アルゼンチンのClarín【クラリン】(スペイン語)が、アラウカニア・パタゴニア王国の二人の王位継承者など、現状に関する記事を掲載(2018年4月)

 アルゼンチン共和国の有力紙 Clarín【クラリン】 の公式サイトに、「Dos franceses se pelean por un "reino" mapuche」と題した、アラウカニア・パタゴニア王国の二人の王位継承者など、(ほんの少しだけ歴史と)現状に関する記事が掲載されているようです。

※正直、驚きました。

 

 (スペイン語)Dos franceses se pelean por un "reino" mapuche

 

 アラウカニア・パタゴニア王国というのは、オルリー=アントワーヌ1世アントワーヌ・ド・トゥナン)という人物が、アルゼンチンとチリのあたりに住んでいるマプチェ族の国家として建国したかった王国のことですが、その試みは失敗し(とはいえ実際の国家の設立としての要件は満たしていたんじゃないかとか、最近では当時のアルゼンチンとチリの政府によるマプチェ族弾圧の実態からの王国再評価などもあったり、といろいろ話題はあります)、現在でも活動している人々がいます(記事中にもあるように「構成員は白人がほとんど」などの問題が多数あったり、そもそも現在王室当主を称している人物たちがマプチェ族の言葉どころかアルゼンチンやチリのスペイン語もしゃべれなかったり、とそういうことはありますが)。

 今回のこの記事では、2018年3月24日の摂政会議においてフレデリック1世殿下(His Royal Highness Prince Frédéric I)が選出されたことと、その先代のアントワーヌ4世公殿下(His Royal Highness Prince Antoine IV : サン・ペドロ・デ・フエイウスコ公爵 : Duke of San Pedro de Hueyusco : ジャン=ミシェル・パラシリティ・ディ・パラJean-Michel Parasiliti di Para)の時代から対立公となっているアラウカニア・パタゴニア公スタニスラス1世【スタニスラス・パルビュレスコ】殿下(キディコ子爵 : His Royal Highness Stanislas I【Stanislas Parvulesco】, Prince of Araucania and Patagonia, Viscount of Quidico)を中心に添えつつ、現状などを述べるものです。が、背景知識がないとさっぱりわからないのでは……。
 なお、もう一人の対立者であり、“プリンス”などを称さないものの王室当主を称しているフランソワ・ドゥ・ラ・ガルド氏(François de La Gardeフィリップ・オルリーPhilippe Orllie)については言及がありません(支持者いなさそうだし……)。

 ちなみに記事写真、冒頭=一枚目の若い男性が、対立公のスタニスラス1世殿下(スペイン語なのでエスタニスラオ1世Estanislao I)、
 二枚目のメダルなどをかけているある程度高齢の男性が、選出されたフレデリック1世殿下(スペイン語なのでフェデリコ1世Federico I)、
 です。

 

追記:
 なお、フレデリック1世およびスタニスラス1世の二人ともフランス王ジャン2世の子孫を称しており、スタニスラス1世のほうは系譜の情報もあります。

“アラウカニア・パタゴニア王国”摂政会議が、“アントワーヌ4世公殿下”の後継に“フレデリック1世殿下”を選出(2018年3月)

 昨年【2017年】12月16日に、“アラウカニア・パタゴニア王国”の現在の代表者であった“アントワーヌ4世公殿下(His Royal Highness Prince Antoine IV : サン・ペドロ・デ・フエイウスコ公爵 : Duke of San Pedro de Hueyusco : ジャン=ミシェル・パラシリティ・ディ・パラJean-Michel Parasiliti di Para)”が75歳で“薨去”しましたが、2018年3月24日、摂政会議はあらたにフレデリック・リュズ氏(Frédéric Luz)をアラウカニア・パタゴニア王位継承者に選出した模様です。統治名は“フレデリック1世(Prince Frédéric I)”。

 

 (フランス語)Microsoft Word – communique2018.1.pdf.docx

 

 アラウカニア・パタゴニア王国というのは、すこぶる簡単に言いますと、アルゼンチンとチリのあたりに建国したかった国なのですが、いろいろあって現在も活動している人たちがいます。

 また、今回フレデリック1世殿下を選出した団体が主流といいますか、多数派なのですが、このほかにお二方ほど(フレデリック1世から先々代の)フィリップ1世殿下の後継者を称している人がいます。
 アラウカニア・パタゴニア公スタニスラス1世【スタニスラス・パルビュレスコ】殿下(キディコ子爵 : His Royal Highness Stanislas I【Stanislas Parvulesco】, Prince of Araucania and Patagonia, Viscount of Quidico)とフランソワ・ドゥ・ラ・ガルド氏(François de La Gardeフィリップ・オルリーPhilippe Orllie)ですが、今回のフレデリック1世の選出を受けておそらくですが、コメントを出すものと思われます(フランソワ・ドゥ・ラ・ガルド氏は、フィリップ1世殿下の後継を称していますが、プリンスの称号などを用いていません)。 
 スタニスラス1世は、アントワーヌ4世“薨去”後に「融和」(要するに自分を認めろということですが)を呼びかけていたので、落胆したという主旨の文章を出すのではないかと。

 

追記:
 フレデリック・リュズ氏およびスタニスラス1世は、フランス王ジャン2世の子孫を称しており、スラニスラス1世のほうは系譜の情報まで出ているようです。

“アラウカニア・パタゴニア公【対立公】スタニスラス1世殿下”が、対立していた“アントワーヌ4世”の名(?)を死後の称として認め、融和を求める声明(2018年1月)

 2017年12月に“薨去”した“アントワーヌ4世殿下(Antoine IV)”と対立していたアラウカニア・パタゴニア公スタニスラス1世【スタニスラス・パルビュレスコ】殿下(キディコ子爵 : His Royal Highness Stanislas I【Stanislas Parvulesco】, Prince of Araucania and Patagonia, Viscount of Quidico)が声明を出しています。

 それによりますと、“アントワーヌ4世”を、もちろん正統なアラウカニア・パタゴニア王位継承者としては認めていないものの、死後の称として「アントワーヌ4世」を認めるというようなことが含まれています。
 そのかわりといってはなんですが、融和の呼びかけ=俺をただ一人のアラウカニア・パタゴニア公と認めろと、とれる内容もあります。

 はっきりいって、この内容が(故アントワーヌ4世側へ)どの程度の訴求力があるのかよくわかりません。そして、次の対立者が出るのかも定かではありません(アントワーヌ4世の遺族がこれからもこの“運動”に関わっていきたいのか、ほかに次のアラウカニア・パタゴニア王になりたい人物はいるのか、など)。

 ただ気になるのは、フランス語は詳しくないので理解が間違っているかもしれませんが、スタニスラス1世が認めているのはアントワーヌ4世という名称を使うだけであって、アラウカニア・パタゴニア王位にはこれがなにか関係があるのかについてはまったく述べていないところです。具体的には「Prince」という名称が前置または後置されていません
 つまり、この「アントワーヌ4世」というのはいったいなんなの?、ということです。適当に名乗っていいよというだけなら誰にだって出来る話です
 いっぽう、アントワーヌ4世について、アラウカニア・パタゴニア王位への主張が有効なものであると記述したり、「Prince」号はつけないものの、スタニスラス1世およびアントワーヌ4世の前任者であるフィリップ1世【フィリップ・ボワリー】と併記したりと、微妙な扱いも見られ、どちらにもごまかせるようし、うまく丸め込もうとしたのではないかとも思えます。

 

 (フランス語)Appel du Prince d' Araucanie. – Royaume d'Araucanie et de Patagonie.
 ※記事のURLが変更されたようなのでリンク先を変更しました。

 

追記:
 スタニスラス1世はフランス王ジャン2世の子孫を称しており、系譜の情報も存在します。

“アラウカニア・パタゴニア公【対立公】スタニスラス1世殿下”がモルドバを訪問(2017年12月)

 さきごろ亡くなった“アントワーヌ4世殿下”の後継が明らかでないので、現段階の情報では、アントワーヌ4世と対立していたアラウカニア・パタゴニア公スタニスラス1世【スタニスラス・パルビュレスコ】殿下(キディコ子爵 : His Royal Highness Stanislas I【Stanislas Parvulesco】, Prince of Araucania and Patagonia, Viscount of Quidico)がただ一人のアラウカニア・パタゴニア王国の王位継承者を称していることになりますが、そのスタニスラス1世がモルドバ共和国を訪問したそうです。

 

 (フランス語:アラウカニア・パタゴニア王国【スタニスラス1世派】公式ブログ)Le Prince d'Araucanie reçu par le Président de la République Moldave Igor Dodon. – Royaume d'Araucanie et de Patagonie.

 

 目的ですが、上記記事によれば「21世紀において、資本主義にかわるものは?」というテーマのカンファレンスに出席、となっています。ムチャな……。

 そして上記のスタニスラス1世のブログには、モルドバ共和国大統領イゴル・ドドン閣下(His Excellency Mr Igor Dodon)とともにうつっている写真があるのですが、さもこれが重要である(大統領の出迎えを受けた)かのように掲示されていますが、むこうからすれば一緒に写真をとってくれといってきた一般人の一人なのでは……。

 

追記:
 なお、スタニスラス1世は、フランス王ジャン2世の子孫であると称しており、系図の情報も出回っています。

訃報(2017年12月16日):“アラウカニア・パタゴニア王国”の“アントワーヌ4世公殿下”が“薨去”(1942~2017)

 19世紀に現在のアルゼンチンとチリのあたりに建国したかった“アラウカニア・パタゴニア王国”の現在の代表者であった“アントワーヌ4世公殿下(His Royal Highness Prince Antoine IV : サン・ペドロ・デ・フエイウスコ公爵 : Duke of San Pedro de Hueyusco : ジャン=ミシェル・パラシリティ・ディ・パラJean-Michel Parasiliti di Para)”が2017年12月16日に“薨去”した模様。
 1942年3月26日生まれの75歳。

 子息がおられるようですが、継承するのか、または後継者を評議会で選出するのか、そのあたりはよくわかりません。

 

 (フランス語)Dordogne : le prince d’Araucanie Antoine IV est décédé – Sud Ouest.fr

 

追記1:
 未亡人シェイラ=ラニSheila-Rani)が摂政になったとの情報がありますが、未確認。
追記1-1:
 君主の未亡人が摂政を務めるとの原則が確認されています。
 (フランス語)Microsoft Word – communique2017.12a.doc

 

追記2:
 対立していたスタニスラス1世が弔意を表明。
 (フランス語)Communiqué de presse de S.A.R. le Prince Stanislas d' Araucanie. – Royaume d'Araucanie et de Patagonie.
 また、スタニスラス1世は当然“アントワーヌ4世”を認めていませんが、アントワーヌ4世がその継承より前に叙爵されていた爵位は認めているようで、長男がサン・ペドロ・デ・フエイウスコ公爵、次男が次のランクの爵位を受け継ぐ前提のような文章があります。

※スタニスラス1世はフランス王ジャン2世の子孫を称しており、系譜の情報も出回っています。

 

追記3:
 スラニスラス1世とは別にアントワーヌ4世と対立していたフランソワ・ドゥ・ラ・ガルド氏(François de La Gardeフィリップ・オルリーPhilippe Orllie)がコメント記事を発表(スタニスラス1世との関係は不明瞭で、スタニスラス1世側からは対立者ではなく離脱者とみなされているようにもとれます)。
 (フランス語)Jean-Michel Parasiliti di Para n’est plus | Araucanie Info
 どうやらアントワーヌ4世に宥和と対話を求めていたようですが、かなわなくなりました。
 ドゥ・ラ・ガルド氏は、プリンスなどの称号を称しておらず、先代(三者にとって先代のフィリップ1世=フィリップ・ボワリー)と始祖から取ったのかフィリップ・オルリーという名乗りも使っているようです(オルリーのつづりが一般と違うのはなぜなのかよくわかりませんが……)。