分の意思をつらぬく絶対君主政主義者などのめんどうくさい人たちを除けば、いつかわからないがいつかは事実婚と普通の結婚はドイツでも同等に扱われるのではないかという考えは広範囲にあり、仮にそうだとすると、今回の訴訟でグスタフ殿下が勝利しても、遺言が無効化されない限り殿下が生きている間に殿下が財産を所有できなくなる可能性は残るということもあります。

 付言すると、ドイツでは、過去の当主や一族などの子孫のうち、歴代の本拠地となる城と館を所有している人物が当主とみなされるのが一般的です。これは過去の継承権などとは別の問題で、そう思われています。
 なので、ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク公位継承ルールはともかく、敗訴すればグスタフ殿下は廃位された公という社会的にはとてつもなくうれしくない立場になってしまいます。

 あと、グスタフ殿下の母、デンマーク王女ベネディクテ殿下がドイツでの生活をやめて完全にデンマークに戻ることになると、デンマークは王室予算は増やさねばならないのではないかという気もします。

 

 (英語)The (In)Famous Sayn-Wittgenstein-Berleburg Will, Round 3: When There Is An Estate Worth Half a Billion Up For Grabs, That's Apparently Where Cordial Family Relations End

 

訃報(2019年12月20日):アッシュタウン男爵未亡人ドロシー(元プレス公妃)、薨去(1930~2019)

 2019年12月20日、英国のアッシュタウン男爵未亡人ドロシー・メアリー・エリザベス・トレンチDorothy Mary Elizabeth 【Trench】, Baroness Ashtown : 元プレス公妃)が薨去した模様です。
 1930年1月2日生まれの88歳。

 ホッホベルク家のプレス公妃となった後に、英国のアイルランド貴族/故・第7代アッシュタウン男爵ナイジェル・トレンチ閣下と結婚しました。

 

 (英語:情報が閲覧できない場合があります)ASHTOWN – Deaths Announcements – Telegraph Announcements
 (英語)Peerage News: Dorothy, Baroness Ashtown [died 2019]

 

デンマーク女王マルグレーテ2世陛下らが新年【2020年】最初のパーティー(2020年1月)

 デンマーク女王マルグレーテ2世陛下(Margrethe II of Denmark : Her Majesty The Queen)らが新年【2020年】最初のパーティーのために到着する映像です。

 

 下記動画では、陛下の妹/デンマーク王女ベネディクテ殿下(Her Royal Highness Princess Benedikte of Denmark : ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク公妃【未亡人】 : Princess of Sayn-Wittgenstein-Berleburg)が最初に到着。
 続いて陛下の次男/デンマーク王子ヨアキム殿下(モンペザ伯爵 : His Royal Highness Prince Joachim of Denmark, Count of Monpezat)とデンマーク王子妃マリー殿下(モンペザ伯爵夫人 : Her Royal Highness Princess Marie of Denmark, Countess of Monpezat)夫妻。
 その後に、陛下の長男で継嗣のデンマーク皇太子フレデリク殿下(モンペザ伯爵 : Frederik : His Royal Highness The Crown Prince of Denmark, Count of Monpezat)とデンマーク皇太子妃メアリー殿下(モンペザ伯爵夫人 : Mary : Her Royal Highness The Crown Princess of Denmark, Countess of Monpezat)夫妻。
 最後に陛下の到着となっています。 

Det danske kongehus(デンマーク王室公式チャンネル):
Den kongelige familie ankommer til nytårskur- og taffel 2020 – YouTube

 

 パーティーにはその他、デンマーク首相メッテ・フレデリクセン閣下ら政治家や最高裁判所長官、コペンハーゲン市長らが参列したようです。

 

誕生(2019年8月8日):イーゼンブルク公世子フランツ殿下が誕生

 イーゼンブルク公アレクサンダー殿下(Alexander : His Serene Highness The Prince of Isenburg : アレクサンダー・フュルスト・フォン・イーゼンブルクAlexander Fürst von Isenburg)とイーゼンブルク公妃ザーラ殿下(Sarahザーラ・フュルスティン・フォン・イーゼンブルクSarah Fürstin von Isenburg)は、二人の間の第三子・長男(継嗣)となるイーゼンブルク公世子フランツ殿下(His Serene Highness Hereditary Prince Franz of Isenburg : フランツ・エルププリンツ・フォン・イーゼンブルクFranz Erbprinz von Isenburg)の誕生を発表しました。

 

 (ドイツ語:イーゼンブルク公室公式サイト)Freudige Nachricht aus dem Schloss Birstein | Fürstenhaus Isenburg

 

Dr. Sarah IsenburgさんはInstagramを利用しています:「#endlesslove, #baby💙, #franz, #littlefoot」

 

 フルネームはフランツ・サルヴァトール・フェルディナント・ボニファティウス・ヴィルヘルム・マリア・エルププリンツ・フォン・イーゼンブルクFranz Salvator Ferdinand Bonifatius Wilhelm Maria Erbprinz von Isenburg)となるようです。

 

訃報(2019年6月4日?):ヴァルトブルク=ツァイル=ホーエンエムス伯子妃プリシラ殿下、薨去(1934~2019)

 ヴァルトブルク=ツァイル=ホーエンエムス伯子妃プリシラ殿下(シェーンボルン=ヴィーゼントハイト伯女 : Her Illustrious Highness Countess Priscilla of Waldburg-Zeil-Hohenems, Countess of Schönborn-Wiesentheid : プリシラ・グレフィン・ツー・ヴァルトブルク=ツァイル=ホーエネムスPriscilla Gräfin zu Waldburg-Zeil-Hohenemsプリシラ・グレフィン・フォン・シェーンボルン=ヴィーゼントハイトPriscilla Gräfin von Schönborn-Wiesentheid)が薨去した模様です。
 1934年2月5日生まれの85歳。

※下記の一番下の記事ではヴァルトブルク=ツァイル=ルステナウ=ホーエネムスWaldburg-Zeil-Lustenau-Hohenems)と「ルステナウ」が加わっていますが、理由はわかりません。

 

 (ドイツ語)Priscilla Waldburg-Zeil in Hohenems gestorben – vorarlberg.ORF.at
 (ドイツ語)Chronik: Priscilla Waldburg-Zeil beigesetzt – vorarlberg.ORF.at
 (ドイツ語)Priscilla Waldburg-Zeil-Lustenau-Hohenems – Danksagung – VN Todesanzeigen

 

 神聖ローマ帝国領邦国家君主や数々の聖職者を輩出しているシェーンボルン家のシェーンボルン=ヴィーゼントハイト系統の出身で、同じくメディアタイズド・ハウス(シュダンデスヘル)の格であるヴァルトブルク=ツァイル=ホーエネムス家の人物と結婚しました。

 キリスト教/ローマ・カトリック教会のウィーン大司教クリストフ・シェーンボルン枢機卿座下(His Eminence Christoph Cardinal Schönborn, O.P., Archbishop of Vienna)は同族で(結構遠縁ですが)、同枢機卿は記事によれば癌の手術後ということもあって葬儀には参列しなかったようです。
 葬儀の参列者として、
 リヒテンシュタイン公ハンス=アダム2世殿下(Hans-Adam II : His Serene Highness The Prince of Liechtenstein)、
 リヒテンシュタイン公妃マリー殿下(Marie : Her Serene Highness The Princess of Liechtenstein : キンスキー・フォン・ヴヒニッツ・ウント・テッタウ伯爵女マリー : Countess Marie Kinsky of Wchinitz and Tettau)、
 バーデン辺境伯マクシミリアン殿下(マックス : His Royal Highness MaximilianMax】, Margrave of Baden)の名前が挙げられています(ホーエネムス市の市長も参列)。