ナイジェリア伝統的君主:崩御したオグワシ=ウク王に対し州知事や大統領まで弔意を表明した後に「彼は王ではなかった」との主張が(2019年9月)

 いったい何がどうなっているのか……。

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 訃報(2019年9月?):ナイジェリア伝統的君主/オグワシ=ウク王チュクウカ・オコンジョ陛下が崩御(?~2019)ンゴジ・オコンジョ=イウェアラ(元)財務相・(元)外務相の父

 崩御したオグワシ=ウク王チュクウカ・オコンジョ陛下(His Royal Majesty Professor Obi Chukwuka Okonjo, The Obi of Ogwashi-Uku)が、実は王ではないという主張が王室の(少なくとも一部の)代理人と称する人物より出ています。

 

 (英語)Rumble In Okonjo Family, Ngozi Okonjo-Iweala Lambasted For Desecrating Throne | THEWILL

*Prof. Okonjo was never an Obi of Ogwashi-Uku under our tradition but a mere Regent. Accordingly, his first child cannot be Obi, as deceitfully inferred by Ngozi.

* Succession to the traditional stool of Ogwashi-Uku is strictly by PRIMOGENITURE. Prof. Okonjo was never in the line of succession and therefore only served as a REGENT. His 3rd son, Chude, consequently can never be Obi.

*The Obiship of Ogwashi-Uku does not go to the highest bidder, it is rooted in an ancient custom and tradition which is inviolable. Prof. Okonjo, in effect, usurped the throne. These issues form the bedrock of Suit No: A/159/2019, Prince Patrick Okonjo v. Prince Nathan Okonjo & 8 Ors, now before the High Court of Justice, Asaba.

 

 重要なのは、上記の三つなので、これを見ていきましょう。

 まず一つ目は、オコンジョ教授(崩御した王のこと)は、オグワシ=ウク王であったことはなく、単に摂政だったとし、それゆえに彼の長男は Obi (王のこと)になることはできないという主張です(長男は今回の話題でまったく登場していませんが)。

 二つ目は、オグワシ=ウク王位は長幼制(おそらく男子限定長幼制)であり、オコンジョ教授は継承順位に並んだことはなく、彼の三男(新しい王に選出されたと報道)も王にはなれないとしています。

 三つめは、オコンジョ教授は要するに簒奪者と述べるもの。
 またこれらの問題はパトリック・オコンジョ王子とネイサン・オコンジョ王子の間で(?)高等法院で争われている(?)としています。

 

 読んだ限りでは、主張をもう少し整理していただきたいというところですが……(特に最後の部分は訴訟で何を争っているのかわかりません)。

 摂政と簒奪者ではえらい違いがありますが、とりあえず強引に王を称したが伝統的には摂政とでもいうほかないと主張しているとでも理解しておきましょう。
 一つ目の項目については、摂政だったので、王ではなく、彼の息子も王になれないですよ、と主張しているのでしょう。
 二つ目の項目については、オコンジョ教授が継承順位に並んでいないとするのはちと違うような気がするので(娘のンゴジ・オコンジョ=イウェアラ(元)財務相をプリンセスと呼んでいる)、おそらく彼は一族ではあるが、ルール上は継承順位が下のほうの傍系の人物との主張なのでしょう。
 三つ目の項目からすると、パトリック王子とネイサン王子のいずれかが正しい王だということに思えますが……(8 Ors がなんなのかまったくわかりません)。なお、このパトリック王子と、次の王位を主張したとされるオコンジョ教授の弟(?)バー・パトリック・オコンジョBarr Patrick Okonjo)はあるいは同一人物かもしれません(その場合、弟ではなく兄のほうがしっくりくるような気がしますが……)。

 

 それにしても、継承法が強固な長幼制なら、争いが起こる余地は極めて小さいはずで(先に生まれたのがどちらかわかればそれで終わり)、仮に上で解釈した通りに二人の王子が法廷で争っているとすると、何を争っているのか……。
 数十年前から混沌としているならまだしも、今回崩御した「王」は2007年即位とされています。