重篤が伝えられていたデンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】が「最期の場所」としてフレデンスボー城へ移る(2018年2月)

 重篤が伝えられていたデンマーク王子ヘンリク殿下(His Royal Highness Prince Henrik of Denmark)ですが、デンマーク王室公式サイトによりますと、フレデンスボー城へ移った模様。
 依然として予断を許さない状況のようですが、殿下本人の「最期をフレデンスボー城で過ごしたい」という希望による移動のようです。

 

 (デンマーク語:デンマーク王室公式サイト)H.K.H. Prins Henrik er kommet hjem til Fredensborg Slot | Kongehuset

 

続報:
 訃報(2018年2月13日):デンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】、薨去(1943~2018)訃報(2018年2月13日):デンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】、薨去(1943~2018)妻のデンマーク女王マルグレーテ2世陛下と息子の二王子らがフレデンスボー城にて最期を看取る

 葬儀予定(2018年2月20日):薨去したデンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】の葬儀は近親・友人らのみの参列する小規模なものに。火葬をおこない、遺灰の半分をデンマークの海に、残りをフレデンスボー城に埋葬するのが本人の希望。まだ埋葬に関する正式発表はない模様
 薨去したデンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】の棺がアマリエンボー宮殿からクリスチャンスボー城の聖堂に移される(2018年2月)
 薨去したデンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】を弔問する人々(2018年2月)
 葬儀(2018年2月20日):デンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】の葬儀が執り行われる

 デンマーク/コペンハーゲン警察が「Rigshospitalet(デンマーク最大の病院)」の職員を対象に捜査中とのこと。2月に薨去したデンマーク王子ヘンリク殿下【ヘンリック王配】の容態をジャーナリストに情報漏洩した疑い(2018年3月)

会津松平家第14代当主 松平保久 氏が、司馬遼太郎をしのぶ催しで講演(2018年2月)

 2018年2月12日、福島県会津若松市で「戊辰150周年記念 司馬遼太郎顕彰事業 菜の花忌『献花祭り』」が催され、会津松平家第14代当主松平保久(まつだいら もりひさ)氏が、「鶴ケ城開城と容保公」と題して講演をおこなったようです。

 

注意:各記事の掲載が終了しましたのでリンクを外してあります。
 作家・司馬遼太郎をしのぶ 会津若松で菜の花忌「献花祭り」:福島民友ニュース:福島民友新聞社 みんゆうNet(http://www.minyu-net.com/news/news/FM20180213-243643.php)
 戊辰降伏、容保の思い語る 松平家14代当主・保久さん講演:福島民友ニュース:福島民友新聞社 みんゆうNet(http://www.minyu-net.com/news/news/FM20180213-243658.php)

 

結婚(2018年6月2日):トラウトマンスドルフ=ヴァインスベルク伯女マリー=カテリネ殿下とモーリッツ・フォン・ナトゥジウス氏

 2018年6月2日に、トラウトマンスドルフ=ヴァインスベルク伯女マリー=カテリネ殿下(Her Illustrious Highness Countess Marie-Catherine of Trauttmansdorff-Weinsberg : マリー=カテリネ・グレフィン・フォン・ウント・ツー・トラウトマンスドルフ=ヴァインスベルクMarie-Catherine Gräfin von und zu Trauttmansdorff-Weinsberg)とモーリッツ・フォン・ナトゥジウス氏(Moritz von Nathusius)が、オーストリア共和国ウィーンで結婚するようです。

 マリー=カテリネ伯女殿下は1990年1月20日生まれの28歳。
 トラウトマンスドルフ=ヴァインスベルク家は、神聖ローマ帝国領邦国家君主の家柄で、メディアタイズド・ハウスに分類されるほか、ウラデル、ベーメン貴族のチェコ貴族、オーストリア貴族といった扱いになるようです。

 モーリッツ・フォン・ナトゥジウス氏は1989年6月5日生まれの28歳。
 ナトゥジウス家は、ドイツのプロイセン貴族の家柄ですが、フォン“von”を受けていない系統も含め、様々な人物を輩出しているようです。

 

 (記事の掲載が終了しているか、ログインが必要になっています)We're getting married! Moritz and Marie
掲載時URL:https://moritzmaus.zankyou.com/us

マルタ騎士団【主権実体】の憲法改正に関する集会に五大陸から140人が参加した模様(2018年2月)2016年~2017年のローマ教皇とマルタ騎士団総長の対立を念頭に総長権限の縮小が最重要項目か

※この記事は別ブログと重複します。

 2018年2月8日~2月11日の期間にイタリア共和国のローマで、マルタ騎士団の“フラー”・ジャコモ・ダッラ・トッレ・デル・テンピオ・ディ・サングイネット副長(総長代行 : Lieutenant of the Grand Master, Frà Giacomo Dalla Torre del Tempio di Sanguinetto)臨席の元、憲法改正に関する集会に五大陸から140人が参加した模様です。

 また、キリスト教/ローマ・カトリック教会のローマ教皇フランシスコ聖下(His Holiness Pope Francis)より教皇の使節として、つまりマルタ騎士団を抑え込むためのローマ・カトリック教会の代表として送られてきている、ジョヴァンニ・アンジェロ・ベーチュ大司教座下(Monsignor Giovanni Angelo Becciu)が開会に臨席したようです。

 2016年~2017年に起こった当時のマシュー・フェスティング総長殿下とフランシスコ教皇聖下の間の争い(結果フェスティング殿下が辞任するも、後任の総長を選出できず、ジャコモ・ダッラ・トッレ総長代行が指名され任にあたっている。任期は一年)を念頭に、教会が騎士団を完全に抑え込むような形を整えるのが最重要項目の一つでしょう(つまり総長の権限を削るということ)。
 しかし、当時フェスティング殿下が抵抗して発言したように、主権実体の元首であるマルタ騎士団総長に対して、主権実体「ローマ教皇聖座」および主権国家「バチカン市国」の元首であるローマ教皇が“命令”するのは、主権侵害=国際法違反という見方もあり、ローマ教皇の権威に逆らうものに対して厳しいフランシスコ聖下の方針・選択がうかがえます。

 

 (英語)Constitutional Reform of the Order of Malta: in Rome the international strategic seminar – Order of Malta

Order of Maltaさんのツイート: "Constitutional Reform of the Order of Malta: in Rome the international strategic seminar "The reform aims to renew the forms of the Order founded on the same principles that inspired its creation almost one thousand years ago and its action” https://t.co/3ylSqXyutA #OrderofMalta… https://t.co/la8wWK7AS6"

オルレアン派フランス王位継承者パリ伯アンリ(7世)殿下が、新著で「自由は1789【フランス革命】からは生まれなかった」と書いている模様

 オルレアン派フランス王室当主のパリ伯アンリ殿下(フランス公爵 : Henri : Monseigneur The Count of Paris, Duke of France : オルレアン派フランス王位継承者アンリ7世Henry VII)が、近著「a royauté de l’homme: La mission de notre dynastie」にて、「自由は1789【フランス革命】からは生まれなかった」と書いているようです(この本をAmazon.co.jpに出品している人もいるみたいです。もちろんフランス語ですけど)。

 

 (サイト移転により記事の掲載が終了しています)(フランス語)Monseigneur le comte de Paris : "La liberté n'est pas née en 1789" – Le blog de La Couronne
掲載時URL:http://www.la-couronne.org/paroles-de-princes/monseigneur-comte-de-paris-liberte-nest-nee-1789/