結婚(2018年8月):ウラッハ公子アンゼルム殿下とクララ・フォン・ケンピス。アンゼルム殿下は、一時期「リトアニア王位継承者」を称していた(今も?)イニゴ殿下の次男

 2018年8月の最終週の週末に、ウラッハ公子アンゼルム殿下(His Serene Highness Prince Anselm of Urach : アンゼルム・フュルスト・フォン・ウラッハAnselm Fürst von Urach)とクララ・フォン・ケンピスClara von Kempis)の結婚式がおこなわれたようです。

 

 アンゼルム殿下の系統は、ヴュルテンベルク王室の貴賤結婚の子孫で、1918年に設立が計画されたリトアニア王国の王に選出されたウラッハ公爵ヴィルヘルム・カール殿下(リトアニア王ミンダウガス2世)の子孫でもあります。
 父、ウラッハ公子イニゴ殿下は、(兄の現・ウラッハ公爵カール・アンゼルム殿下の結婚がリトアニア王室法を満たしていないことを理由に)数年前にリトアニア王位継承者であることを宣言して活動を始めましたが、その後、特に情勢が報じられていないようです。

 

 クララ・フォン・ケンピスのほうですが、詳細な系譜はわかりませんが、フランス併合下の1797年の短期間にケルン市長を務めたマクシミリアン・フォン・ケンピスMaximilian von Kempis)という人物の同族かもしれません。
 いずれにせよ、貴族かどうかも確認できていません。

 

結婚式(2018年8月11日):ニコラス・フライヘル・トイフェル・フォン・ビルケンゼー(再婚?)とミヒャエラ・シュティンゲル。ニコラスは水城のターテンハウゼン城を所有している系統の継嗣

 2018年8月11日、ニコラス・フライヘル・トイフェル・フォン・ビルケンゼーNicolas Freiherr Teuffel von Birkensee)とミヒャエラ・シュティンゲルMichaela Stingel)の結婚式がおこなわれたと報道されています。
※いわゆる入籍はすでにしてあるのかもしれません。

 ニコラスは、ドイツのバイエルンやバーデンの貴族の家であるトイフェル・フォン・ビルケンゼー家の、水城のターテンハウゼン城を所有している系統の継嗣です。
 再婚かもしれません。
 1979年6月17日生まれの39歳。

 ミヒャエラは35歳のようです。

 

 (ドイツ語)Der Bund fürs Leben: Schlosserbe von Tatenhausen hat geheiratet | Haller Kreisblatt – Halle

 

訃報(2018年7月27日):ヴァルデック=ピルモント公子妃インゲボルク殿下、薨去(1932~2018)夫のフリードリヒ=カール殿下薨去から一月余りで

 2018年7月27日、ヴァルデック=ピルモント公子妃インゲボルク殿下(Her Serene Highness Princess Ingeborg of Waldeck and Pyrmont : インゲボルク・ププリンツェッシン・ツー・ヴァルデック・ウント・ピルモントIngeborg Prinzessin zu Waldeck und Pyrmontインゲボルク・フォン・ビーラIngeborg von Biela)が薨去した模様です。
 1932年7月2日生まれの86歳。

 夫のヴァルデック=ピルモント公子フリードリヒ=カール殿下が6月25日に薨去したばかりでした。

 

 (ドイツ語:死亡告知)Anzeige von Ingeborg Prinzessin zu Waldeck und Pyrmont | trauer.wlz-online.de

 

訃報(2018年6月19日):デンマーク王女エリサベト殿下、薨去(1935~2018)

 2018年6月19日、デンマーク王女エリサベト殿下(Her Highness Princess Elisabeth of Denmark)が薨去しました。
 1935年5月8日生まれの83歳。
 薨去時までデンマーク王位継承順位に並んでいました。

 

 (英語:デンマーク王室公式サイト)Princess Elisabeth of Denmark | The Danish Monarchy – Front Page
 (葬儀時の写真数枚:デンマーク語:デンマーク王室公式サイト)Prinsesse Elisabeths bisættelse | Kongehuset

 

 葬儀の参列者には、

  • デンマーク女王マルグレーテ2世陛下(Margrethe II of Denmark : Her Majesty The Queen)
  • デンマーク王女ベネディクテ殿下(Her Royal Highness Princess Benedikte of Denmark : ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク公妃【未亡人】 : Princess of Sayn-Wittgenstein-Berleburg)
  • デンマーク王女/旧ギリシャ王妃アンナ=マリア陛下(Anne-Marie : Her Majesty The Queen of the Hellenes, Princess of Denmark)
  • 兄のローセンボー伯爵インゴルフ閣下(元デンマーク王子 : His Excellency Ingolf, Count of Rosenborg)とローセンボー伯爵夫人スージー・ヒョーホイ閣下(Her Excellency Sussie Hjorhøy, Countess of Rosenborg)

 といった方々の名前が並んでいます。

 

訃報(2018年7月23日):メクレンブルク公子カール・グレゴール殿下、薨去(1933~2018)

 2018年7月23日、メクレンブルク公子カール・グレゴール殿下(His Highness Duke Carl Gregor【Karl Gregor】 of Mecklenburg : カール・グレゴール・ヘルツォーク・ツー・メクレンブルクCarl Gregor Herzog zu Mecklenburg)が薨去した模様です。
 1933年3月14日生まれの85歳。

 

 (英語)News – Death of Duke Carl Gregor | House of Mecklenburg-Strelitz

 (ドイツ語)In Remplin geborener Herzog zu Mecklenburg gestorben – WELT
 (ドイツ語)Nachruf: Mecklenburgischer Prinz in Baden-Württemberg verstorben | Uckermarkkurier.de
 (ドイツ語)Hechingen: Der trommelnde „Jazz-Herzog“ ist tot | Südwest Presse Online
 (ドイツ語)Traueranzeige von Carl Gregor Hetzog zu Mecklenburg | schwaebische.de Trauerportal

 

 メクレンブルク=シュトレーリッツ大公室の貴賤結婚の子孫で、現在この系統が権利を回復して大公室を形成していると見られています。
 が、カール・グレゴール殿下の父ゲオルク・アレクサンダー殿下は、メクレンブルクの称号や敬称は認められたものの大公室の一員としては認められていなかったとする主張もあり(というか大公室の一員として認められたとする根拠が特にない)、その場合メクレンブルク家の男系男子は消滅し、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公位およびメクレンブルク=シュヴェリーン大公位の権利は、ホーエンツォレルン家当主/プロイセン王室当主のゲオルク・フリードリヒ殿下にあるとされることが多いようです。

 また、シュトレーリッツ系統の主張を認めた場合、全メクレンブルクの権利が当主のボルヴィン殿下にあることになりますが、現状ではメクレンブルク=シュヴェリーン系統の家産などはシュヴェリーン系統長系の男系女子メクレンブルク公女ドナータ殿下(Her Highness Duchess Donata of Mecklenburg)が管理しているとみられており、またドナータ殿下は子息にメクレンブルクの家祖またはその父とされている人物の名前を付けるなど、将来子息を当主とする気を隠そうとしていないように見受けられます。