南アフリカ伝統的君主/“雨の女王”継承問題:南アフリカ大統領シリル・ラマポーザ閣下が、マサラナボ・モジャジ王女を女王と認定(2024年12月)2022年に王に“即位”した兄のレクケラ王子は反発

 2024年12月13日、南アフリカ共和国大統領マタメーラ・シリル・ラマポーザ閣下(Matamela Cyril Ramaphosa)は、マサラナボ・モジャジ王女殿下(Her Royal Highness Princess Masalanabo Modjadji)を、新たなバロベドゥの女王(Queen of the Balobedu Queenship)として承認したという発表をしました。

 歴代数をあわせてマサラナボ・モジャジ7世Masalanabo Modjadji VII)と表記されています。

 このバロベドゥの君主は、“雨の女王”(Rain Queen)と通称され、女子が継承するものと思われていたもののです。
 その次期女王候補で、歴代大統領も承認していたのが、先代女王のひとり娘である(未成年だった)マサラナボ王女。
 しかし、2021年に同地の王室評議会が王女の兄レクケラ・モジャジ王子(Prince Lekukela Modjadji)を王に選出するところから騒動が起こり(2022年“即位”)、訴訟なども起こっていました。

 マサラナボ王女の戴冠式は延期されている状態ですが、最新の予定では2025年3月になっているようです。

 

 (英語:南アフリカ大統領府 公式ウェブサイト)President Ramaphosa legally recognises Her Majesty Queen Masalanabo Modjadji VII of the Balobedu Queenship | The Presidency

XユーザーのThe Presidency 🇿🇦さん: 「President @CyrilRamaphosa has legally recognised Princess Masalanabo Modjadji as the Queen of the Balobedu Queenship. https://t.co/NbcG1Y5PCT https://t.co/ytLkr1J7Vt」 / X

 

 大統領による声明は、事態に関して、大統領がルール(後継者が18歳になったら大統領は承認して掲示する)に基づいて予定通りにおこなったという主旨で、雨の女王という用語はなく(「Rain」という表記はなく)、レクケラ王子の話題などは一切なく、またレクケラ王子を支持したことから王女支持派から批判を受けていたおじのムパパトゥラ王子についても、王女が18歳になるまで摂政であったということが記されています。

As a result, since the time of the recognition of the Queenship, His Royal Highness, Prince Mpapatla Modjadji, Queen Masalanabo Modjadji’s maternal uncle, held the fort for her as a Regent until she turned 18.

 

 また、翌2025年1月、レクケラ王子は、メディアに対して、大統領の発表に対して反発しています。

 (英語)Balobedu prince says president overlooked custom by endorsing his sister

 

追記:
 レクケラ王子の写真付き記事:
 (英語)Ramaphosa's decision angers Prince Modjadji! | Daily Sun

XユーザーのDaily Sunさん: 「Ramaphosa's decision angers Prince Modjadji! #CyrilRamaphosa #QueenModjadji #RainQueen https://t.co/JZFgYT8nTE」 / X

 

追記2:
 関連記事。
 王女の後見人であるマトール・モツェクガ議員(マトール・モチェハMathole Motshekga)は、今回、王子や王室評議会が、仮に訴訟を起こすとしても、それは大統領(の決定)に対してであり、自分たちが対応するわけではないという認識を示しています。
 (英語)Prince Lekukela Modjadji pleads for sister's return amidst royal succession battle

 

関連:
 (インデックス)(2021年~)南アフリカ伝統的君主:ロベドゥ人の君主モジャジ(雨の女王)にレクケラ王子殿下が選出された件に関する記事

(旧)ギリシャ皇太子パウロス殿下らが、ギリシャの市民権を回復(2024年12月)

国籍と市民権を混同していたので訂正を入れました。また、曖昧な部分にさらに訂正を入れる可能性があります:

 (旧)ギリシャ王室からの発表および報道によりますと、故ギリシャ王コンスタンティノス2世陛下の五人の子供がギリシャの市民権を回復しました。
 そのうちの一人で現ギリシャ王室当主・(旧)ギリシャ皇太子パウロス殿下(デンマーク王子 : His Royal Highness Crown Prince Pavlos of Greece, Prince of Denmark)の五人の子供は新たにギリシャ国籍を取得しましたギリシャの市民権を取得しました(国籍に関してはよくわかりません)。

 
 1994年に、コンスタンティノス2世と、現在の共和制ギリシャ政府との対立により、(旧)ギリシャ王室の構成員はギリシャの市民権を剥奪されていました。
 その後、コンスタンティノス2世らは、デンマークの外交官パスポートを使用していたようです(コンスタンティノス2世は男系でデンマーク王室子孫、妻のアンナ=マリア陛下はデンマーク王室出身)。
 また、パウロス皇太子の五人の子供は、1994年より後に生まれているため、今回はじめてギリシャの市民権を取得したことになると思われます(国籍は不明)。
※パウロス皇太子の母であるアンナ=マリア陛下は今回の件には興味がないとしてギリシャの市民権を再取得していません。

 現政府との合意の条件の一つは姓を定めることで、デ・グレスDe Grèce)が選ばれたようです。
※そのほかの条件は、現在の共和国憲法に忠誠を誓ったり、王室の権利や称号を主張しないなどです。

 

 (英語版:ギリシャ王室 公式ウェブサイト)Announcement 23/12/2024

 (英語)Greece’s former royal family seeks to reclaim citizenship 50 years after monarchy abolished | AP News
 (英語)Former Greek royal family expresses 'deep emotion' after regaining citizenship – ABC News

クリスマスメッセージ(2024年):ルクセンブルク大公アンリ殿下が退位の日付を発表。2025年10月3日に、長男のギヨーム大公世子殿下に譲位の予定

 ルクセンブルク大公アンリ殿下(Henri : His Royal Highness The Grand Duke of Luxembourg)による、降誕祭(クリスマス)と新年に向けたメッセージ動画が公開されています。

 ルクセンブルク語です(フランス語キャプション)。

 スピーチ内にて、2025年10月3日に、アンリ殿下は長男のルクセンブルク大公世子ギヨーム殿下(ギヨーム皇太子Guillaume : His Royal Highness The Hereditary Grand Duke of Luxembourg)に譲位すると発表されました。

 アンリ大公は、1955年4月16日生まれの69歳。来年4月に70歳となるので、退位時には70歳ということになります。2000年10月7日より約25年の統治となります。

 ギヨーム大公世子は、1981年11月11日生まれの43歳。
 即位時も43歳となります。
 大公世子は、2024年10月8日より、摂政(ルクセンブルク大公権限代行者 : Lieutenant-Représentant of the Grand Duke)となっています。即位時まで摂政として統治を代行することになります。
 ルクセンブルク大公として、ギヨーム5世Guillaume V)と呼ばれると思われます。

 また、ギヨーム大公世子の長男、シャルル大公子が、新たにルクセンブルク大公世子となります。2020年5月10日生まれの4歳。父の即位時には5歳となっていることになります。

 

 (サイト自体はフランス語:ルクセンブルク大公室 公式ウェブサイト)Discours de Noël 2024 de S.A.R. le Grand-Duc | Cour grand-ducale
※フランス語、英語、ルクセンブルク語でのスピーチ内容テキストあり

 (ルクセンブルク政府 公式ウェブサイト)Discours de Noël 2024 de S.A.R. le Grand-Duc – Le gouvernement luxembourgeois

 (英語)RTL Today – End of an era: Grand Duke Henri reflects on 25 years of reign in emotional Christmas speech, announces succession date

 

🇱🇺👑 Mat vill Emotioun huet de Grand-Duc um Dënschdegowend, am Kader vun der traditioneller Chrëschtried, den Datum vu senger Ofdankung zu Gonschte vu… | By Cour Grand-Ducale | Facebook

 

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ボツワナ伝統的君主:元ボツワナ大統領イアン・カーマ閣下が、マングワト王カーマ4世陛下として帰還(2024年11月)100年の摂政時代が終了。式典には副大統領ンダバ・ハオラテ閣下やエスワティニ王子グドゥザ殿下が参列

 2024年11月30日、元ボツワナ共和国大統領イアン・カーマ閣下(Ian Khama)が、マングワト王カーマ4世陛下(His Majesty Kgôsikgolo Khama IV)として、マングワト部族の元に戻り、式典が行われました。
※政界に入っていたため、摂政が立てられ、また、その後の国外逃亡(亡命)などもありまして、今回地元に戻って、王として活動するということのようです。

 式典には、ボツワナ共和国大統領ンダバ・ハオラテ閣下(Ndaba Gaolathe)ら同共和国内の要人や、エスワティニ王子グドゥザ殿下(His Royal Highness Prince Guduza of eSwatini【Swaziland】)が参列ということです。
※このグドゥザ王子ですが、過去の日本の外務省の記事で(The Honourable Prince Guduza)と書かれている人物ではないでしょうか。敬称が His Royal Highness ではないのは、大臣の敬称が The Honourable なのでそうしたのでしょうが、疑問。

 マングワト部族は、1925年のセコマ2世崩御後から、常時のように摂政が立てられていたようで、100年の摂政の時代が終わるということになります。

 ただ、摂政を務めていたセラゴラ・セレツェSerogola Seretse)のかわりに、カーマ4世はセレツェ・ピーター・カーマSeretse Peter Khama)という人物を自らの補佐をする副王的地位に就けたようで、これまでの経緯を含めて、一族全体・部族全体を含めて、どの程度の人々が納得しているのかはよくわからないところです。

 

 (英語)PressReader.com 世界の新聞 | KGOTLA FOR WHO? Kgosi Khama IV will not sit at the kgotla like

 

XユーザーのPublic Interest BWさん: 「BREAKING: Kgosi Khama IV appoints Seretse Peter Khama his deputy. https://t.co/ovc140Rbhh」 / X

 

XユーザーのBotswana Polls and Updates 🇧🇼❤️さん: 「Gammangwato Kgosi, Khama IV, was received back to his seat today at the Gammangwato headquarters in Serowe surrounded by his family, national leadership, Bagammangwato and guests from elsewhere. https://t.co/NrwK045Br3」 / X

 

Note To Men & Women:
𝐓𝐇𝐄 𝐑𝐄𝐈𝐍𝐒𝐓𝐀𝐓𝐄𝐌𝐄𝐍𝐓 𝐎𝐅 𝐊𝐆𝐎𝐒𝐈 𝐊𝐇𝐀𝐌𝐀 𝐈𝐕- BANGWATO WELCOME KGOSI IAN KHAMA – YouTube

 

LORATO TV:
Former President Ian Khama Becomes Paramount Chief of the Bangwato Tribe in Botswana – YouTube

 

BtvNews Channel BW:
KGOSI KGOLO OF BANGWATO RECEPTION – YouTube

 

訃報(2023年1月10日):旧ギリシャ王コンスタンティノス2世が崩御(1940~2023)

 2023年1月10日、(旧)ギリシャ王コンスタンティノス2世陛下(Constantine II of Greece : His Majesty The King of the Hellenes : デンマーク王子 : Prince of Denmark)が、ギリシャ共和国アテネで崩御しました。
 1940年6月2日生まれの82歳。

 1964年から1973年の王政廃止までギリシャ王として統治。
 妻はデンマーク王室出身の(旧)ギリシャ王妃アンナ=マリア陛下(Anne-Marie : Her Majesty The Queen of the Hellenes, Princess of Denmark)で、コンスタンティノス2世自身もデンマーク王家の男系男子。

 崩御に伴い、長男の(旧)ギリシャ皇太子パウロス殿下(デンマーク王子 : His Royal Highness Crown Prince Pavlos of Greece, Prince of Denmark)が、ギリシャ王位の継承者およびギリシャ王室当主となります。

 

 デンマークのアマリエンボー宮殿の国旗は半旗に。
 国際オリンピック委員会(IOC)とギリシャ・オリンピック委員会は、パナシナイコ・スタジアムに旗を掲揚。

 2023年1月16日、アテネの生神女福音大聖堂(Metropolitan Cathedral of the Annunciation : ミトロポリス大聖堂 : Metropolis【Mitropoli】 : 府主教大聖堂 : Metropolitan Cathedral of Athens)にて葬儀がおこなわれ、タトイ宮殿の王室墓地に埋葬されました。
 キリスト教/東方正教会/ギリシャ正教会首座/アテネ・全ギリシャ大主教イエロニモス2世座下(His Beatitude Hieronymos II, Archbishop of Athens and All Greece and Primate of the Autocephalous Orthodox Church of Greece)が司式。

※ここから追記をします。
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