2012年5月10日のルーマニア王室の園遊会の映像です。
CasaRegalaaRomaniei(ルーマニア王室公式チャンネル):
Antena3 – Casa Regala sarbatoreste astazi Ziua Regalitatii – YouTube
2012年5月10日のルーマニア王室の園遊会の映像です。
CasaRegalaaRomaniei(ルーマニア王室公式チャンネル):
Antena3 – Casa Regala sarbatoreste astazi Ziua Regalitatii – YouTube
ROME REPORTSに、現在も統治を続ける欧州の王室のキリスト教の宗派を紹介する短い映像があったので貼り付けておきます。
ROME REPORTS in English:
Royal families and their religion – YouTube
ローマ・カトリック教会:
スペイン王室
ベルギー王室
ルクセンブルク大公室
モナコ公室
リヒテンシュタイン公室
ルター派(ルーテル派):
ノルウェー王室
デンマーク王室
スウェーデン王室
オランダ王室(オランダ・プロテスタント教会は他の教派も合流したもの)
英国国教会(イングランド国教会):
英国王室
2007年4月10日、オランダ王女アリアーネ殿下(オランニェ=ナッサウ公女 : Her Royal Highness Princess Ariane of the Netherlands, Princess of Orange-Nassau)が誕生した模様です。
オランニェ公ウィレム=アレクサンダー殿下とマクシマ妃殿下の第三子・三女。
現時点で、父と姉二人に次いで、オランダ王位継承順位第4位となります。
バイエルン王女マリア・アナ殿下(バイエルン公女 : Her Royal Highness Duchess Maria Anna in Bavaria, Princess of Bavaria)とクラウス・ルノウ博士(Dr Klaus Runow)が婚約したようです。
マリア・アナ殿下は、バイエルン王子マックス殿下(バイエルン公(in))の五女です。
2007年3月31日、現・タンザニア連合共和国内の、ウシハ首長デービッド・キダハ・マクワイア(Chief David Kidaha Makwaia)が薨去した模様です。
1922年5月7日生まれの84歳。
1945年にスクマ人(スクマ族)のウシハ首長の地位を継承、50人以上の首長たちから構成されるスクマ人の最高首長となり、タンガニーカ立法会議のアフリカ人の最初の出席者たちの一人となります(立法会議での地位は1958年まで)。
1953年までに東アフリカでもっとも力のある首長の一人となり、タンガニーカ総督“サー”・エドワード・トワイニング(Sir Edward Twining : のちに一代貴族のトワイニング男爵 : 総督任期:1949~1958)とも親交を深め、いくつかの公的な地位を得ています。
1953年の英国女王エリザベス2世陛下の戴冠式の賓客。
1954年に植民地政府で働くために、ウシハ首長の地位を弟フセインに譲る。
この頃、キリスト教のローマ・カトリックに改宗し、デービッドとポウルという名前(洗礼名?)を自分に加え、以後デービッド・キダハ・マクワイアと呼ばれるようになる。
1961年にタンガニーカは独立。彼とも親交のあったジュリウス・ニエレレ首相は首長の社会的指導者の地位を廃止して、彼と弟フセイン首長を遠い地区へ追放した。
2005年に弟のフセイン首長が薨去し、ウシハ首長に復位。子息二人が生存しているようで、ウシハ首長位を継承する可能性あり。