首都圏在住会津出身者らによる会津会の総会に、会津松平家第14代当主 松平保久 氏が臨席(2018年10月)

 2018年10月27日、首都圏在住会津出身者らによる会津会の総会に、会津松平家第14代当主松平保久氏(まつだいら もりひさ)が臨席したようです。

 

 歴史の重み再認識 東京・会津会 松平保久さん講演 | 県内ニュース | 福島民報

 首都圏在住の会津出身者らでつくる会津会の総会は二十七日、東京・上野の上野精養軒で開かれた。戊辰戦争から百五十年の節目を迎え、歴史の重みを再認識するとともに、会津の発展に向けて心を一つにした。

 会津松平家第十四代当主の松平保久さん、斎藤勝会津若松市副市長が祝辞を述べた。役員改選で、柳沢会長を再任した。
 松平さんが「それからの会津」と題し、戊辰戦争後の会津の歩みなどについて講演した。

 

歴史文化講演会「戊辰戦争 会津藩と徳川幕府」:会津松平家第14代当主 松平保久 氏、庄内酒井家第18代当主 酒井忠久 氏、伊達宗家第34代当主 伊達泰宗 氏、二本松丹羽家第18代当主 丹羽長聰 氏、米沢上杉家第17代当主 上杉邦憲 氏、盛岡南部家第46代当主 南部利文 氏らがパネル討論(2018年10月)徳川宗家第18代当主の 徳川恒孝 氏は講演

 2018年10月21日、福島県会津若松市の会津大学で、歴史文化講演会「戊辰戦争 会津藩と徳川幕府」が開催されたようです。

 パネル討論では、
 会津松平家第14代当主松平保久(まつだいら もりひさ)氏、
 庄内酒井家第18代当主酒井忠久(さかい ただひさ)氏、
 伊達宗家第34代当主/仙台藩主伊達家第18代当主伊達泰宗だて やすむね)氏、
 二本松丹羽家第18代当主丹羽長聰氏(にわ ながとし)、
 米沢上杉家第17代当主上杉邦憲うえすぎ くにのり)、
 盛岡南部家第46代当主南部利文氏(なんぶ としふみ)、
 らが登壇。

  徳川宗家第18代当主徳川恒孝氏(とくがわ つねなり)は講演を行った模様。

 

 会津と各藩「義」貫く 先人の努力継承を、若松で歴史文化講演会:福島民友ニュース:福島民友新聞社 みんゆうNet

 約450人が来場した。会津松平家14代当主の松平保久(もりひさ)氏(64)、庄内酒井家18代当主の酒井忠久氏(72)、仙台伊達家18代当主の伊達泰宗氏(59)、二本松丹羽家18代当主の丹羽長聰(ながとし)氏(74)、米沢上杉家17代当主の上杉邦憲氏(75)、盛岡南部家46代当主の南部利文氏(48)が登壇し、在京の会津出身者でつくる「会津会」会長の柳沢秀夫氏(65)が加わった。進行役は漢字文化振興協会の白石宗靖(むねはる)常務理事・事務局長(85)が務めた。

 松平氏は「戊辰戦争は明確な侵略戦争。民に塗炭の苦しみを与えることが分かっていて、なぜ推し進めたのか理解できない」と指摘

 討論に先立ち、徳川宗家18代当主で徳川記念財団理事長の徳川恒孝(つねなり)氏(78)が「江戸時代に築かれた日本の基礎」の題で講演

 

戊辰百五十周年記念式典に、会津松平家第14代当主 松平保久 氏が臨席(2018年9月)

 2018年9月22日、福島県会津若松市の會津風雅堂で会津若松市戊辰150周年記念式典が開催されました。

 

 会津戦争終結の日 会津若松市 記念式典で宣言 | 県内ニュース | 福島民報

 会津松平家十四代当主の松平保久さん、NHK大河ドラマ「八重の桜」で主人公新島八重を演じた綾瀬はるかさん、子ども時代の八重役の鈴木梨央さん、会津会会長の柳沢秀夫さんのトークショーなども展開した。

旧暦の九月二十二日に鶴ケ城が開城

 

 告知通り、会津松平家第14代当主松平保久氏(まつだいら もりひさ)の臨席があったようです。

関連:
 来月【2018年9月】の戊辰百五十周年記念式典で、会津松平家第14代当主 松平保久 氏が基調講演、式典後のトークショーに出演、とのこと(2018年8月)

 

和歌山市西高松の県立図書館で紀州徳川家第16代当主 徳川頼貞 に関連する演奏会とシンポジウム(2018年9月)孫の徳川宜子さんが臨席とのこと

 2018年9月15日、和歌山県和歌山市西高松の県立図書館で、紀州徳川家第16代当主徳川頼貞とくがわ よりさだ)に関連する演奏会とシンポジウムがおこなわれたようです。

 頼貞の孫の徳川宜子とくがわ ことこ)さんが臨席とのこと。

 

 <南葵の宝>頼貞の音楽文庫 250人堪能 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 

 宜子さんは紀伊徳川家第19代当主なのかどうかで議論があったりしますが、

頼貞の孫で建築家の徳川宜子さんは、

 ということで上記記事では「当主」表記はありません。

 

 この問題ですが、一般論として、現代日本には「当主」なるものを独占的・排他的に認定できるような機関・団体はありませんので、なんともいえません。
 異論が出た場合、「好きな意見」を選んでください、としか。

 

 異論の予知のない第17代当主徳川頼韶とくがわ よりあき : 頼貞の子息)が1958年に死去します。
 その後、頼貞の未亡人である為子は青山剛あおやま ごう)という人物を養子にして後を継がせています(第18代当主 : 養子にした理由がよくわかりません)。この時青山剛あらため徳川剛は、頼貞と為子の間の娘徳川宝子と結婚したということになっています。
 ところが徳川剛は、レストランの経営に失敗して、1965年に離婚(妻と)・離縁(義母と)して、以後消息不明・生死不明となっている、という状況があります(つまり現在も生きているのかもしれません)。
 このような醜態のもと、剛が紀州徳川家の第18代当主であったとその後も認識されたはずはなく、またそもそもその以前から認識されていなかったかもしれません(そこを確定させるには、1950年代後半~1960年代の資料を研究しないといけませんが……)。

 さて、上記年代が正しいとして、父の逃走のその時、長女の徳川宜子さんはまだ10歳を過ぎたあたりであり、また、徳川の血を引く母も、頼貞の未亡人である祖母も生存しています。
 こういったややこしい状況の中、母の徳川宝子については生死含めて詳細はわからないのですが、祖母は1989年に薨去します。

 よって、剛が第18代当主だとして、宜子さんが第19代当主だとすると、いったいいつどのような理由で誰が決めたのか?、という疑問が生じますが、以前のご本人のインタビューからすると、「気がついたら」ということになります。反論できません
 とはいえ、祖母は1989年に亡くなり、もし母も亡くなっているとすると、妹とされる徳川礼子さんという人物の名前も挙がっていたりしますが、姉妹二人しかいないなら長幼の序から姉を当主だと考える人々もそれなりにいた/いるのかもしれません。

 これを承認するとして、徳川宜子さんの後の当主ですが、独身らしいので、妹とされる徳川礼子さんがどうされているか、また意思はどうなのか、という点が第一に来ると思います。
 また、もちろんこれから、宜子さんが一門から養子を迎えるということもありえないわけではありませんが、今までのインタビューなどからするとそんな気はまるでなさそうではあります。

 

 徳川一門の祭祀では和装の男ばっかりずらーっと並ぶわけで、ここに並ぶことが当主として承認されていることだという考えもできます。

 が、いずれにせよ、最初にいった通り、現代日本には「当主」なるものを独占的・排他的に認定できるような機関・団体はありませんので、なんともいえません。

 

企画展「徳川の栄華―徳川家、日光東照宮、牧野家ゆかりの名品―」の開場式に、徳川宗家第18代当主の 徳川恒孝 氏、越後国長岡藩主牧野家第17代当主 牧野忠昌 氏らが参列(2018年9月)外交用銀印「経文緯武」は9月30日(日)までの限定展示

 2018年9月14日、新潟県長岡市関原町の新潟県立歴史博物館にて、「徳川の栄華―徳川家、日光東照宮、牧野家ゆかりの名品―」の開場式が開催されました。

 徳川宗家第18代当主徳川恒孝氏(とくがわ つねなり)、
 越後国長岡藩主牧野家第17代当主牧野忠昌氏(まきの ただまさ)、
 らが参列し、
 徳川恒孝氏が挨拶をしたようです。

 

 「徳川の栄華」展 開幕しました! | 新潟県立歴史博物館公式サイト

オープン前日の14日開場式を開催。德川宗家18代当主である德川恒孝氏や、長岡藩主牧野家の17代当主である牧野忠昌氏のほか、主催者側では、花角英世新潟県知事、大橋武紀新潟総合テレビ代表取締役社長、髙見真二長岡市副市長など、関係者約80名が出席しました。

なお、秋季企画展は、11月4日(日)までの開催ですが、銀印「経文緯武」は9月30日(日)までの
限定展示となりますので、お見逃しのないようご注意下さい。

 
 
 初公開の「徳川宗家銀印」も「徳川の栄華展」開場式 新潟県立歴史博物館  – 産経ニュース

 

matiere*さんのツイート: "「徳川の栄華」展 開幕しました! | 新潟県立歴史博物館 https://t.co/pHC10IILbO… "

德川恒孝氏から挨拶をいただきました。

 

新潟県立歴史博物館 – 【 #徳川の栄華 】開幕しました! オープン前日の9… | Facebook

新潟県立歴史博物館さん(@niigata_rekihaku) • Instagram写真と動画


(下部:銀印を見る德川恒孝氏と牧野忠昌氏)

 

 外交用銀印「経文緯武」は、昨年発見され、今年確認されました。

 東京新聞:幕末将軍家の銀印発見 経文緯武 修好通商条約で使用:社会(TOKYO Web)

 江戸末期、徳川将軍家が外交文書に押印した銀印「経文緯武(けいぶんいぶ)」が見つかったと、徳川記念財団(徳川恒孝(つねなり)理事長)が二十日付で発表した。徳川十四代目将軍家茂と十五代目将軍慶喜が、日米修好通商条約の批准書などで対外的に「国家元首」として意思表示したことを示す貴重な資料だ。