訃報(2021年8月18日):オーストリア大公女マリア・マグダレーナ殿下が薨去(1939~2021)トスカナ大公室系ハプスブルク家、母はルーマニア王女

 オーストリア大公女マリア・マグダレーナ殿下(“マギー”【Magi】 : オーストリア皇女 : ハンガリー王女 : ベーメン王女 : トスカナ大公女 : Her Imperial and Royal Highness Archduke Maria Magdalena of Austria, Princess Imperial of Austria, Princess Royal of Hungary and Bohemia, Princess of Tuscany : マリア・マグダレーナ・フライフラウ・フォン・ホルツハウゼンMaria Magdalena Freifrau von Holzhausen)が薨去したとルーマニア王室が発表しました(日付不明)
 1939年10月2日生まれの81歳、になるでしょう。
追記:
 SN.at に死亡告知が出ました。それによると、8月18日薨去ということになります。
Trauer: Maria Magdalena Holzhausen | SN.at

Maria Magdalena Holzhausen (81)
† 18. August 2021, Salzburg

 トスカナ大公室系ハプスブルク=ロートリンゲン家の一員で、同家の故アントン大公殿下と大公妃の故・ルーマニア王女イレアナ殿下の娘の一人です。
 母方のつながりから、ルーマニア王室とのつながりが深く、ルーマニア王室の発表を引用する形でルーマニアのメディアが訃報を出しています。

 

 (ルーマニア語:ルーマニア王室 公式ニュース配信サイト)Arhiducesa Maria Magdalena a Austriei, In Memoriam | Familia Regală a României / Royal Family of Romania

Familia RegalăさんはTwitterを使っています 「The Romanian Royal Family learned with great sadness the news of the passing of Her Imperial and Royal Highness Archduchess Maria Magdalene of Austria, daughter of Princess Ileana of Romania and Archduke Anton of Austria. https://t.co/G9L8CnJ09w https://t.co/otKHxucehH」 / Twitter
https://twitter.com/casamsregelui/status/1427900631554138113

Familia Regală a României (@familiaregalaaromaniei) • Instagram photos and videos

 

 (ルーマニア語)A murit fiica Principesei Ileana a României, Arhiducesa Maria Magdalena a Austriei
 (ルーマニア語)Doliu în Familia Regală a României. Arhiducesa Maria Magdalena a Austriei a încetat din viață – Evenimentul Zilei
 (ルーマニア語)Familia regală anunță decesul arhiducesei Maria Magdalena, nepoata Regelui Ferdinand și a Reginei Maria | Digi24
 (ルーマニア語)A MURIT Arhiducesa Maria Magdalena a Austriei, fiica Principesei Ileana a României | DCNews

結婚式(2021年8月14日):ベネディクト・フォン・ドーデラー氏とエリザベート・フォン・ブラウヒッチュ嬢。小説家ハイミート・フォン・ドーデラーの従弟の孫とヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ陸軍元帥の曾孫か

 2021年8月14日、ベネディクト・フォン・ドーデラー氏(Benedikt von Doderer)とエリザベート・フォン・ブラウヒッチュ嬢(Elisabeth von Brauchitsch)の結婚式がおこなわれました。
 民事婚はすでに前におこなわれているようです。

 ベネディクト・フォン・ドーデラー氏は、小説家ハイミート・フォン・ドーデラーHeimito von Doderer)の従弟の孫で、
 エリザベート・フォン・ブラウヒッチュ嬢は、ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ陸軍元帥(Walther von Brauchitsch)の曾孫ではないかということです。
 もっとも、どちらも知名度のある人物のある程度の近親とはいえ、 BUNTE が記事にする理由はよくわかりませんが……。
 参列者情報が確定したら追記するかもしれませんが、今のところしっかりしたものが見当たりません。

 

 (ドイツ語)Benedikt von Doderer & Elisabeth von Brauchitsch: Traumhafte Adelshochzeit | BUNTE.de

BUNTE OnlineさんはTwitterを使っています 「Benedikt von Doderer & Elisabeth von Brauchitsch Traumhafte Adelshochzeit! https://t.co/uiptDe8Wsi」 / Twitter

ハプスブルク家当主/オーストリア大公カール殿下がエストニアの音楽祭に臨席(2021年8月)

 ハプスブルク=ロートリンゲン家当主のオーストリア大公カール殿下(オーストリア皇子・ハンガリー王子・ベーメン王子 : His Imperial and Royal Highness Archduke Karl of Austria, Prince Imperial of Austria, Prince Royal of Hungary and Bohemia : カール・ハプスブルク=ロートリンゲンKarl Habsburg-Lothringenカール・フォン・ハプスブルクKarl von Habsburg)が、エストニア共和国の年次の音楽祭「Klaaspärlimäng(英語などでは Glasperlenspiel と表記)」に臨席しているようです。音楽祭というか、展覧などもおこなわれているようですが。

 

 (エストニア語)Täna avati festival Klaaspärlimäng – Eesti Päevaleht
※記事下部の写真では13枚目と29枚目に写っています。

 

 (英語版公式サイト)Glasperlenspiel Festival 2021 | ERP

July 8th at 3 pm, Tartu Town Hall: the round table chaired by His Highness Karl von Habsburg on the topic Protection of Cultural Hertiage in Emergency Situation (by invitations only)

 イベントの項目内に、「緊急時における文化遺産の保護」について語る会合(招待客のみ可)に臨席するとあります。
 名前などの表記は「His Highness Karl von Habsburg(カール・フォン・ハプスブルク殿下)」となっており、称号は無く、殿下の部分もハプスブルク家が用いる格が高くて長い(His Imperial and Royal Highness)ではありません。なかなか不思議な表記に見えます。

訃報(2021年7月17日):トゥルン・ウント・タクシス公子アルベルト・フリードリヒ殿下、薨去(1930~2021)

 2021年7月17日、トゥルン・ウント・タクシス公子アルベルト・フリードリヒ殿下(His Serene Highness Prince Albert Friedrich of Thurn-Taxis : アルベルト・フリードリヒ・プリンツ・フォン・トゥルン・ウント・タクシスAlbert Friedrich Prinz von Thurn und Taxis)が薨去したようです。
 1930年7月5日生まれの91歳。

 先代のトゥルン・ウント・タクシス公の従弟にあたります。

 

 (ドイツ語)Traueranzeigen von Albert Friedrich von Thurn und Taxis | trauer.merkur.de

訃報(2021年8月6日):サピエハ=ロザンスキ公子ヤン・パヴェウ閣下【ジョン・ポール・サピエハ】が薨去(1935~2021)サピエハ家の最年長系統の男系男子

 2021年8月6日、サピエハ=ロザンスキ公子ヤン・パヴェウ閣下(His Serene Highness Prince Jan Paweł Sapieha-Różański)が薨去した模様です。
 1935年8月26日生まれという情報がこれまで出ているものですが、9月26日という可能性も出ています。

 法律上の名前は、英国に移住した時にジョン・ポール・サピエハJohn Paul Sapieha)となったと見られ、またその後にブラジルに移住したときにどうなっているのかは不明です。ただブラジルのポルトガル語系メディアでもジョン・ポール・サビエハと英語式ファーストネームで表記されており(発音はわかりませんが)、変更はないのではないかと思います。

 同公子はリトアニア=ポーランドの名族サピエハ家の最年長系統の男系男子と思われます。
 2回結婚しており、最初の結婚がロンドンでおこなわれ、マイケルMichael)という男子が英国で生まれています。この人物が今後、最年長系統の男系男子ということになるでしょう。
 また2回目の結婚は、(旧)ブラジル帝室ペトロポリス系統の当主の妹であるオルレアン=ブラガンサ公女クリスティーナ殿下が相手で、女子が二人生まれています。次女のパオラ・マリア・ボルボン・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサ・サピエハ公女閣下(Her Serene Highness Princess Paola【Paolla】 Maria Bourbon de Orleans e Bragança Sapieha)は工業デザイナーやモデルなどの仕事を経験し、同じくポーランドの名族シフャトペウク=チェトヴェルチンスキ公子コンスタンティン閣下(ティンコ・チェトヴェルチンスキ)と結婚したようです。同閣下はベルギー貴族に編入されており、パオラ公女もベルギー貴族ということになるでしょう。

 

 (ポーランド語)Jan Paweł Sapieha, cała Polska, 13.08.2021 – pozostałe