旧ルーマニア王ミハイ1世陛下崩御後60日で、ルーマニア王室のエリサベタ宮の使用権限が終わることになっている模様(2017年12月)

 (ルーマニア語)Principesa Margareta are 60 de zile să elibereze Palatul Elisabeta. Momente grele pentru familia regală

 

 旧ルーマニア王ミハイ1世陛下の葬儀が華々しく終わり、政治家が王政復古の国民投票について議論する必要を述べたりとしていますが、2001年の法によりますと、ミハイ1世陛下崩御後60日でルーマニア王室はエリサベタ宮の使用権限を失うらしく、同宮に居住している長女のルーマニア王位守護者マルガレータ陛下(Her Majesty Margareta, the Custodian of the Crown of Romania : ルーマニア皇太子マルガレータ殿下 : Her Royal Highness Crown Princess Margareta of Romania)と夫のルーマニア王子ラドゥ殿下(His Royal Highness Prince Radu of Romania)は、この使用権限について延長するよう政府や政治家・政党に要請しているようです。

 国民投票どころじゃないなあ……。

 

追記:
 要請を拒否したトゥドセ首相(「私が知る限りルーマニアは共和政国家だ」)は、マルガレータ陛下と会談した影の実力者ドラグネア党首の力で首相の座から追い出されました。

 東欧では「~は共和政国家」とか言い出すと引きずりおろされるパターンを結構見るような気がします。

 

ヨルダン王アブドッラー2世陛下が、キリスト教/ローマ教皇フランシスコ聖下を訪問(2017年12月)

※この記事はキリスト教 高位聖職者のニュースと重複します。

 

 ヨルダン・ハシェミット王国国王アブドッラー2世・イブン・アル・フセイン陛下(アブドゥッラー2世アブドラ国王 : King Abdullah II bin Al-Hussein : His Majesty the King of the Hashemite Kingdom of Jordan)が、キリスト教/ローマ・カトリック教会/ローマ教皇フランシスコ聖下(ローマ法王台下 : His Holiness Pope Francis)を訪問したようです。

 

 (英語)King of Jordan travels to Vatican to speak with Pope Francis about Jerusalem | ROME REPORTS

ROME REPORTS in English:
King of Jordan travels to Vatican to speak with Pope Francis about Jerusalem – YouTube

 

 教皇、ヨルダン国王と会見 – バチカン放送局

 

ノルウェー王室のクリスマス写真撮影(2017年12月)

 (ノルウェー語:ノルウェー王室公式サイト)Julefotografering – kongehuset.no

 

 ノルウェー王室公式サイトで、クリスマスの写真撮影が行われたようです。

 ノルウェー王ハーラル5世陛下(Harald V of Norway : His Majesty The King)、
 ノルウェー王妃ソニア陛下(Queen Sonja of Norway: Her Majesty The Queen)、
 ノルウェー皇太子ホーコン殿下(Crown Prince Haakon of Norway : His Royal Highness The Crown Prince)、
 ノルウェー皇太子妃メッテ=マリット殿下(Crown Princess Mette-Marit of Norway : Her Royal Highness The Crown Princess of Norway)、
 と二人の子供とあわせて六人が写っています。
 あくまでこの写真を見るとということですが、ノルウェー王女イングリッド・アレクサンドラ殿下(Her Royal Highness The Princess : Her Royal Highness Princess Ingrid Alexandra of Norway)は、大人といってもわからないくらいですね。
 弟のノルウェー王子スヴェレ・マグヌス殿下(His Highness Prince Sverre Magnus of Norway)は、祖父王に似て体格が豊かになってきた感じがあります。

 

ルーマニア元老院【上院】議長のカリン・ポペスク=タリチャーヌ閣下(元首相)が王政復古の国民投票に関する議論を始めるべきだと発言(2017年12月)

 (ルーマニア語)Tăriceanu, argumente în favoarea unui referendum pentru monarhie: Sistemul constituțional românesc este unul „hibrid, care are sădiți în el germenii conflictului” | ActiveNews

 

 ルーマニア元老院【上院】議長のカリン・ポペスク=タリチャーヌ閣下(元首相 : Călin Popescu-Tăriceanu)が、ルーマニア王政復古の国民投票について議論を始めるべきだという考えを示したようです。

 元からそれなりに多くの政治家が王政復古を支持していた同国ですが、国葬となった旧ルーマニア王ミハイ1世陛下の葬儀あまりに盛り上がりすぎたためか、政治家の一部に興奮状態が見られる気もします。
 しかし、王政復古に関する最大の問題は、長女のルーマニア王位守護者マルガレータ陛下(Her Majesty Margareta, the Custodian of the Crown of Romania : ルーマニア皇太子マルガレータ殿下 : Her Royal Highness Crown Princess Margareta of Romania)の知名度がミハイ1世陛下に遠く及ばず(名代としてはありますが)、功績に関してははっきりいって特にない(チャリティーを除けば)わけで、王政復古をやるならミハイ1世陛下存命のうちにやらなければいけなかったということ。
 それに、マルガレータ陛下が即位したとして、その後の後継問題もあります……。

 正直、議論はあっても投票まで持ち込めるかどうかは厳しいとみていますが、キリスト教/東方正教会/ルーマニア正教会の首座/ルーマニア正教会総主教、ブカレスト大主教、ムンテニア・ドブロジャ府主教ダニエル聖下(His Beatitude Daniel, Archbishop of Bucharest, Metropolitan of Muntenia and Dobrudgea and Patriarch of the Romanian Orthodox Church)がすでにマルガレータ陛下と言及するなど宗教界のサポートはある程度期待できるとふんでいるのかもしれません。

 

訃報(2017年12月16日):“アラウカニア・パタゴニア王国”の“アントワーヌ4世公殿下”が“薨去”(1942~2017)

 19世紀に現在のアルゼンチンとチリのあたりに建国したかった“アラウカニア・パタゴニア王国”の現在の代表者であった“アントワーヌ4世公殿下(His Royal Highness Prince Antoine IV : サン・ペドロ・デ・フエイウスコ公爵 : Duke of San Pedro de Hueyusco : ジャン=ミシェル・パラシリティ・ディ・パラJean-Michel Parasiliti di Para)”が2017年12月16日に“薨去”した模様。
 1942年3月26日生まれの75歳。

 子息がおられるようですが、継承するのか、または後継者を評議会で選出するのか、そのあたりはよくわかりません。

 

 (フランス語)Dordogne : le prince d’Araucanie Antoine IV est décédé – Sud Ouest.fr

 

追記1:
 未亡人シェイラ=ラニSheila-Rani)が摂政になったとの情報がありますが、未確認。
追記1-1:
 君主の未亡人が摂政を務めるとの原則が確認されています。
 (フランス語)Microsoft Word – communique2017.12a.doc

 

追記2:
 対立していたスタニスラス1世が弔意を表明。
 (フランス語)Communiqué de presse de S.A.R. le Prince Stanislas d' Araucanie. – Royaume d'Araucanie et de Patagonie.
 また、スタニスラス1世は当然“アントワーヌ4世”を認めていませんが、アントワーヌ4世がその継承より前に叙爵されていた爵位は認めているようで、長男がサン・ペドロ・デ・フエイウスコ公爵、次男が次のランクの爵位を受け継ぐ前提のような文章があります。

※スタニスラス1世はフランス王ジャン2世の子孫を称しており、系譜の情報も出回っています。

 

追記3:
 スラニスラス1世とは別にアントワーヌ4世と対立していたフランソワ・ドゥ・ラ・ガルド氏(François de La Gardeフィリップ・オルリーPhilippe Orllie)がコメント記事を発表(スタニスラス1世との関係は不明瞭で、スタニスラス1世側からは対立者ではなく離脱者とみなされているようにもとれます)。
 (フランス語)Jean-Michel Parasiliti di Para n’est plus | Araucanie Info
 どうやらアントワーヌ4世に宥和と対話を求めていたようですが、かなわなくなりました。
 ドゥ・ラ・ガルド氏は、プリンスなどの称号を称しておらず、先代(三者にとって先代のフィリップ1世=フィリップ・ボワリー)と始祖から取ったのかフィリップ・オルリーという名乗りも使っているようです(オルリーのつづりが一般と違うのはなぜなのかよくわかりませんが……)。