対談記事:「殿様の働き方~1000年先を見据えて地域と共に~【相馬行胤×倉重公太朗】第1回・第2回・第3回・最終回」(2019年9月)陸奥相馬氏継嗣の 相馬行胤 氏が対談

 殿様の働き方~1000年先を見据えて地域と共に~【相馬行胤×倉重公太朗】第1回(倉重公太朗) – 個人 – Yahoo!ニュース
 殿様の働き方~1000年先を見据えて地域と共に~【相馬行胤×倉重公太朗】第2回(倉重公太朗) – 個人 – Yahoo!ニュース
 殿様の働き方~1000年先を見据えて地域と共に~【相馬行胤×倉重公太朗】第3回(倉重公太朗) – 個人 – Yahoo!ニュース
 殿様の働き方~1000年先を見据えて地域と共に~【相馬行胤×倉重公太朗】最終回(倉重公太朗) – 個人 – Yahoo!ニュース

 

 陸奥相馬氏継嗣(第34代)の相馬行胤氏(そうま みちたね)の対談している記事です。

追記:
 第2回および第3回もリンクしておきました。

追記2:
 最終回もリンクしておきました。

 

会津松平家継嗣の 松平親保 氏(20歳)が、会津藩公行列で 松平容保 役を務める(2019年9月)

 2019年9月22日、事前に情報が出ていた通り、会津松平家第14代当主松平保久まつだいら もりひさ)氏の長男松平親保まつだいら ちかもり)氏が、会津藩公行列で松平容保まつだいら かたもり)役を務めました。

 

 会津松平家15代目、20歳の初陣 「若殿お帰り」、会津藩公行列:福島民友ニュース:福島民友新聞社 みんゆうNet

「20歳になったことだし一度、経験させたかった」という父で14代当主松平保久(もりひさ)さん(65)の思いを受けて、急きょ容保役を担うことが決まった。

東京生まれの東京育ちだが、父や8年前に亡くなった祖父保定(もりさだ)さんが会津松平家の当主として、戊辰戦争で没した藩士らの慰霊に携わる姿などを見て育った。

 

福島民友新聞社さんはTwitterを使っています: 「会津松平家15代目、20歳の初陣 「若殿お帰り」、会津藩公行列 – https://t.co/Gqtn43ZwYq」 / Twitter

 

水野勝成の「備後入封400年祭」オープニングに、水野宗家第20代当主 水野勝之 氏が臨席(2019年9月)

 2019年9月21日、広島県福山市の福山城一帯で、福山藩の初代藩主となる水野勝成みずの かつなり)が乳封して400年となるのを記念した「備後入封400年祭」がおこなわれ、オープニングに水野宗家第20代当主水野勝之氏が臨席したようです。

※勝成を初代当主として第20代当主のようです。

 

 開祖の偉業思いはせ多彩な催し 福山城で「備後入封400年祭」:山陽新聞デジタル|さんデジ

オープニングで水野家20代当主・水野勝之さんは「勝成は400年経っても(みなさんの心の中に)生きていますね」と感謝した。

 

会津松平家継嗣の 松平親保 氏(20歳)が、9月22日の会津藩公行列で 松平容保 役を務めるとのこと(2019年9月)

 14代当主長男・親保さん「容保役」 会津まつり・会津藩公行列:福島民友ニュース:福島民友新聞社 みんゆうNet

22日に行われる「会津藩公行列」で、会津松平家14代当主松平保久(もりひさ)さん(65)の長男で15代当主となる親保(ちかもり)さん(20)が、戊辰戦争時に会津藩主を務めた松平容保(かたもり)役を初めて務めることが18日、分かった。

 

 すでに会津松平家関連の行事への臨席が報じられることがあった、会津松平家第14代当主松平保久まつだいら もりひさ)氏の長男松平親保まつだいら ちかもり)氏ですが、今年の会津藩公行列では松平容保まつだいら かたもり)役を務めるそうです。

 容保は会津松平家第9代当主ですので、第14代当主の継嗣として第15代になる親保氏からは6代前ということになりますが、養子として入った当主や養子縁組による兄弟継承などのため、血筋としては高祖父(祖父の祖父)になるかと思います。

 

追記:
 行事日程・特別ゲストなどの内容を含めた記事も出ていたのでリンクしておきます。

 【若松】会津まつり21日開幕 22日に綾瀬はるかさん参加「会津藩公行列」:会津地区:福島民友新聞社 みんゆうNet

 

続報:
 会津松平家継嗣の 松平親保 氏(20歳)が、会津藩公行列で 松平容保 役を務める(2019年9月)

 

デーリー東北 記事:八戸藩主、大都会に眠る 16代当主南部さん 墓所保存策を思案(2019年8月)八戸藩主南部家第16代当主 南部光隆 氏と歴代当主の墓所について

 八戸藩主、大都会に眠る 16代当主南部さん 墓所保存策を思案 | デーリー東北

 徳川将軍家の菩提寺である増上寺に近く、江戸城内から1639年に現在地に移築された金地禅院。徳川家と縁深い地に「外様の、それも東北の端っこの大名の墓が建立された詳しい理由は謎」(南部さん)という。ただ、80年に亡くなった初代藩主の次男の墓が一番古いものと確認できるため、少なくとも約340年前からは墓が存在していたと思われる。

 「ここは南部家の墓ではあるが、地域住民が納めた年貢で立てられたもの。いわば八戸の全ての人々にとって財産だ」と語る南部さん。文化財指定に向けた行政への働きかけなど、中長期的な保存にはさまざまな方策が考えられるが、「旅行で東京タワーを訪れた時にも気軽に立ち寄れる場所にある。まずはここに墓があることを地元の人に知ってほしい」と語った。

 

 八戸藩主南部家第16代当主南部光隆氏と、東京にある同家の歴代藩主の墓所に関する記事です。

 

 初代藩主の次男というのは、南部直常ということになるのでしょうか。
 理由については、第2代藩主南部直政徳川綱吉との関係があったりするのかもしれませんが、そういう一般人でも考えそうな理由なら当主が知らないはずもないかなあとも思います。