誕生(2019年8月8日):イーゼンブルク公世子フランツ殿下が誕生

 イーゼンブルク公アレクサンダー殿下(Alexander : His Serene Highness The Prince of Isenburg : アレクサンダー・フュルスト・フォン・イーゼンブルクAlexander Fürst von Isenburg)とイーゼンブルク公妃ザーラ殿下(Sarahザーラ・フュルスティン・フォン・イーゼンブルクSarah Fürstin von Isenburg)は、二人の間の第三子・長男(継嗣)となるイーゼンブルク公世子フランツ殿下(His Serene Highness Hereditary Prince Franz of Isenburg : フランツ・エルププリンツ・フォン・イーゼンブルクFranz Erbprinz von Isenburg)の誕生を発表しました。

 

 (ドイツ語:イーゼンブルク公室公式サイト)Freudige Nachricht aus dem Schloss Birstein | Fürstenhaus Isenburg

 

Dr. Sarah IsenburgさんはInstagramを利用しています:「#endlesslove, #baby💙, #franz, #littlefoot」

 

 フルネームはフランツ・サルヴァトール・フェルディナント・ボニファティウス・ヴィルヘルム・マリア・エルププリンツ・フォン・イーゼンブルクFranz Salvator Ferdinand Bonifatius Wilhelm Maria Erbprinz von Isenburg)となるようです。

 

訃報(2019年7月23日):ビスマルク公フェルディナント閣下が薨去(1930~2019)“鉄血宰相”の曾孫。葬儀にオランダ王ウィレム=アレクサンダー陛下が参列

 2019年7月23日にビスマルク公フェルディナント閣下(Ferdinand : His Serene Highness The Prince of Bismarck : フェルディナント・フュルスト・フォン・ビスマルクFerdinand Fürst von Bismarck)が薨去した模様です。
 1930年11月22日生まれの88歳。

 

 (ドイツ語)Ferdinand von Bismarck (†88): Der Fürst ist tot: Jetzt meldet sich die Familie zu Wort | BUNTE.de
 (ドイツ語)Urenkel des deutschen Reichskanzlers: Ferdinand Fürst von Bismarck gestorben
 (ドイツ語)Ferdinand von Bismarck gestorben – WELT
 (ドイツ語)Ferdinand von Bismarck (†88) in Friedrichsruh neben Otto von Bismarck bei Hamburg – Hamburg – Bild.de

 

 “鉄血宰相”オットー・フォン・ビスマルクの曾孫。

 葬儀にはビスマルク家の一族のほか、 godfather の一人がフェルディナント閣下であるオランダ王ウィレム=アレクサンダー陛下(Willem-Alexander : His Majesty The King of the Netherlands)が参列。弟夫妻のオランダ王子コンスタンティン殿下(His Royal Highness Prince Constantijn of the Netherlands, Prince of Orange-Nassau, Jonkheer van Amsberg)及びオランダ王子妃ローレンティン殿下(Her Royal Highness Princess Laurentien of the Netherlands, Princess of Orange-Nassau, mevrouw Van Amsberg-Brinkhorst)も参列の模様。

 

 (ドイツ語)Heute wird der Fürst beerdigt – Streit ums Erbe der Bismarcks – Leute – Bild.de

 

 そして、ビスマルク公の称号というか当主の座は長男のカール=エドゥアルト閣下(Carl-Eduard)が継承ということになりますが、財産相続に関して弟(三男)のグレゴール伯爵子(Gregor)が自らが継承することを主張しているようです(少なくとも伝統的な称号に関しては長男の継承を否定する根拠は今のところはなさそうですが……)。
 簡単にいってしまうと、長男のカール=エドゥアルト閣下が各方面からまったく信用されていない人物だということになります。
(次男のゴットフリート伯爵子は2007年にロンドンで死亡しているのが発見されています)

 

秋篠宮家の佳子内親王殿下がオーストリア及びハンガリーを訪問予定、2019年9月15日出発(2019年8月)

 秋篠宮家の佳子内親王殿下(かこ : Her Imperial Highness Princess Kako of Akishino)がオーストリア共和国及びハンガリーを訪問する予定となっているようです。
 2019年9月15日出発、9月25日帰国予定。ドイツ連邦共和国経由。

 

 オーストリア及びハンガリーご訪問(令和元年) – 宮内庁

令和元年8月15日

閣議了解

この度,オーストリア国政府から友好150周年の機会に,また,ハンガリー国政府から,外交関係開設150周年の機会に,それぞれ,佳子内親王殿下を招待したい旨の申出があった。

 

続報:
 秋篠宮家の佳子内親王殿下がオーストリア及びハンガリー訪問のため羽田空港から出発(2019年9月)

関連:
 (2019年9月)秋篠宮家の佳子内親王殿下のオーストリア共和国及びハンガリー訪問関連記事

 

ドバイ首長夫人でヨルダン王女のハヤー殿下が国外脱出、ドバイ首長ムハンマド殿下と英国の高等法院で相互に提訴(2019年6月~)

 (英語)Dubai ruler's wife Princess Haya escaped after husband 'LIED about imprisoning elder daughter' | Daily Mail Online

 

 状況を整理しますと、2019年6月30日に、ドバイ首長夫人の一人で、ヨルダン王女のハヤー・ビント・アル・フセイン王女殿下(Her Royal Highness Princess Haya bint Al-Hussein)が、同夫妻の間の二人の子供を連れてドイツ連邦共和国へ極秘出国。その後、英国に移った、ということです。
 この際、日本円にして約40億円を持ち出し(?)、現在は英国のケンジントン宮殿近くにある約110億円の住居(どんな住居なのか……)に居住している、という話です。
 2019年7月初め、アラブ首長国連邦(UAE)副大統領・首相/ドバイ首長“シャイフ【シェイク】”・ムハンマド・ビン・ラーシド・アル・マクトゥーム殿下(シェイク・モハメド : His Highness Sheikh Mohammed bin Rashid Al Maktoum, Ruler【Emir】 of Dubai)は、この妻の動きに対し、ロンドンの高等法院に対して「子供の保護」を求めて提訴し、またその後同月下旬にハヤー殿下側から(複数の項目はありますが要するに)ハヤー殿下と子供たちを保護するよう要求する提訴がなされました。
 裁判所での動きは今年【2019年】の11月からになるようで、当面のところはこれ以上の動きはないかもしれません。
 また、ヨルダン王室側は今回表立ってコメントなどを出しておらず(少なくとも関連するニュースなどを見つけられていません)、今後行動するかどうかもまったくわかりません。

 

 ハヤー殿下の行動の原因として、ドバイ首長の娘(他の妻との間の娘)に関する扱い(無断行動で連れ戻されて自宅軟禁中)の件が挙げられており、離婚を望んでいるということです。

 

 外交問題に発展するのか(すでに外交問題になっているような気もしますが)、また外交問題になるとしてどことどこの外交問題になるのかよくわかりませんが、英国の裁判所で提訴の応酬がなされている以上、問題が生ずるとすれば英国と UAE の間ということになるでしょうか。

 

訃報(2019年6月4日?):ヴァルトブルク=ツァイル=ホーエンエムス伯子妃プリシラ殿下、薨去(1934~2019)

 ヴァルトブルク=ツァイル=ホーエンエムス伯子妃プリシラ殿下(シェーンボルン=ヴィーゼントハイト伯女 : Her Illustrious Highness Countess Priscilla of Waldburg-Zeil-Hohenems, Countess of Schönborn-Wiesentheid : プリシラ・グレフィン・ツー・ヴァルトブルク=ツァイル=ホーエネムスPriscilla Gräfin zu Waldburg-Zeil-Hohenemsプリシラ・グレフィン・フォン・シェーンボルン=ヴィーゼントハイトPriscilla Gräfin von Schönborn-Wiesentheid)が薨去した模様です。
 1934年2月5日生まれの85歳。

※下記の一番下の記事ではヴァルトブルク=ツァイル=ルステナウ=ホーエネムスWaldburg-Zeil-Lustenau-Hohenems)と「ルステナウ」が加わっていますが、理由はわかりません。

 

 (ドイツ語)Priscilla Waldburg-Zeil in Hohenems gestorben – vorarlberg.ORF.at
 (ドイツ語)Chronik: Priscilla Waldburg-Zeil beigesetzt – vorarlberg.ORF.at
 (ドイツ語)Priscilla Waldburg-Zeil-Lustenau-Hohenems – Danksagung – VN Todesanzeigen

 

 神聖ローマ帝国領邦国家君主や数々の聖職者を輩出しているシェーンボルン家のシェーンボルン=ヴィーゼントハイト系統の出身で、同じくメディアタイズド・ハウス(シュダンデスヘル)の格であるヴァルトブルク=ツァイル=ホーエネムス家の人物と結婚しました。

 キリスト教/ローマ・カトリック教会のウィーン大司教クリストフ・シェーンボルン枢機卿座下(His Eminence Christoph Cardinal Schönborn, O.P., Archbishop of Vienna)は同族で(結構遠縁ですが)、同枢機卿は記事によれば癌の手術後ということもあって葬儀には参列しなかったようです。
 葬儀の参列者として、
 リヒテンシュタイン公ハンス=アダム2世殿下(Hans-Adam II : His Serene Highness The Prince of Liechtenstein)、
 リヒテンシュタイン公妃マリー殿下(Marie : Her Serene Highness The Princess of Liechtenstein : キンスキー・フォン・ヴヒニッツ・ウント・テッタウ伯爵女マリー : Countess Marie Kinsky of Wchinitz and Tettau)、
 バーデン辺境伯マクシミリアン殿下(マックス : His Royal Highness MaximilianMax】, Margrave of Baden)の名前が挙げられています(ホーエネムス市の市長も参列)。