訃報(2021年11月28日):旧ロシア帝室ロマノフ家当主候補の一人ともされるアンドレイ・アンドレーエヴィチ・ロマノフ公子殿下【アンドルー・ロマノフ公子】が薨去(1923~2021)

 2021年11月28日、(旧)ロシア帝室/ロマノフ家の貴賤結婚の男系男子であるアンドルー【アンドレイ】・アンドレーエヴィチ・ロマノフ公子殿下(His Serene Highness Prince Andrew【Andrei】 Andreevich Romanov【Romanoff】)が薨去したようです。
 1923年1月21日生まれの98歳。

 貴賤結婚の子孫らとされる人物らが主導するロマノフ家協会がかつて主張していた継承順位によれば、現在、ロシア皇帝の継承者となっていた人物です。
 ただし、同団体の現在の考えや、ご本人たちの主張はよくわからなくなっています。

※なお、貴賤結婚規定のないホルシュタイン=ゴットルプ公国のルールに従えば、ロシアはともかく、ホルシュタイン=ゴットルプ公子となります。

 薨去に伴い、長男のピーター【ピョートル】・アンドレーエヴィチ・ロマノフ公子殿下(His Serene Highness Prince Peter Andreevich Romanov【Romanoff】)が後継と擬されますが、子供はおらず、またその弟二人も子供なし・女子のみと、男系はさらに傍系へと移っていく見込みです。

訃報(2021年9月9日?):ナイジェリア伝統的君主/コンタゴラ首長サイドゥ・ナマスカ殿下が薨去(1937~2021)

 ナイジェリア連邦共和国ナイジャ州の伝統的君主の一人、第6代コンタゴラ首長“アルハッジ”・サイドゥ・ナマスカ殿下(His Royal Highness Alhaji Saidu Namaska, Emir of Kontagora【Sarkin Sudan of Kontagora】)が薨去したと報じられています。
 1937年生まれの83歳か84歳。日付までの情報では12月31日生まれとしているものがあり、その場合は83歳です。

 1974年より同首長の地位にあったこと。
 そして、ナイジェリア北部イスラム圏の最大権威であるソコトのスルタンの同族だという情報があります。

 

 (英語)Emir of Kontagora, Saidu Namaska, dies at 84

Vanguard NewspapersさんはTwitterを使っています 「Emir of Kontagora, Saidu Namaska, dies at 84 https://t.co/H6tbZ9GGQN #vanguardnews https://t.co/nWKdVGT8Vb」 / Twitter

 

 (英語)Sarkin Sudan of Kotangora, Saidu Namasaka, dies at 84 – Punch Newspapers

Punch NewspapersさんはTwitterを使っています 「Sarkin Sudan of Kotangora, Saidu Namasaka, dies at 84 – Punch Newspapers https://t.co/oVr1tjxsCW」 / Twitter

 

 (英語)Emir of Kontagora is dead | Dailytrust
 (英語)Buhari mourns Emir of Kontagora – Tribune Online

訃報(2021年9月1日):ヴィスボリ伯爵子カール=ヨハン・ベルナドッテ【ヤン・ベルナドッテ】が薨去との報道(1941~2021)スウェーデン王の はとこ。七回の結婚や王子称号の要求などいろいろと話題に

 2021年9月1日、ヴィスボリ伯爵子カール=ヨハン・ベルナドッテ(Count Carl-Johan Bernadotte of Wisborg : ヤン・ベルナドッテJan Bernadotte)が薨去したとの報道が出ています。
 1941年1月9日生まれの80歳。

 

 (スウェーデン語)Kungens svåra sorg efter plötsliga dödsfallet | Svensk Dam

 

 ヤン・ベルナドッテは、スウェーデン王カール16世グスタフ陛下(Carl XVI Gustaf of Sweden : His Majesty The King)の父方の親族(はとこ)です。

 父である故レンナルト王子が王室に結婚を認められなかったため離脱しています。
 レンナルト(元)王子は後にルクセンブルク女大公シャルロットよりヴィスボリ伯爵(Count of Wisborg)に叙されており(一代限りでベルナドッテ公にも)、彼とその男系子孫はルクセンブルク貴族ということになります。
 スウェーデンでは他国の貴族に叙された自国の人物を自国でも貴族とみなすという制度があるため、これによりスウェーデン貴族ともなっている、とされます(なお、ベルナドッテの男系がそもそもスウェーデン貴族からはずれるかどうかについては異論があります)。

 七回の結婚や、お金をもらってあるドイツ人を養子にしたという話(そしてそのドイツ人が詐欺をおこなったという話)、父(と)の話を中心にした書籍の出版、スウェーデン王子の称号を要求するなど、いろいろと話題になった人物です。

訃報(2021年9月1日):ブルボン=パルマ公女セシル【セシリア】殿下が薨去(1935~2021)カルリスタのポブレー女伯爵

 2021年9月1日、ブルボン=パルマ公女セシル【セシリア】殿下(Her Royal Highness Princess CécileCecilia】 of Bourbon-Parma)がフランスのパリで薨去したようです。
 1935年4月12日生まれの86歳。
 同殿下の弟で、カルリスタの伝統的な勢力の指導者であるシクスト・エンリケ公子殿下が Facebook で訃報を投稿しています。

 ブルボン=パルマ家の本流はスペインのカルリスタの男系男子が絶えた後、スペイン王室を称するようになっており、セシル殿下はポブレー女伯爵(Countess of Poblet)に叙されていたようです。
関連:
 インタビュー記事(スペイン語):カルリスタのスペイン王として、パルマ公カルロス殿下(オランダ王室近親)がインタビューを受ける(2020年11月)

 

 

 

関連:
 (姉の訃報)訃報(2020年3月26日)ブルボン=パルマ公女マリー・テレーズ殿下が薨去。新型コロナウイルス感染。メディアでは「スペインのマリア・テレサ王女」との表記も

訃報(2021年8月29日?30日?):アンリ・デュデケム・ダコ伯爵が薨去(1933~2021)ベルギー王妃マティルド陛下の伯父

 2021年8月29日~30日の間に、アンリ・デュデケム・ダコ伯爵(Count Henri d’Udekem d’Acoz)が薨去した模様です。
 1933年11月27日生まれの87歳。

 同家はもともと政治方面の家系で、故・伯爵も市議会議員や市長を務めていたようです。

 故・伯爵はシャルル・デュデケム・ダコ男爵の長男で、父の生前に男爵の称号を許されていたという話もありますが詳細は不明。
 姪の現・ベルギー王妃マティルド陛下と現・ベルギー王フィリップ陛下が結婚したことにより、弟二人と共に伯爵に叙されています。もともとの男爵は同家の当主(相当の人物:最年長系統の男系男子)が帯びるものでしたが、伯爵号に関しては男系子孫全員に継承されます。
 伯爵に叙された年は2000年としているものがありますが、ドキュメントを見ると当時のベルギー王アルベール2世陛下による1999年11月8日付の勅令で同年12月4日から効力を発するとしています。

 

 (オランダ語)Graaf Henri d'Udekem d'Acoz, de oom van koningin Mathilde, is overleden | VRT NWS: nieuws
 (オランダ語)Graaf 'nonkel' Henri d'Udekem d'Acoz overleden | De Tijd
 (オランダ語)Henri d’Udekem d’Acoz (88), oud-burgemeester en oom van koni… (Poperinge) – Het Nieuwsblad

 

Nieuwsblad.beさんはTwitterを使っています 「Henri d’Udekem d’Acoz (88), oud-burgemeester en oom van koningin Mathilde, overleden https://t.co/4rjOKvKo0v」 / Twitter

 

Nieuwsblad.beさんはTwitterを使っています 「PORTRET. Nonkel Henri is overleden, de man die de familie van koningin Mathilde de bijnaam d’Udekem d’Ambras bezorgde https://t.co/7178w42Efo」 / Twitter