歴史文化講演会「戊辰戦争 会津藩と徳川幕府」:会津松平家第14代当主 松平保久 氏、庄内酒井家第18代当主 酒井忠久 氏、伊達宗家第34代当主 伊達泰宗 氏、二本松丹羽家第18代当主 丹羽長聰 氏、米沢上杉家第17代当主 上杉邦憲 氏、盛岡南部家第46代当主 南部利文 氏らがパネル討論(2018年10月)徳川宗家第18代当主の 徳川恒孝 氏は講演

 2018年10月21日、福島県会津若松市の会津大学で、歴史文化講演会「戊辰戦争 会津藩と徳川幕府」が開催されたようです。

 パネル討論では、
 会津松平家第14代当主松平保久(まつだいら もりひさ)氏、
 庄内酒井家第18代当主酒井忠久(さかい ただひさ)氏、
 伊達宗家第34代当主/仙台藩主伊達家第18代当主伊達泰宗だて やすむね)氏、
 二本松丹羽家第18代当主丹羽長聰氏(にわ ながとし)、
 米沢上杉家第17代当主上杉邦憲うえすぎ くにのり)、
 盛岡南部家第46代当主南部利文氏(なんぶ としふみ)、
 らが登壇。

  徳川宗家第18代当主徳川恒孝氏(とくがわ つねなり)は講演を行った模様。

 

 会津と各藩「義」貫く 先人の努力継承を、若松で歴史文化講演会:福島民友ニュース:福島民友新聞社 みんゆうNet

 約450人が来場した。会津松平家14代当主の松平保久(もりひさ)氏(64)、庄内酒井家18代当主の酒井忠久氏(72)、仙台伊達家18代当主の伊達泰宗氏(59)、二本松丹羽家18代当主の丹羽長聰(ながとし)氏(74)、米沢上杉家17代当主の上杉邦憲氏(75)、盛岡南部家46代当主の南部利文氏(48)が登壇し、在京の会津出身者でつくる「会津会」会長の柳沢秀夫氏(65)が加わった。進行役は漢字文化振興協会の白石宗靖(むねはる)常務理事・事務局長(85)が務めた。

 松平氏は「戊辰戦争は明確な侵略戦争。民に塗炭の苦しみを与えることが分かっていて、なぜ推し進めたのか理解できない」と指摘

 討論に先立ち、徳川宗家18代当主で徳川記念財団理事長の徳川恒孝(つねなり)氏(78)が「江戸時代に築かれた日本の基礎」の題で講演

 

丹羽霊祠殿【丹羽神社】から戊辰戦争の二本松藩戦死者の霊牌が多数見つかる(2018年8月)丹羽霊祠殿は昨年、丹羽家から二本松市に寄贈とのこと

 二本松藩戦死者の霊牌発見 戊辰戦争、80柱を等しく慰霊:福島民友ニュース:福島民友新聞社 みんゆうNet

 

 福島県二本松市の霞ヶ城公園(二本松藩主丹羽家の居城)にある丹羽霊祠殿(にわれいしでん : 通称:丹羽神社)から、戊辰戦争の二本松藩戦死者の霊牌が多数見つかったそうです。

 戊辰50年の慰霊祭(戊辰殉難士五十年祭?)に合わせたものとみられており、霊牌は全て同じ形だったことから(?)二本松市の担当者は「身分で区別していない」とし、二本松藩主丹羽家第18代当主丹羽長聰氏(にわ ながとし)もコメントしています。

 

 戊辰五十年となると、もう大正ですが……。

 そして、四分の一程度の霊牌が遺族の手に渡らずに残っていた、ということになるわけですが、元の上級武士から農民にいたるまで四分の一の遺族・子孫が慰霊祭に参加していなかったということになるのでしょうか(それとも四分の三も参列したとみるべきか)。

 残されていた霊牌の中に大目付軍監として出陣したらしい上級武士の丹羽舎人という表記の人物がいるようです。
 身分と「丹羽」から藩主と同族かとも思われますが……。