訃報(2022年1月?):バグラチオニ=ダヴィティシュヴィリ公子ジャノ、薨去(?~2022)

 ジョージア王室(グルジア王室)グルジンスキー系統の公式 Facebook アカウントが、バグラチオニ=ダヴィティシュヴィリ公子ジャノ(Prince Jano Bagrationi-Davitishvili)の薨去を伝えています。

 ダヴィティシュヴィリ系統は、(バグラチオン王朝の構成員ではありますが)、王朝が建てたどの王国からも王族とみなされたことはないとのことです。
 また、他のいくつかの系統と同じく、ロシア貴族にも編入されています。

 

საქარ… – The Royal House of Georgia საქართველოს სამეფო სახლი | Facebook

訃報(2022年1月10日):オーストリア=エステ大公妃マルゲリータ殿下(サヴォイア=アオスタ公女)が薨去(1930~2022)オーストリア=エステ大公/ベルギー王子ローレンツ殿下の母

 2022年1月10日、オーストリア=エステ大公妃マルゲリータ殿下(サヴォイア=アオスタ公女 : Her Imperial and Royal Highness Archduchess Margherita of Austria-Este : Princess of Savoia-Aosta : マルゲリータ・ディ・サヴォイア=アオスタMargherita di Savoia-Aostaマルゲリータ・エルツヘルツォーギン・フォン・エスターライヒ=エステMargherita Erzherzogin von Österreich-Este)が薨去したようです。
 1930年4月7日生まれの91歳。

 イタリア王室アオスタ系統に生まれ、ハプスブルク家の故オーストリア=エステ大公ローベルト殿下と結婚。
 長男のローレンツ大公殿下はベルギー王女アストリッド殿下と結婚し、後にベルギー王子の称号を得ています。

 

Patto per la CoronaさんはTwitterを使っています: 「Scomparsa la Principessa Margherita di Savoia-Aosta, primogenita di Amedeo, Duca d'Aosta e Viceré d'Etiopia. Aveva 91 anni. Dal matrimonio con Roberto, Duca di Modena e Reggio, nel 1953, era divenuta Arciduchessa d'Austria-Este col trattamento di Altezza Imperiale e Reale https://t.co/46lFuUsCB5」 / Twitter

 

 (フランス語)Décès de la princesse Marguerite d’Autriche-Este – Revue Dynastie
 (フランス語)Margherita d’Autriche-Este, le dernier adieu de sa famille – Point de Vue
 (ドイツ語)Abdankung Erzherzogin Margherita – König Philippe in Muri

訃報(2022年1月2日):ナイジェリア伝統的君主/イバダン王サリウ・アカンム・アデトゥンジ陛下が崩御(1928~2022)

 2022年1月2日、、ナイジェリア連邦共和国オヨ州の伝統的君主のひとり、イバダン王“オバ”・サリウ・アカンム・アデトゥンジ陛下(His Royal Majesty【His Imperial Majesty】 Oba Saliu Akanmu Adetunji, the Olubadan of Ibadan)が崩御したようです。
 1928年8月26日生まれの93歳。

 ヨルバ系の有力君主の一人でした。

 

 (英語)JUST IN: Olubadan of Ibadan is dead – New Telegraph
 (英語)Breaking: Oyo Thrown Into Mourning As Olubadan of Ibadan, Oba Adetunji, Dies at 93 – Legit.ng

訃報(2021年12月26日):全国足利氏ゆかりの会 特別顧問の【平島公方】足利家第28代当主 足利義弘 氏が死去(?~2021)

 2021年12月26日に、【平島公方】足利家第28代当主足利義弘氏が死去していたようです。
 87歳。
 室町幕府第11代征夷大将軍足利義澄の子孫。
 全国足利氏ゆかりの会 特別顧問。

 情報を見逃していましたが、全国足利氏ゆかりの会の令和3年度会報誌にお悔やみが掲載されていました。

 

 全国足利氏ゆかりの会
 (令和3年度会報誌 PDF:8ページ目【最終ページ】のお悔やみ)2021-kaihou.pdf

お悔やみ
当会の特別顧問足利義弘様におかれましては、令和3年12月26日にお亡くなりになられました。

 法要などについても掲載があります。
 また、特別顧問や当主の後継に関連しそうな言及はありません。

 

追記:
 全国足利氏ゆかりの会令和四年度総会報告によりますと、総会に故・足利義弘氏の子息足利義徳氏(あしかが よしのり)が臨席していることと、奉告祭の代表者の一人として名前が触れられています。

 (PDFファイル)2022-soukai.pdf

故足利義弘様のご子息である足利義徳様

 続いて、令和五年度総会報告には、2022年10月より同氏が特別顧問となっていることが掲載されています。

 (PDFファイル)2023-ashikagaujisoukai

昨年10月より特別顧問の立場から当会にご助言等賜ることとなりました足利義徳様からご挨拶いただきました。

 

 また、阿南市広報の広報あなん令和6年5月号にも、代数と特別顧問に就任している件が記述されています。
 広報あなん令和6年5月号を発行しました | 阿南市
P19 阿波公方列伝[PDF:410KB] より:

令和の現在も、その血筋は途絶えることなく続いています。初代阿波公方 足利義冬から数えて 15 代目、また足利尊氏から数えると 29代目である足利 義徳 よしのり さん。室町幕府足利将軍家の嫡流にもっとも近く、足利尊氏からの血脈を受け継ぐ「平島公方家」「平島足利家」として、また「全国足利氏ゆかりの会」特別顧問としてご活躍されています。

結婚(2021年11月?):ホーエンツォレルン公世子アレクサンダー殿下が父の許可なしに結婚。ジグマリンゲン系統の継嗣から外れるとの観測

 ホーエンツォレルン公カール・フリードリヒ殿下(Karl Friedrich : His Highness The Prince of Hohenzollern)の唯一の男子で継嗣のアレクサンダー公世子殿下が(His Serene Highness Hereditary Prince Alexander of Hohenzollern)が、当主である父の許諾を受けないまま、アメリカ人女性と結婚したとのことです。

 民事婚については不明ですが、カトリックの宗教婚が2021年11月。

 事情を知る人たちが多くを語ろうとしないので、なにがあったのかよくわかりませんが、アレクサンダー殿下は後継から外れるという観測は一致しています。

 これにより、継承順位を考えればカール・フリードリヒ殿下の長弟アルプレヒト殿下、次弟フェルディナント殿下、フェルディナント殿下の長男アロイス殿下、次男フィデリス殿下、となります。
 仮に年長順に亡くなるとした場合、弟二人が相続していくと相続税が多額になるため、甥のアロイス殿下が直接継ぐという見込みもあります(一家はベルリン在住だと思います)。

 それにしても……。
 分家の(旧)ルーマニア王室の故ミハイ1世に男子がおらず、君主政の復活を望む人々の一部から本家筋のホーエンツォレルン公室から後継者を指名してほしいという要望が出ていた(らしい)のが1990年代。
 その時にはホーエンツォレルン公室は男子が多いため、そのような発想もあったのでしょうが、気づけば若い世代の継承可能な男子は、上記のアロイス殿下とフィデリス殿下の他には二人の はとこ のニコラス殿下の、未婚の三人という状況です。

 また、上記の(旧)ルーマニア王室絡みの話ですが、1938年のルーマニア王国憲法によれば、王室の男系男子が途絶えたときはホーエンツォレルン公室から後継者を迎えることになります。これはルーマニア側から人物を指名するのではなく、年長系統から優先、従って当主から順になりますが、本人が拒否すればその人物は対象になりません。
 カール・フリードリヒ殿下がルーマニアに興味がないと明言しているので(文書をルーマニアに出したわけではないので有効ではないかもしれませんが)その場合、次の候補者はアレクサンダー殿下となります。
 今回の結婚により、アレクサンダー殿下がホーエンツォレルン公室から外れるのか否かがまだよくわかりません。が、そもそもホーエンツォレルン公室のメンバーであることを条件にしていないようにも読める(書かなくても当然という前提かもしれませんが)ので、どうなるのかまったくわかりません。