東京キララ社より「みみずのたわごと 徳川慶喜家に嫁いだ松平容保の孫の半生」(徳川和子(故人 松平和子)・山岸美喜)が発売とのこと(2020年11月・12月)

 東京キララ社より、徳川和子(故人)・山岸美喜「みみずのたわごと 徳川慶喜家に嫁いだ松平容保の孫の半生」が発売とのことです。

 

 新刊『みみずのたわごと 徳川慶喜家に嫁いだ松平容保の孫の半生』徳川和子・山岸美喜 | 東京キララ社オフィシャルサイト

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 まいどなニュースに紹介記事が掲載されています。

 15代将軍はカメラマンだった!徳川慶喜の孫と玄孫女性が共著出版…手記と貴重な写真130点|まいどなニュース

著者は「徳川慶喜家に嫁いだ松平容保の孫の半生」という副題の当事者である徳川和子と、手記や資料を構成して加筆した慶喜の玄孫(やしゃご)で和子の孫・山岸美喜。

「4代目当主・徳川慶朝さんが2017年9月にお亡くなりになり、慶喜家は断絶となりました。家を閉じるにあたり、今回、和子さんと共著となっている孫の山岸美喜さんが、慶朝さんの遺言により慶喜家の膨大な史料を松戸市戸定歴史館に寄託する責務を担っています。今回は美喜さんに伝わる家族のアルバムに加え、戸定歴史館にもご協力いただき、本邦初公開となる貴重な写真を掲載することができました」

 ~の孫・~の玄孫や(故)徳川慶朝氏と山岸美喜さんの関係などは、オフィシャルサイト及び記事に徳川慶喜家と会津松平家の略系図が出ているので、それを見るとすっきりするのではないかと思います。

 

投稿時点の表示では「出版予定日は2020年12月2日です」となっています。
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高遠藩主内藤家第17代当主 内藤頼誼 氏が高遠城址公園で記念植樹(2019年12月)長男 頼克 氏と孫の 頼隆 氏も同行

 2019年12月10日、高遠藩主内藤家第17代当主 内藤頼誼 氏が、長野県伊那市高遠町の高遠城址公園で記念植樹をおこなった模様。
 長男 内藤頼克 氏と孫の 内藤頼隆 氏も同行したようです。
 最近に限らず、当主の動向や、継嗣が単独で臨席するなどの記事はありますが、三代が名前入りで報じられるのも珍しいのではと思いました。

 

 Nagano Nippo Web » 旧藩主17代当主が記念植樹 高遠城址公園

旧高遠藩主内藤家17代当主の内藤頼誼さん(84)=東京都新宿区=が10日、伊那市の高遠城址公園を訪れ、タカトオコヒガンザクラの記念植樹をした。父親で16代当主の頼博さん(故人)が20年前に植樹した木の近くに白鳥孝市長と苗木を植え、「大変光栄です」と笑顔で語った。

長男の頼克さん、孫の頼隆さんと3代で来訪。

 

会津松平家継嗣の 松平親保 氏(20歳)が、会津藩公行列で 松平容保 役を務める(2019年9月)

 2019年9月22日、事前に情報が出ていた通り、会津松平家第14代当主松平保久まつだいら もりひさ)氏の長男松平親保まつだいら ちかもり)氏が、会津藩公行列で松平容保まつだいら かたもり)役を務めました。

 

 会津松平家15代目、20歳の初陣 「若殿お帰り」、会津藩公行列:福島民友ニュース:福島民友新聞社 みんゆうNet

「20歳になったことだし一度、経験させたかった」という父で14代当主松平保久(もりひさ)さん(65)の思いを受けて、急きょ容保役を担うことが決まった。

東京生まれの東京育ちだが、父や8年前に亡くなった祖父保定(もりさだ)さんが会津松平家の当主として、戊辰戦争で没した藩士らの慰霊に携わる姿などを見て育った。

 

福島民友新聞社さんはTwitterを使っています: 「会津松平家15代目、20歳の初陣 「若殿お帰り」、会津藩公行列 – https://t.co/Gqtn43ZwYq」 / Twitter

 

三池立花家から寄託された三池藩最後の藩主 立花種恭 の関連資料から幕末から明治初期にかけての多数の書簡が見つかる(2018年9月)

 2018年9月12日、福岡県大牟田市立の三池カルタ・歴史資料館は、三池立花家から寄託された三池藩最後の藩主立花種恭たちばな たねゆき)の関連資料から幕末から明治初期にかけての多数の書簡が見つかったことを発表したようです。

 

 岩倉具視ら明治の実力者の書簡60点 最後の三池藩主に送る 歴史資料館が発見、10月公開 [福岡県]|【西日本新聞】

 書簡を含む史料の一部は10月2日~12月9日(月曜と最終木曜休館)、同館の企画展「三池立花家の近代-立花種恭と激動の幕末維新」で公開する。入場無料。同館=0944(53)8780。

 

 岩倉具視三条実美らの名前が見えます。

 

史料は種恭から5代目に当たる現当主が先代から引き継ぐ際に出てきたという。

 ということで、現当主の名前はありません。

 

訃報(2018年8月7日):千家倫彦 氏、死去(?~2018)水戸徳川家男系、守山松平家当主子息、母方は出雲国造の千家氏

 週刊現代の記事に、2018年8月7日に千家倫彦氏(せんげ ともひこ)が心不全で亡くなっていたとあるようです。

 

 皇室とも縁戚…38歳「エリート財務官僚」突然の訃報の無念(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

 

※なお、同氏の情報については細かいところで異なるものがあるようですが、系譜などは間違いないと思います。

 同記事によれば(見出しにも38歳となりますが)、「大臣官房信用機構課機構業務室長(38歳)」。しかし1978年誕生との情報もあるようです。

 父は、水戸徳川家分家の守山松平家13代当主松平弘孝氏(まつだいら ひろたか)。
 母は、出雲国造の千家氏の千家統子せんげ すまこ)。離婚しているとの情報もありますが……。

 守山松平家当主である父には他に子供があるという情報はありません。
 父方の祖父は故松平圀弘子爵(まつだいら くにひろ : 守山松平家12代当主)。
 曽祖父は徳川圀順公爵(とくがわ くにゆき : 水戸徳川家第13代当主)。

 亡くなった倫彦氏は母方の祖父である故千家達彦せんげ みちひこ : 出雲大社教第5代管長)の養子となっていたとの情報もあります。養子になっていたとして、将来管長職を継承する考えが出雲大社教や千家氏側にあったかどうかはわかりません(現在の管長は本家に近い方が継承していたと思います)。

 

母方の祖母の血筋をたどれば、伊藤博文にも行き着く。

 とありますが、これは養子を介しているようです。