訃報(2018年8月26日):ナイジェリア/クロスリバー州の伝統的君主の一人で、魔女狩りに関わった疑いで逮捕されていたヘンリー・オコング殿下(70歳)が獄中で死亡。拷問や餓死の疑惑。警察は「独房にいること自体が拷問なのでさらに拷問する方法は無い」と疑惑を否定

 2018年8月26日、ナイジェリア連邦共和国クロスリバー州の、ボキ地域のブアンカーの伝統的君主であるヘンリー・オコング殿下(His Royal Highness Henry Okong)が獄中で薨去したとのことです。

 

 (英語)Cross River monarch dies in police custody – Daily Post Nigeria
 (英語)Police not responsible for Cross River monarch's death in custody – Commissioner – Daily Post Nigeria

 

 「Daily Post Nigeria」以外の記事を見かけないので、全部鵜呑みでいきますが、殿下は、「若者を多数呪い殺した」という疑い(?)のかかっていた老婆への「魔女狩り」に関わった罪で逮捕されていた模様。

 警察による拷問や、食事を与えられずに餓死した、という疑惑が発生しています。

 また、殿下が逮捕される前から病気だった30代の子息も死亡しているとのことです。

 故・殿下らの弁護士が警察を批判(そもそも殿下の事件への関わりから否定)する一方、警察は「独房にいること自体が拷問なのでさらに拷問する方法は無い」などと疑惑を完全に否定。検視解剖がおこなわれるようです。

 

結婚(2018年8月):ウラッハ公子アンゼルム殿下とクララ・フォン・ケンピス。アンゼルム殿下は、一時期「リトアニア王位継承者」を称していた(今も?)イニゴ殿下の次男

 2018年8月の最終週の週末に、ウラッハ公子アンゼルム殿下(His Serene Highness Prince Anselm of Urach : アンゼルム・フュルスト・フォン・ウラッハAnselm Fürst von Urach)とクララ・フォン・ケンピスClara von Kempis)の結婚式がおこなわれたようです。

 

 アンゼルム殿下の系統は、ヴュルテンベルク王室の貴賤結婚の子孫で、1918年に設立が計画されたリトアニア王国の王に選出されたウラッハ公爵ヴィルヘルム・カール殿下(リトアニア王ミンダウガス2世)の子孫でもあります。
 父、ウラッハ公子イニゴ殿下は、(兄の現・ウラッハ公爵カール・アンゼルム殿下の結婚がリトアニア王室法を満たしていないことを理由に)数年前にリトアニア王位継承者であることを宣言して活動を始めましたが、その後、特に情勢が報じられていないようです。

 

 クララ・フォン・ケンピスのほうですが、詳細な系譜はわかりませんが、フランス併合下の1797年の短期間にケルン市長を務めたマクシミリアン・フォン・ケンピスMaximilian von Kempis)という人物の同族かもしれません。
 いずれにせよ、貴族かどうかも確認できていません。

 

訃報(2018年8月24日):ポルウォース卿夫人(未亡人)ジーン・ヘップバーン=スコットが卒去(?~2018)

 2018年8月24日、ポルウォース卿夫人(未亡人)ジーン・ヘップバーン・スコットJean Hepburne-Scott)が卒去した模様。90歳。

 英国のスコットランド貴族/故・第10代ポルウォース卿ヘンリー・ヘップバーン=スコット閣下(Henry Hepburne-Scott, 10th Lord Polwarth)の未亡人。

 

 (英語)Peerage News: Jean, Lady Polwarth (died 2018)

 

丹羽霊祠殿【丹羽神社】から戊辰戦争の二本松藩戦死者の霊牌が多数見つかる(2018年8月)丹羽霊祠殿は昨年、丹羽家から二本松市に寄贈とのこと

 二本松藩戦死者の霊牌発見 戊辰戦争、80柱を等しく慰霊:福島民友ニュース:福島民友新聞社 みんゆうNet

 

 福島県二本松市の霞ヶ城公園(二本松藩主丹羽家の居城)にある丹羽霊祠殿(にわれいしでん : 通称:丹羽神社)から、戊辰戦争の二本松藩戦死者の霊牌が多数見つかったそうです。

 戊辰50年の慰霊祭(戊辰殉難士五十年祭?)に合わせたものとみられており、霊牌は全て同じ形だったことから(?)二本松市の担当者は「身分で区別していない」とし、二本松藩主丹羽家第18代当主丹羽長聰氏(にわ ながとし)もコメントしています。

 

 戊辰五十年となると、もう大正ですが……。

 そして、四分の一程度の霊牌が遺族の手に渡らずに残っていた、ということになるわけですが、元の上級武士から農民にいたるまで四分の一の遺族・子孫が慰霊祭に参加していなかったということになるのでしょうか(それとも四分の三も参列したとみるべきか)。

 残されていた霊牌の中に大目付軍監として出陣したらしい上級武士の丹羽舎人という表記の人物がいるようです。
 身分と「丹羽」から藩主と同族かとも思われますが……。

 

金沢の婦人学級と首都圏在住の石川県県人会会員らが加賀前田家の分家が統治した七日市藩のあった群馬県富岡市を訪問。七日市陣屋跡の県立富岡高校では、七日市藩主前田家第15代当主の妻 前田佳子 夫人から歓迎を受けた模様(2018年8月)

 加賀藩ゆかりの群馬・富岡 小立野婦人学級ら訪問:石川:中日新聞(CHUNICHI Web)

 

 2018年8月27日、金沢の婦人学級と首都圏在住の石川県県人会会員らが加賀前田家の分家が統治した七日市藩のあった群馬県富岡市を訪問したようです。
 藩庁であった七日市陣屋跡の県立富岡高校では、七日市藩主前田家第15代当主の妻 前田佳子 夫人から歓迎を受けた模様。

 

 七日市藩は、前田利家まえだ としいえ)の五男前田利孝まえだ としたか)を初代としていますが、大坂の陣の武功による立藩です。

 記事中、

加賀藩の支藩・七日市藩

 とありますが、成立の経緯が武功であることと、所領が遠方であることもあり、支藩であるかどうかは異論が出るケースと思います。
 ただ、本家との関係が深かったのは間違いありません。

※「支藩」という言葉が、結構なものなので仕方ないです。