ライニンゲン公子カール・エミッヒ殿下を“ロシア皇帝ニコライ3世”として擁立しているロシアの君主政主義者党の立ち上げた王室情報サイト(2019年3月)“ニコライ3世”ではなく「ロシア公子ニコライ・キリロヴィチ殿下」となっています

 アントン・バコフ氏ら君主政主義者党がライニンゲン公子カール・エミッヒ殿下を「ロシア皇帝ニコライ3世」とし、理屈はともかくとして、ちょっとその宣言にはうんざりしながらも注目していた人も多かったのですが、いつの間にか同党関係者が王室情報サイトを立ち上げていました。
 各国の王室情報やロシアの過去の情報に、自分たちの情報を混ぜ込んでしまおうというものかと思われますので、その辺りはご注意を。

 

 さて、そのサイト。
 英語版の「About-his-highness」のところからですが……

 

 About-his-highness

The Heir to the All-Russian Emperorship,
His Highness Prince of the Imperial Blood Nikolay Kirillovich of Russia,
Prince zu Leiningen.

 「ロシア帝位継承者/ロシア公子・ライニンゲン公子ニコライ・キリロヴィチ殿下」、ということでいいでしょう。

 なぜいつのまにかロシア皇帝ニコライ3世を称するのをやめたのかよくわかりませんが、なぜ称したのかもよくわからないので、考えないことにします。

 

 また、同ページですが、殿下に関することと彼らの立場(動機はともかくとして)がまとめて比較的短く説明されており、一読する価値は……興味があればあるのではないでしょうか。

 

 ここで簡単にわかりやすく説明してしまいますと、彼らがロシア皇帝・ロシア帝室当主としているのは、
 ニコライ2世 → (従弟の)キリル大公 → (長男の)ウラジーミル大公
 という順番になるようで(これはある程度知られていると思いますが)、ここまでは現当主のマリヤ女大公殿下と同じです。

 しかしここから先はロマノフ家協会などの理屈、すなわちウラジーミル大公の結婚は同等身分の結婚ではないため、生まれた子供=マリヤ殿下にはロシア帝位継承権はないとするものです。

 一方で、ウラジーミル大公自身が地位を失うわけではないとします。これはオーストリアのハプスブルク家で、フランツ・フェルディナント大公が貴賤結婚をしながらも次期帝位は失わなかったことを考えれば(暗殺されてしまいましたが)ムチャな主張ではありません。

重要なところ書き忘れていたので追記:
 さて、ウラジーミル大公のあとのことですが、男系男子が消滅するため、「再近親の男系女子・またはその男子優先長幼制子孫を考える」というのがセミ・サリカ法の基本の一つです(他の考え方もあります。セミ・サリカ法は極めてよくわからないものであり、最終的には力で決まるシステムと思ったほうが良いかと)。
 これにより、ウラジーミル大公の長姉であるマリヤ大公女(もちろん現当主のマリヤ殿下とは別人)及びその子孫が対象となります。
 1992年のウラジーミル大公薨去時に、マリヤ大公女及び長男のライニンゲン公エミッヒは故人となっていますので、エミッヒの長男ライニンゲン公子カール・エミッヒ殿下が潜在的なロシア帝位継承者となるわけです(潜在的であるのは、東方正教会の信徒でないことと、ロシア帝室法を守ることや当主となることを誓っていないことにあります)。
 カール・エミッヒ殿下は、二回目の結婚が貴賤結婚だったことにより、ライニンゲン公位継承権を失っていますが、上記のウラジーミル大公と同じく、本人のロシア帝位継承権が失われるわけではない、とするのが彼らの立場です。また、ライニンゲンの称号や敬称は失われていないとしていますが、これについては一般的にもそう扱われていることが多いです(他の家にも例はあります)。

 さらに、ウラジーミル大公は長女のマリヤ殿下を“摂政的地位”としたことについては(このあたり詳しくありませんが結局最終的には後継者になっています)、これはロシア帝室法の観点から見て合法ではないものの、当主が存在しない時期には不明確さが残るとします。が、2013年にカール・エミッヒ殿下が東方正教会の信徒となり、ロシア帝室法を守ることを誓い当主となったことにより、なんの意味もないものとなった、という解釈のようです。

 

 それはさておくとして。

 上記ページでは、三回の結婚のうち、

In 1984, Prince Karl Emich zu Leiningen contracted a dynastic marriage with Princess Hohenlohe-Öhringen (1960–1989), in which their daughter, Princess Cecilia zu Leiningen was born in 1988.

in which his second daughter Theresia zu Leiningen was born.

in which their only son Prince Emich zu Leiningen was born in 2010.

 興味深いのは、2010年に生まれた子息エミッヒ公子殿下について、ロシアに関連する称号の表記がないことが挙げられます。未成年であり、両親が望めば東方正教会への改宗も問題ないことを考えると、三回目の結婚が同等身分間でないことから、ロシアの称号を与えるのを躊躇しているのではないかとも思われます(“ニコライ3世”を躊躇してほしかったですが)。

 二回目の結婚で生まれた次女については、 Princess 表記がなく、母親が貴族ですらないということで問題外扱いなのかもしれません。単にタイプ時に抜けただけかもしれませんが……。

 しかし、一回目の結婚については、これはメディアタイズド・ハウス【シュタンデスヘル】同士の結婚であり、ロシア帝室とライニンゲン家の結婚が同等身分なのであれば、こちらもまた同等身分であるといえます。
 つまり、この結婚で生まれた子供は、(潜在的には)ロシア帝室の一員としての権利を持つ子供、ということになるでしょう。
 ライニンゲン公女ツェツィーリエ殿下(Her Serene Highness Princess Cäcilie of Leiningen)は30歳になっており、もしこのロシア話に興味があれば加わるでしょうし、そうであればロシア公女(Princess of Russia)の称号付きで記述されている可能性が高いでしょう。
 ですが、そのような称号は併記されておらず、残念ながら(?)このようなうさんくさい話には興味がないということかと。

 

※「ロシア公子」「ロシア公女」について

 ロシア帝室では、英語で「Prince」「Princess」にあたる称号を持つのは、皇帝から曾孫以降の(遠縁の)成員であり、大公や大公女より明確にランクが低いものです(敬称も「Imperial Highness」を用いず「Highness」「Serene Highness」を用います)。
 よって「皇子」や「皇女」としてしまうと、そのランクの低さが伝わらないため、当サイトでは「公子」「公女」としています。

 

関連:
 ロシア帝室ロマノフ家当主/ロシア女大公マリヤ殿下が、ロシア帝位継承法の変更の承認を、キリスト教/ロシア正教会モスクワ総主教キリル聖下に求めている模様(2019年1月)

 

訃報(2019年1月?):ジョージア王女【グルジア王女】ダリ殿下、薨去(1942【1939?】~2019)

 グルジンスキー系ジョージア王室【グルジア王室】の公式 Facebook アカウントによりますと、ジョージア王女ダリ殿下(Her Royal Highness Princess Dali of Georgia : ダリ・バグラチオン=グルジンスキー公女 : Prince Dali Bagration-Gruzinskyダリ・バグラチオニ=グルジンスキー公女 : Princess Dali Bagrationi-Gruzinskiダリ・ペトロヴナ・バグラチオン=グルジンスカヤDali Petrovna Bagration-Gruzinskaya)が薨去したようです。

 グルジンスキー系ジョージア王室【グルジア王室】当主/ジョージア皇太子ヌグザル殿下(His Royal Highness Crown Prince Nugzar of Georgia : ヌグザル・バグラチオン=グルジンスキー公子 : Prince Nugzar Bagration-Gruzinskyヌグザル・バグラチオニ=グルジンスキー公子 : Prince Nugzar Bagrationi-GruzinskiBatonishviliTsarevich)の姉です。

 

საქართველოს სამეფო სახლი მწუხარებით… – The Royal House of Georgia საქართველოს სამეფო სახლი | Facebook

 

 2019年1月に告知されていますが、細かい日付は不明。
 また、同殿下の誕生などについては、上記の Facebook アカウントでは1942年生まれとなりそうですが、以前からの情報では1939年10月17日生まれというものがあります。

 男子優先長幼制のジョージア王位継承順位第8位でした(ヌグザル殿下の一番新しい見解では、当主は継嗣を自由に指名できるということになっています)。

 

7歳(2018年9月27日):ジョージア王子ギオルギ殿下が7歳を迎えた模様。ジョージア【グルジア】のムフラニ系ジョージア王室当主/ジョージア皇太子ダヴィト殿下とグルジンスキー系ジョージア王室継嗣/ジョージア王女アナ殿下の子息

 2018年9月27日、ムフラニ系ジョージア王室【グルジア王室】のジョージア王子ギオルギ殿下(His Royal Highness Prince Giorgi of Georgia : ギオルギ・バグラチオン・バグラチオニ・ムフラン・バトニシュヴィリ王子 : Prince Giorgi Bagration Bagrationi Mukhran Batonishviliギオルギ・バグラチオニ=ムフラネリ公子 : Prince Giorgi Bagrationi-Mukhraneliギオルギ・バグラチオン=ムフランスキー公子 : Prince Giorgi Bagration-Moukhransky)が7歳を迎えたようです。

 

ムフラニ系ジョージア王室【グルジア王室】公式フェイスブック:
27 სექტემბერი საქართველოს უფლისწული… – საქართველოს სამეფო სახლი – The Royal House of Georgia | Facebook

 

 ギオルギ王子殿下は、ムフラニ系ジョージア王室当主/ジョージア皇太子ダヴィト殿下(ムフラニ公 : His Royal Highness The Crown Prince Davit of Georgia, Royal Prince of Kartli (Batonishvili), Prince of Mukhrani and Mukhran Batoni : ダヴィト・バグラチオニ=ムフラネリ公子 : Prince Davit Bagrationi-Mukhraneliダヴィト・バグラチオン=ムフランスキー公子 : Prince Davit Bagration-Moukhransky)とジョージア王女アナ殿下(Her Royal Highness Princes Anna of Georgia : アナ・バグラチオニ=グルジンスキー公女 : Princess Anna Bagrationi-Gruzinsky)の子息です。二人は離婚しています。

 アナ殿下は、グルジンスキー系ジョージア王室当主/ジョージア皇太子ヌグザル殿下(His Royal Highness Crown Prince Nugzar of Georgia : ヌグザル・バグラチオン=グルジンスキー公子 : Prince Nugzar Bagration-Gruzinskyヌグザル・バグラチオニ=グルジンスキー公子 : Prince Nugzar Bagrationi-GruzinskiBatonishviliTsarevich)の長女で、殿下によって継嗣とされています。
 これについて、サリカ法的な考えから遠縁の男系男子を継嗣と考える人もいますが、それに対しジョージアでは男子優先長幼制であり女子にも継承権があることは昔から主張されています。後者にそって考えれば、アナ殿下の後は(一回目の結婚からは女子のみなので)ギオルギ殿下がグルジンスキー系のジョージア王位継承者となります。
 しかし、現在のところ、ヌグザル殿下自身は、「当主が後継者を指名できる」という主張をしており、アナ殿下がこの考えを引き継げば、自身の後継者にギオルギ殿下を指名するかどうかわからず、両系統の統一がなるかどうかはわかりません。

 

訃報(2018年7月17日):ジョージア王子【グルジア王子】エフゲニー殿下【エフゲニー・ペトロヴィチ・バグラチオン=グルジンスキー公子】、薨去(1947~2021)

 2018年7月17日、ジョージア王子【グルジア王子】エフゲニー殿下(His Royal Highness Prince Evgeny of Georgia : エフゲニー・ペトロヴィチ・バグラチオン=グルジンスキー公子 : Prince Evgeniy Petrovich Bagration-Gruzinsky)が、ロシア連邦モスクワで薨去したようです。
 1947年生まれ。

 おそらくですが、薨去に伴い、バグラチオン王朝のグルジンスキー系統の男系男子は、グルジンスキー系ジョージア王室【グルジア王室】当主/ジョージア皇太子ヌグザル殿下(His Royal Highness Crown Prince Nugzar of Georgia : ヌグザル・バグラチオン=グルジンスキー公子 : Prince Nugzar Bagration-Gruzinskyヌグザル・バグラチオニ=グルジンスキー公子 : Prince Nugzar Bagrationi-GruzinskiBatonishviliTsarevich)を残すのみとなるのではないかと思います。
 つまり残る男系はムフラニ系統(バグラチオン=ムフランスキー系統)だけになっていきます。

ロシア皇帝ニコライ2世らがエカテリンブルクに移されて100年、行進がおこなわれる。キリスト教/ロシア正教会/エカテリンブルク府主教キリル座下が礼拝(2018年4月)

※この記事はキリスト教 高位聖職者のニュースと重複します。

 

 1918年4月30日、ソビエト・ロシア共和国(当時の名)によって、ロシア皇帝ニコライ2世陛下(Nicholas II : His Imperial Majesty The Emperor and Autocrat of All the Russias : ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフNicholas Alexandrovich Romanov)、ロシア皇妃アレクサンドラ・フョードロヴナ陛下(Alexandra Feodorovna : Her Imperial Majesty The Empress of All the Russias : ヘッセン大公女アリックス : Princess Alix of Hesse and by Rhine : アレクサンドラ・フョードロヴナ・ロマノヴァAlexandra Feodorovna Romanova)、ロシア大公女マリヤ・ニコラエヴナ殿下(Her Imperial Highness Grand Duchess Maria Nikolaevna of Russia : マリヤ・ニコラエヴナ・ロマノヴァMaria Nikolaevna Romanova)の三人が、トボリスクからエカテリンブルクに移されました。

 2018年4月30日、その100周年の行進がおこなわれました。
 一家はいずれもキリスト教/東方正教会/ロシア正教会及び在外ロシア正教会から列聖されています。

 キリスト教/東方正教会/ロシア正教会のエカテリンブルク・ヴェルホトゥリエ府主教キリル座下(His Eminence Metropolitan Kirill of Yekaterinburg and Verkhoturye)が礼拝を執り行いました。

 

tvsoyuz:
Память о прибытии в Екатеринбург святых Царственных страстотерпцев почтили крестным шествием и архие – YouTube

 

 (英語)Procession Marks 100th Anniversary of Nicholas II’s Arrival in Ekaterinburg | Royal Russia News
 (英語)1,500+ process in Ekaterinburg for 100th anniversary of arrival of Royal Martyrs / OrthoChristian.Com

 (ロシア語:エカテリンブルク教区公式サイト)Свыше полутора тысяч человек прошествовали малым крестным ходом в день 100-летия прибытия государя в Екатеринбург
 (ロシア語:エカテリンブルク教区公式サイト)«Сегодняшний день – день особого нашего внутреннего покаяния»: молитвенное шествие прошло по Екатеринбургскому Пути Скорби
 (ロシア語:エカテリンブルク教区公式サイト)В день столетия прибытия Царской семьи в Екатеринбург в Храме-на-Крови совершена архиерейская Божественная литургия
 (ロシア語:エカテリンブルク教区公式サイト)Митрополит Кирилл: «Там, где Голгофа, там и Воскресение»