薨去したデンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】の棺がアマリエンボー宮殿からクリスチャンスボー城の聖堂に移される(2018年2月)

 2018年2月17日、2月13日に薨去した、デンマーク王子ヘンリク殿下(His Royal Highness Prince Henrik of Denmark)の棺が、アマリエンボー宮殿からクリスチャンスボー城の聖堂に移されました。
 デンマーク女王マルグレーテ2世陛下、長男のデンマーク皇太子フレデリク殿下夫妻、次男のデンマーク王子ヨアキム殿下夫妻、および子女の殿下方ら参列したようです。

 

Det danske kongehus(デンマーク王室公式チャンネル):
Overførsel af H.K.H. Prins Henriks båre til Christiansborg Slotskirke – YouTube

Det danske kongehus(デンマーク王室公式チャンネル):
Overførsel af H.K.H. Prins Henriks båre til Christiansborg Slotskirke. – YouTube

 

続報:
 薨去したデンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】を弔問する人々(2018年2月)
 葬儀(2018年2月20日):デンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】の葬儀が執り行われる

ロシアの君主政主義者党党首アントン・バコフ“公”“閣下”が大統領選挙から撤退した理由。「私はロシア連邦と“ロマノフ帝国”の二重国籍なので大統領になれない」。話題作りだったように思えますが完全に失敗しているのでは(2018年1月)

 2018年3月の大統領選挙に、自らの政党「君主政主義者党」から立候補を表明していたアントン・アレクセーヴィチ・バコフ氏(Anton Alexeevich Bakov)ですが、先月(2018年1月)人知れず(?)撤退していた模様。
 撤退理由は、「私はロシア連邦と“ロマノフ帝国”の二重国籍者なので大統領になれない」というもの。
 事情をご存じない方には、このオッサンはなにをいうとるのか、という話ですが、以下、なるべく簡潔に説明します。
 ちなみにこの人。ロシア連邦は国として出場できなくなったオリンピックには、ロシア帝国の旗などをつかえ!、と主張していました。

 さて。このバコフ氏は、金持ちの変人なのですが、なぜかロシア帝国を復興するためにロマノフ王朝の後継者を擁立しようと考えました。
 そこで、白羽の矢が立てられた一人が、ロマノフ家当主ロシア女大公マリヤ殿下なのですが、マリヤ殿下には婉曲に断られます。
 ここでとっととあきらめればいいのですが、なぜかさらに突き進み、ロシア帝室の厳しい同等身分結婚をマリヤ殿下もその他の男系子孫も満たしておらず、その条件を満たすロシア帝位継承者はロマノフ家女系子孫のライニンゲン家直系だ、といいだしました。補足しますと、この考え自体は(あくまで仮定としてですが)たまにそういう意見を表明する人がいたことはいます(現実的にいうとゲフンゲフンもいいところですが)。
 そしてライニンゲン男系直系のライニンゲン公子カール・エミッヒ殿下(His Serene Highness Prince Karl Emich of Leiningen)をキリスト教のルター派から東方正教会の信徒に改宗(洗礼名ニコライ・キリロヴィチ)させて皇帝候補として担ぎます。これが“ロシア皇帝ニコライ3世”です。ちなみにカール・エミッヒ殿下は、二度目の結婚が貴賤結婚とされてライニンゲンの跡継ぎからはずされてしまった人です。

 いっぽう、バコフ氏は、どこぞの貧乏な国からそこそこのサイズの島を買い取って、その島を独立国としてその貧乏な国に認めさせようという金の力で独立国を作るという計画を発動します。
 当初、この“国”は、まんま“ロシア帝国”と呼ばれていましたが、その後“帝座”と名称を変更します。概念的にもローマ教皇聖座を意識したものへ変更をしようとしますが、ムチャやん……。
 そして、南太平洋のキリバス共和国に狙いが定められ、政治家の中にも乗り気になる愉快な人も出たのですが、専門家からの否定的な声などもあり、結局破談となります。
 その後、アフリカ西部のガンビア共和国が狙われ、バコフ氏とガンビアの間で協定が交わされます。率直な話、この協定の内容は独立国うんぬんとは到底呼べないようなものだと思うのですが、「その一歩だ!」といわれればさようですかというほかありません。
 ここでなぜか名前が“ロマノフ帝国”になります。
 ともあれ、バコフ氏は、“ニコライ3世”から与えられた称号などを含め、大法官アントン・バコフ公殿下(His Serene Highness Prince Anton Bakov, The Archchancellor of Romanov Empire)と名乗っていたのですが、ロマノフ帝国では単に首相になったりといろいろ忙しいですが、ともあれ本人の脳内ではすでに帝国は成立しているようです。脳外ではリゾート地としての整備が始まっているだけのようですが。ただリゾート地としての整備は本格的なものを目指しているとの分析もあり、いったいこの人はなにがしたいのかハテナマークが頭に浮かぶばかりです。

 そしてロシア大統領選挙の話に戻りますが、以上の状況からすると、最初から「“ロマノフ帝国”との二重国籍だから無理だったわ」といって“ロマノフ帝国”の宣伝をおこなうだけのつもりだったのではないか、という気がします。

 

 (ロシア語)Лидер Монархической партии заявил, что снимается с выборов – Политика – ТАСС

葬儀予定(2018年2月20日):薨去したデンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】の葬儀は近親・友人らのみの参列する小規模なものに。火葬をおこない、遺灰の半分をデンマークの海に、残りをフレデンスボー城に埋葬するのが本人の希望。まだ埋葬に関する正式発表はない模様

 2月13日に薨去した、デンマーク王子ヘンリク殿下(His Royal Highness Prince Henrik of Denmark)の葬儀は、2月20日におこなわれる模様。

 近親・友人らのみの参列する小規模なものになるとのこと。

 火葬をおこない、遺灰の半分をデンマークの海に、残りをフレデンスボー城に埋葬するのが本人の希望。まだ埋葬に関する正式発表はない模様です。
 生前、妻のデンマーク女王マルグレーテ2世陛下の隣に埋葬されたくないとの発言で物議を醸しだしましたが、今回の本人の要望をデンマーク王室がすでに承認しているのかどうかはわかりません。

 

追記:
 棺がフレデンスボー城からアマリエンボー宮殿に移されました。
Det danske kongehus(デンマーク王室公式チャンネル):
H.K.H. Prins Henriks båre overføres fra Fredensborg Slot til Amalienborg – YouTube

 

続報:
 薨去したデンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】の棺がアマリエンボー宮殿からクリスチャンスボー城の聖堂に移される(2018年2月)
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 葬儀(2018年2月20日):デンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】の葬儀が執り行われる

訃報(2018年2月13日):デンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】、薨去(1943~2018)妻のデンマーク女王マルグレーテ2世陛下と息子の二王子らがフレデンスボー城にて最期を看取る

 2018年2月13日23時18分(現地時間)、デンマーク王子ヘンリク殿下(His Royal Highness Prince Henrik of Denmark)は、フレデンスボー城にて薨去しました。

 妻のデンマーク女王マルグレーテ2世陛下、長男のデンマーク皇太子フレデリク殿下、次男のデンマーク王子ヨアキム殿下らが最期を看取ったようです。

 

 (デンマーク語:デンマーク王室公式サイト)Hans Kongelige Højhed Prins Henrik afgået ved døden | Kongehuset

 

追記1:
 英語版ページにも記事が出ました。
 (英語:デンマーク王室公式サイト)Death of HRH Prince Henrik | The Danish Monarchy – Front Page

His Royal Highness Prince Henrik died peacefully in his sleep Tuesday 13 February at 11.18pm, at Fredensborg Palace.

Her Majesty the Queen and the two sons were at his side.

 

Det danske kongehus(デンマーク王室公式チャンネル):
Sørgesalut – YouTube

 

Det danske kongehus(デンマーク王室公式チャンネル):
Blomster – YouTube

 

続報:
 葬儀予定(2018年2月20日):薨去したデンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】の葬儀は近親・友人らのみの参列する小規模なものに。火葬をおこない、遺灰の半分をデンマークの海に、残りをフレデンスボー城に埋葬するのが本人の希望。まだ埋葬に関する正式発表はない模様
 薨去したデンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】の棺がアマリエンボー宮殿からクリスチャンスボー城の聖堂に移される(2018年2月)
 薨去したデンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】を弔問する人々(2018年2月)
 葬儀(2018年2月20日):デンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】の葬儀が執り行われる

デンマーク女王マルグレーテ2世陛下の夫ヘンリク王子殿下【ヘンリック王配】の容態が極めて悪い模様。長男のフレデリク皇太子殿下は五輪臨席を取りやめ帰国(2018年2月)

 デンマーク女王マルグレーテ2世陛下(Margrethe II of Denmark : Her Majesty The Queen)の夫、デンマーク王子ヘンリク殿下(ヘンリック王配 : His Royal Highness Prince Henrik of Denmark)の容態が極めて悪化しているようです。
 長男のデンマーク皇太子フレデリク殿下(モンペザ伯爵 : Frederik : His Royal Highness The Crown Prince of Denmark, Count of Monpezat)は、大韓民国での五輪・パラリンピック臨席を取りやめ、帰路についた模様。

 

 (デンマーク語:デンマーク王室公式サイト)H.K.H. Prins Henriks tilstand forværret | Kongehuset

 

追記:
 デンマーク皇太子妃メアリー殿下と、両殿下の第一子クリスチャン王子殿下および第二子イサベラ王女殿下がデンマーク国立病院に到着して数時間とのこと。

 

追記2:
 ヘンリク殿下の弟エティエンヌ・ド・ラボルド・ド・モンペザ氏(Étienne de Laborde de Monpezat)は、まだ情報を待っているところで、(フランスにいて)デンマークに向かっていないとのことです。

 

追記3:
 マルグレーテ2世陛下とヘンリク殿下の次男ヨアキム王子殿下が、長男・次男のニコライ王子殿下とフェリックス王子殿下とともにデンマーク国立病院に到着した模様。

 

続報:
 訃報(2018年2月13日):デンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】、薨去(1943~2018)妻のデンマーク女王マルグレーテ2世陛下と息子の二王子らがフレデンスボー城にて最期を看取る