訃報(2018年5月?):ジョン・ケアー卿、薨去(1927?~2018)英国の第12代ロージアン侯爵の弟か?

 Telegraph Announcements に、ジョン・ケアー卿(Lord John Kerr)の訃報が掲載されています。

 

 (英語)KERR – Deaths Announcements – Telegraph Announcements

Lord John, died peacefully in Oxford, strengthened by the rites of our Holy Mother the Church

 

 薨去日及びその他不明ですが、故・第12代ロージアン侯爵ピーター閣下の弟とみられています。
 情報が正しいとすると、1927年7月4日生まれの90歳。

 兄弟の父は侯爵ではなく、ピーター閣下は父の従兄の第11代ロージアン侯爵フィリップ閣下より爵位を継承していますので、本来は侯爵の継嗣以外の息子としての卿(ロード : Lord)を着けて呼ばれませんが、兄の爵位継承後の翌年1941年に卿を称することが許されたようです。

 

訃報(2018年5月4日):英国のハーウッド伯爵【ヘアウッド伯爵】未亡人パトリシア、薨去(1926~2018)

 2018年5月4日、英国のハーウッド伯爵未亡人パトリシアPatricia, Dowager Countess of Harewood)が薨去した模様です。
 1926年11月24日生まれの91歳。

 故・第7代ハーウッド伯爵ジョージ・ラッセルズ閣下の二人目の妻で、結婚の際は騒動となったようです。

 

 (英語:ハーウッド・ハウス公式サイト:第8代ハーウッド伯爵デービッド・ラッセルズ閣下からの公式発表)Official Statement from the Earl of Harewood – Harewood House

 (英語)Peerage News: Patricia Countess of Harewood 1926-2018

 (英語)The countess who tried to teach cockatoos to speak Australian

 (英語)Dowager Countess of Harewood Patricia Lascelles dies – BBC News

 

訃報(2018年4月13日):スーザン・ハワード令嬢、卒去(1948~2018)第11代カーライル伯爵の娘

 2018年4月13日、スーザン・ハワード令嬢(Lady Susan Howard)が卒去したようです。
 1948年11月13日生まれの69歳。

 英国のイングランド貴族、故・第11代カーライル伯爵ジョージ・ハワード閣下の娘です。
 理由は不明ですが、二回(?)結婚しているのに、Telegraph Announcementsが結婚前の名前のままの表記をしています。
 あと、二度目の結婚の相手が、貴族であるとする情報を見かけましたが、家系がたどれなかったのでよくわかりません。

 

 (英語)Lady Susan Ankaret Howard – Deaths Announcements – Telegraph Announcements

 

結婚式(2018年4月30日):第12代ボーフォート公爵ヘンリー・サマセット閣下(65歳)とジョージア・パウエル嬢(49歳:再婚らしいです)。昨年末に公爵閣下は離婚と再婚を発表していました

 2018年4月30日、第12代ボーフォート公爵ヘンリー・サマセット閣下(Henry Somerset, 12th Duke of Beaufort : His Grace The Duke of Beaufort : バンター・ボーフォートBunter Beaufortバンター・ウスターBunter Worcester)とジョージア・パウエル嬢(Georgia Powell)の結婚式が執り行われたようです。

 ボーフォート公爵閣下は65歳。ジョージア・パウエル嬢は49歳で、両者とも再婚。公爵閣下は昨年末に離婚と再婚を発表していました。

 

 (英語)The Duke of Beaufort and Miss G. Powell – Marriages Announcements – Telegraph Announcements

 

アルゼンチンのClarín【クラリン】(スペイン語)が、アラウカニア・パタゴニア王国の二人の王位継承者など、現状に関する記事を掲載(2018年4月)

 アルゼンチン共和国の有力紙 Clarín【クラリン】 の公式サイトに、「Dos franceses se pelean por un "reino" mapuche」と題した、アラウカニア・パタゴニア王国の二人の王位継承者など、(ほんの少しだけ歴史と)現状に関する記事が掲載されているようです。

※正直、驚きました。

 

 (スペイン語)Dos franceses se pelean por un "reino" mapuche

 

 アラウカニア・パタゴニア王国というのは、オルリー=アントワーヌ1世アントワーヌ・ド・トゥナン)という人物が、アルゼンチンとチリのあたりに住んでいるマプチェ族の国家として建国したかった王国のことですが、その試みは失敗し(とはいえ実際の国家の設立としての要件は満たしていたんじゃないかとか、最近では当時のアルゼンチンとチリの政府によるマプチェ族弾圧の実態からの王国再評価などもあったり、といろいろ話題はあります)、現在でも活動している人々がいます(記事中にもあるように「構成員は白人がほとんど」などの問題が多数あったり、そもそも現在王室当主を称している人物たちがマプチェ族の言葉どころかアルゼンチンやチリのスペイン語もしゃべれなかったり、とそういうことはありますが)。

 今回のこの記事では、2018年3月24日の摂政会議においてフレデリック1世殿下(His Royal Highness Prince Frédéric I)が選出されたことと、その先代のアントワーヌ4世公殿下(His Royal Highness Prince Antoine IV : サン・ペドロ・デ・フエイウスコ公爵 : Duke of San Pedro de Hueyusco : ジャン=ミシェル・パラシリティ・ディ・パラJean-Michel Parasiliti di Para)の時代から対立公となっているアラウカニア・パタゴニア公スタニスラス1世【スタニスラス・パルビュレスコ】殿下(キディコ子爵 : His Royal Highness Stanislas I【Stanislas Parvulesco】, Prince of Araucania and Patagonia, Viscount of Quidico)を中心に添えつつ、現状などを述べるものです。が、背景知識がないとさっぱりわからないのでは……。
 なお、もう一人の対立者であり、“プリンス”などを称さないものの王室当主を称しているフランソワ・ドゥ・ラ・ガルド氏(François de La Gardeフィリップ・オルリーPhilippe Orllie)については言及がありません(支持者いなさそうだし……)。

 ちなみに記事写真、冒頭=一枚目の若い男性が、対立公のスタニスラス1世殿下(スペイン語なのでエスタニスラオ1世Estanislao I)、
 二枚目のメダルなどをかけているある程度高齢の男性が、選出されたフレデリック1世殿下(スペイン語なのでフェデリコ1世Federico I)、
 です。

 

追記:
 なお、フレデリック1世およびスタニスラス1世の二人ともフランス王ジャン2世の子孫を称しており、スタニスラス1世のほうは系譜の情報もあります。