結婚(2022年9月3日):ヨルダンのガジ・ビン・ムハンマド王子殿下が、タルノヴォ公妃(未亡人)/ブルガリア王子妃ミリアム殿下と結婚

 2022年9月3日、ヨルダン王の いとこ ガジ・ビン・ムハンマド・ビン・タラール王子殿下(His Royal Highness Prince Ghazi bin Muhammad bin Talal)が、(旧)ブルガリア王室のタルノヴォ公妃(未亡人)/ブルガリア王子妃ミリアム殿下(Her Royal Highness Princess Miriam of Bulgaria, Princess of Tarnovo, Princess of Saxe-Coburg and Gotha, Duchess in Saxony)と結婚したようです。

 ガジ王子は一度離婚を経験しています。

 ミリアム妃殿下はスペイン出身で、貴族の家柄です(細かいことはあまり説明されてませんが……)。
 ブルガリア王室継嗣だった故・タルノヴォ公カルダム王子殿下の未亡人です。

 

 (英語)Jordan News Agency (Petra) | Prince Ghazi weds Princess Miriam

 (英語:シメオン2世王 公式サイト)ON 3 SEPTEMBER 2022, IN THE CITY OF AMMAN, IN THE PRESENCE OF THE KING OF THE HASHEMITE KINGDOM OF JORDAN, ABDULLAH II, HER ROYAL HIGHNESS PRINCESS MIRIAM MARRIED HIS ROYAL HIGHNESS PRINCE GHAZI BIN MUHAMMAD « H.M. King Simeon II

 

 ヨルダンの報道では、
 ヨルダン・ハシェミット王国国王アブドッラー2世・イブン・アル・フセイン陛下(アブドゥッラー2世アブドラ国王 : King Abdullah II bin Al-Hussein : His Majesty the King of the Hashemite Kingdom of Jordan)、
 国王の叔父の元ヨルダン皇太子/エル・ハッサン・ビン・タラール王子殿下(His Royal Highness Prince El Hassan bin Talal)、
 新郎の兄のタラール・ビン・ムハンマド王子殿下(His Royal Highness Prince Talal bin Muhammad)、
 が結婚式に参列しています。
 また、ミリアム妃殿下の結婚後の表記として、 Princess Miriam Ghazi (ミリアム・ガジ王子妃)となっています。

 一方、旧ブルガリア王シメオン2世陛下の公式サイトでは、上記の情報の他、ガジ王子の経歴や、ブルガリア王室との関連なども述べられているほか、ミリアム妃殿下が東方正教会(ブルガリア正教会)の信徒であり続けることも書かれています。
 これが今後も妃殿下がブルガリア関連の式典や礼拝に臨席することを示しているのかどうかは不明ですが、少なくとも結婚式にブルガリア王室側からの参列者はいないようです。

※故カルダム殿下とミリアム妃殿下の子供のボリス殿下が将来的なブルガリア王室当主です。

訃報(2022年8月15日):ベルギー貴族のリーニュ公子ウォティエ閣下が薨去(1952~2022)ルクセンブルク大公アンリ殿下のいとこ

 2022年8月15日、ベルギー貴族のリーニュ公子ウォティエ閣下(His Serene Highness Prince Wauthier of Ligne)が薨去したようです。
 1952年7月10日生まれの70歳。

 兄は現当主のリーニュ公ミシェル閣下。
 母はルクセンブルク大公室出身の故・アリックス殿下で、そのためルクセンブルク大公アンリ殿下のいとこにあたります。

 

 (フランス語:ルクセンブルク大公室 公式サイト)Décès du Prince Wauthier de Ligne | Cour grand-ducale
 (フランス語)Le château de Belœil perd l’un de ses princes, Wauthier de Ligne – L'Avenir
 (葬儀の写真などフランス語)Les frères et une sœur du grand-duc Henri aux obsèques du prince Wauthier de Ligne

 

関連:
 訃報(2019年2月11日):リーニュ公妃(未亡人)アリックス殿下、薨去(1929~2019)ルクセンブルク大公女

結婚・民事婚(2022年6月17日):メクレンブルク公世子アレクサンダー殿下とハンデ・マシット嬢

 すでに婚約が発表されていたメクレンブルク公世子アレクサンダー殿下(Duke Alexander of Mecklenburg : His Highness The Hereditary Prince)とハンデ・マシット嬢(Hande Macit)の民事婚が2022年6月17日におこなわれたようです。

 

 (英語:メクレンブルク=シュトレーリッツ家 公式サイト)Civil marriage of Hereditary Prince Alexander and Hande Macit – House of Mecklenburg-Strelitz

 

Haus Mecklenburg-StrelitzさんはTwitterを使っています: 「The Duke proudly announces, that today the civil marriage of his eldest son HH Duke Georg Alexander with Miss. Hande Macit took place in the Great Hall in the Palace of Mirow at 2 pm. TH The Duke and the Duchess and HH Duke Michael were present. Official photo will follow.」 / Twitter

 

Haus Mecklenburg-StrelitzさんはTwitterを使っています: 「Hereditary Prince Alexander and Hande Macit after their civil wedding at Mirow today https://t.co/P3Sg1QZMWg」 / Twitter

 

続報:

A Haber:
Mersin-Tarsuslu Hande, Mecklenburg düşesi oldu – YouTube

 

 結婚・宗教婚(2022年9月17日):メクレンブルク公世子アレクサンダー殿下とハンデ・マシット嬢

訃報(2022年6月7日):ヴュルテンベルク王室当主/ヴュルテンベルク公カール殿下が薨去(1936~2022)

 2022年6月7日、ヴュルテンベルク王室当主/ヴュルテンベルク公カール殿下(Carl : His Royal Highness The Duke of Württemberg : カール・ヘルツォーク・フォン・ヴュルテンベルクCarl Herzog von Württemberg)が薨去しました。
 1936年8月1日生まれの85歳。

 1959年の兄の権利放棄にともない、ヴュルテンベルク王室当主の地位を継承することになりました。
 2018年に長男で継嗣のフリードリヒ殿下が交通事故で急死、そのためカール殿下の薨去に伴いヴュルテンベルク王室当主の地位は故フリードリヒ殿下の子息でカール殿下の孫にあたるヴュルテンベルク公子ヴィルヘルム殿下(His Royal Highness Duke Wilhelm of Württemberg : ヴィルヘルム・ヘルツォーク・フォン・ヴュルテンベルクWilhelm Herzog von Württemberg)が継承します。同殿下は1994年8月13日生まれの27歳です。

 

 (ドイツ語)Adel – Ravensburg – Carl Herzog von Württemberg gestorben – Panorama – SZ.de

 (ドイツ語)Carl Herzog von Württemberg ist in Altshausen gestorben – SWR Aktuell

 

関連:
 ヴュルテンベルク王室当主/ヴュルテンベルク公カール殿下がビジネスから引退。四男のミハエル公子殿下が一時的に引き継ぎ、最終的には将来の当主のヴィルヘルム殿下が(2020年1月)

訃報(2022年3月29日):フリードリヒ・アウグスト3世の男系男子(貴賤結婚の子孫)でヴェッティン家/ザクセン王室当主を称していたマイセン辺境伯リューディガー殿下が薨去(1953~2022)

 2022年3月29日、マイセン辺境伯リューディガー殿下(Rüdiger : His Royal Highness The Margrave of Meissen, Prince of Saxony, Duke of Saxony : リューディガー・プリンツ・フォン・ザクセンRüdiger Prinz von Sachsen)が薨去したとの情報です。
1953年12月23日生まれの68歳。
 心臓発作による急死とのことです。

 

 (ドイツ語)Rüdiger Prinz von Sachsen stirbt mit 68 Jahren

 

 故リューディガー殿下は、ザクセン王フリードリヒ・アウグスト3世の男系男子の中ではもっとも年長系統ですが、貴賤結婚の子孫のため、特に貴族社会においては当主であるとの支持を広く受けていません(アルベルティン系統ヴェッティン家の一員としての認知すら受けていません)。
 最後の異議の無い当主マリア・エマヌエル殿下の後は女系甥で養子のアレクサンダー殿下が後継者、ないしはアルベルティン系統ヴェッティン家は絶えている、というのが多くの立場です。
 しかし、ザクセンに存在するらしい王党派の中には男系維持を主張してデモを起こした人々もおり(リューディガー殿下を支持していたかどうかはわかりませんが、他に候補はいません)、またメディアでも主張を承認している記事を散見します。
 これには、あるいは、アレクサンダー殿下がドイツに在住しておらず、また継承直後以外は熱心な活動をおこなっていないことが原因かもしれません。

 

 リューディガー殿下の薨去に伴い、長男のダニエル・ティモ殿下(Daniel Timo)が新たに地位を引き継ぎます。

 また、ここ数年でアルベルティン系ヴェッティン家当主をポーランド王にという話題がたびたび出、アレクサンダー殿下とリューディガー→ダニエル・ティモ両殿下が候補として名前が挙がります。