スペイン王妃ソフィア陛下、英国女王エリザベス2世陛下即位60周年記念昼食会出席を取りやめに。ジブラルタル問題が影響か(2012年5月)

 英国女王エリザベス2世陛下の即位60周年記念昼食会に出席予定だったスペイン王妃ソフィア陛下が、出席を取りやめるとのこと。
 ジブラルタル問題が影響しているとの報道が出ています。

 

 女王陛下の次男、ウェセックス伯爵エドワード王子殿下がジブラルタルを訪問する予定があり、それが影響しているとの報道があります。

 

ダイヤモンド「ボー・サンシー」、約7.7億円で落札。サザビーズ担当者にはヴュルテンベルク公子フィリップ殿下の姿も(2012年5月)

 ダイヤモンド「ボー・サンシー」が約7.7億円で落札されたそうです(旧プロイセン王室のホーエンツォレルン家が出品とのこと)。

 サザビーズ担当者にはヴュルテンベルク公子フィリップ殿下(His Royal Highness Duke Philipp of Württemberg : フィリップ・ヘルツォーク・フォン・ヴュルテンベルク)の姿もありました。
 フィリップ殿下は、ヴュルテンベルク王位継承者のヴュルテンベルク公カール殿下の三男です。

BBCの映像より:
ヴュルテンベルク公子フィリップ殿下

 

記事&映像:
 (英語)BBC News – One of world's oldest diamonds sells for $10m
 (英語)'Royal' diamond Beau Sancy sells for $9.7m – BBC News

記事:
34.98カラットのダイヤモンド、5月に競売へ 落札価格は数億円か 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
35カラットの歴史的ダイヤ「ボーサンシー」、7億7000万円で落札 スイス 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
フィリップ殿下のコメント部分:

サザビーズ・ヨーロッパのフィリップ・ヘルツォク・フォン・ビュルテンベルク(Philipp Herzog von Wuerttemberg)会長は競売終了後、「あなたが購入するのは単なるダイヤではなく、歴史的芸術品なのです」と語った。

 ボーサンシーを初めて購入した王族は、フランス国王のアンリ4世(Henry IV)。マリー・ド・メディシス(Marie de Medici)王妃にせがまれて1604年に購入し、1610年の戴冠式では王妃の冠にも使用された。

 ボーサンシーは17世紀半ばにオランダに渡り、オラニエ公ウィレム2世(Willem II of Orange Nassau)とイングランド王チャールズ1世(Charles I of England)の娘メアリー・スチュアート(Mary Stuart)の結婚の際に使われた。メアリー・スチュアートは後に、王位を狙う兄のチャールズ2世(Charles II)への支援金を工面するためにこのダイヤを手放した。

 その後1702年に初代プロイセン王がその王冠の最高の位置にボーサンシーを付けて以来、このダイヤはプロイセン王家で代々受け継がれてきた。

 

映像(ROME REPORTS):現在も統治を続けるヨーロッパの王室のキリスト教の宗派(2011年9月)

 ROME REPORTSに、現在も統治を続ける欧州の王室のキリスト教の宗派を紹介する短い映像があったので貼り付けておきます。

 

ROME REPORTS in English:
Royal families and their religion – YouTube

 

 ローマ・カトリック教会:
 スペイン王室
 ベルギー王室
 ルクセンブルク大公室
 モナコ公室
 リヒテンシュタイン公室

 ルター派(ルーテル派):
 ノルウェー王室
 デンマーク王室
 スウェーデン王室
 オランダ王室(オランダ・プロテスタント教会は他の教派も合流したもの)

 英国国教会(イングランド国教会):
 英国王室

 

訃報(2007年3月31日):ウシハ首長デービッド・キダハ・マクワイア、薨去(1922~2007)

 2007年3月31日、現・タンザニア連合共和国内の、ウシハ首長デービッド・キダハ・マクワイア(Chief David Kidaha Makwaia)が薨去した模様です。
 1922年5月7日生まれの84歳。

 1945年にスクマ人(スクマ族)のウシハ首長の地位を継承、50人以上の首長たちから構成されるスクマ人の最高首長となり、タンガニーカ立法会議のアフリカ人の最初の出席者たちの一人となります(立法会議での地位は1958年まで)。
 1953年までに東アフリカでもっとも力のある首長の一人となり、タンガニーカ総督“サー”・エドワード・トワイニング(Sir Edward Twining : のちに一代貴族のトワイニング男爵 : 総督任期:1949~1958)とも親交を深め、いくつかの公的な地位を得ています。
 1953年の英国女王エリザベス2世陛下の戴冠式の賓客。
 1954年に植民地政府で働くために、ウシハ首長の地位を弟フセインに譲る。
 この頃、キリスト教のローマ・カトリックに改宗し、デービッドとポウルという名前(洗礼名?)を自分に加え、以後デービッド・キダハ・マクワイアと呼ばれるようになる。
 1961年にタンガニーカは独立。彼とも親交のあったジュリウス・ニエレレ首相は首長の社会的指導者の地位を廃止して、彼と弟フセイン首長を遠い地区へ追放した。
 2005年に弟のフセイン首長が薨去し、ウシハ首長に復位。子息二人が生存しているようで、ウシハ首長位を継承する可能性あり。

 

懐妊(2007年3月):ニコラス・ウィンザー卿夫人パオラ、懐妊

 ニコラス・ウィンザー卿(Lord Nicholas Windsor)の妻パオラ夫人(Paola : Lady Nicholas Windsor)が懐妊しているそうです。

 ニコラス・ウィンザー卿は、ケント公爵エドワード王子殿下(イギリス女王エリザベス2世陛下の従弟)の次男で、1917年の勅令が決定している王子の範囲に入らないため公爵の継嗣以外の子供の扱い、つまり「卿(Lord)」となっています。

 ニコラス・ウィンザー卿はカトリック教徒のため、イギリス王位継承順位には並んでおらず、生まれてくる子供もカトリックの洗礼を受ければ継承順位には並びません。