婚約発表(2018年4月):ジェイミー・ケアー氏とオリヴィア・デイ嬢。ジェイミー・ケアー氏は、英国の第13代ロージアン侯爵の甥で、父が侯爵位継承順位第1位

 ジェイミー・ケアー氏(Jamie Kerr : ジェイミー・カーフレデリック・ジェームズ・ケアー)とオリヴィア・デイ嬢(Olivia Day)の婚約が発表されました。

 ジェイミー・ケアー氏は、1989年生まれ。
 マイケル・アンクラムMichael Ancram)こと英国のスコットランド貴族/第13代ロージアン侯爵マイケル・ケアー閣下(Michael Kerr, 13th Marquess of Lothian : The Most Honourable The Marquess of Lothian PC QC)の甥で、父が侯爵位継承順位第1位のロージアン総領ラルフ・ケアー卿(Lord Ralph Kerr, Master of Lothian)です(ジェイミー氏は次男)。

 オリヴィア・デイ嬢は、1991年生まれのようです。

 

 (英語)Mr F.J. Kerr and Miss O.F. Day – Engagements Announcements – Telegraph Announcements

訃報(2018年3月27日):英国のポーレット伯爵夫人(未亡人)クリスティーン、薨去(?~2018)ポーレット伯爵位は1973年に消滅

 2018年3月27日、英国のポーレット伯爵夫人(未亡人)クリスティーンChristine, Countess Poulett : マーガレット・クリスティーン・ボールMargaret Christine Ball)が薨去したようです。
 誕生年不明ですが、81歳とのこと。

 故/第8代ポーレット伯爵ジョージ・ポーレット閣下(George Poulett, 8th Earl Poulett)の三人目の妻です。
 ポーレット伯爵位は、1973年の第8代伯爵閣下の薨去をもって消滅しています。付随するヒントン子爵位も同様。
 ただし、それよりも早い時期に叙爵されていたポーレット男爵位については、消滅している可能性が高いものの、継承者が存在する可能性もあるようです。

 

 (英語)POULETT – Deaths Announcements – Telegraph Announcements

“アラウカニア・パタゴニア王国”摂政会議が、“アントワーヌ4世公殿下”の後継に“フレデリック1世殿下”を選出(2018年3月)

 昨年【2017年】12月16日に、“アラウカニア・パタゴニア王国”の現在の代表者であった“アントワーヌ4世公殿下(His Royal Highness Prince Antoine IV : サン・ペドロ・デ・フエイウスコ公爵 : Duke of San Pedro de Hueyusco : ジャン=ミシェル・パラシリティ・ディ・パラJean-Michel Parasiliti di Para)”が75歳で“薨去”しましたが、2018年3月24日、摂政会議はあらたにフレデリック・リュズ氏(Frédéric Luz)をアラウカニア・パタゴニア王位継承者に選出した模様です。統治名は“フレデリック1世(Prince Frédéric I)”。

 

 (フランス語)Microsoft Word – communique2018.1.pdf.docx

 

 アラウカニア・パタゴニア王国というのは、すこぶる簡単に言いますと、アルゼンチンとチリのあたりに建国したかった国なのですが、いろいろあって現在も活動している人たちがいます。

 また、今回フレデリック1世殿下を選出した団体が主流といいますか、多数派なのですが、このほかにお二方ほど(フレデリック1世から先々代の)フィリップ1世殿下の後継者を称している人がいます。
 アラウカニア・パタゴニア公スタニスラス1世【スタニスラス・パルビュレスコ】殿下(キディコ子爵 : His Royal Highness Stanislas I【Stanislas Parvulesco】, Prince of Araucania and Patagonia, Viscount of Quidico)とフランソワ・ドゥ・ラ・ガルド氏(François de La Gardeフィリップ・オルリーPhilippe Orllie)ですが、今回のフレデリック1世の選出を受けておそらくですが、コメントを出すものと思われます(フランソワ・ドゥ・ラ・ガルド氏は、フィリップ1世殿下の後継を称していますが、プリンスの称号などを用いていません)。 
 スタニスラス1世は、アントワーヌ4世“薨去”後に「融和」(要するに自分を認めろということですが)を呼びかけていたので、落胆したという主旨の文章を出すのではないかと。

 

追記:
 フレデリック・リュズ氏およびスタニスラス1世は、フランス王ジャン2世の子孫を称しており、スラニスラス1世のほうは系譜の情報まで出ているようです。

訃報(2018年3月7日):英国の第3代プリマス伯爵アザー・ウィンザー=クライヴ閣下が薨去(1923~2018)

 2018年3月7日、訃報(2018年3月7日):英国の第3代プリマス伯爵アザー・ウィンザー=クライヴ閣下(Other Windsor-Clive, 3rd Earl of Plymouth : The Right Honourable The Lord Plymouth : プリマス卿)が薨去した模様。
 1923年10月9日生まれの94歳。
 薨去に伴い、子息のウィンザー子爵アイヴァー・ウィンザー=クライヴIvor Windsor-Clive, Viscount Windsor)が第4代伯爵となっているものと思われます。

※英国王室ウィンザー王朝と関係ある血統ではありません。

 プリマス伯爵(第三次叙爵)は、1905年叙爵の連合王国貴族。
 男系先祖がポウィス伯爵のようなので、ポウィス伯爵位の継承順位にも並んでいるはずです。

 

 (英語)Plymouth : Earl of Other Robert Ivor Windsor-Clive – Deaths Announcements – Telegraph Announcements
 (英語)PLYMOUTH, EARL – Death Notices – Shropshire Star Announcements – Shropshire Star

訃報(2018年2月18日):ローズマリー・スティール令夫人、卒去。第7代クラレンドン伯爵の妹

 2018年2月18日、ローズマリー・スティール令夫人(Lady Rosemary Steel)が卒去した模様です。
 1935年6月29日生まれの82歳。

 父のハイド男爵ジョージ・ヴィラズGeorge Villiers, Lord Hyde【Baron Hyde】)は若くして卒去し、祖父の第6代クラレンドン伯爵ジョージ・ヴィラズ閣下(George Villiers, 6th Earl of Clarendon)の後は兄が第7代クラレンドン伯爵となっています。
 したがってローズマリー・スティール令夫人は伯爵の娘ではありませんが、1956年に伯爵の娘の格【レディー~】を与えられているようです。

 

 (英語)STEEL – Deaths Announcements – Telegraph Announcements