訃報(2025年5月15日):オルレアン=ブラガンサ公女クリスティーナ殿下が薨去(1950~2025)ブラジル皇帝ペドロ2世の玄孫、ブラジル帝室ペトロポリス系統当主ペドロ・カルロス殿下の妹、サピエハ家の最年長系統の男系男子だった故ヤン・パヴェウ閣下の元妻

訂正(2025年5月17日):
 ヤン・パヴェウ公子とは1988年に離婚している為、関連する部分を訂正しました。

 2025年5月15日、オルレアン=ブラガンサ公女クリスティーナ殿下(Her Royal Highness Princess Cristina of Orléans-Braganza : ドナ・クリスティーナ・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサDona Cristina de Orleans e Bragança)が薨去したようです。
 1950年10月16日生まれの74歳。
 腹部手術からの回復中に心肺停止となったと報じられています。

 ブラジル皇帝ペドロ2世の玄孫。
 ブラジル帝室のうち、年長系統のペトロポリス系統に属しています。現在のペトロポリス系統当主ペドロ・カルロス(ペドロ・カルルシュ)殿下の妹。

 リトアニア=ポーランドの名族サピエハ家のサピエハ=ロザンスキ公子ヤン・パヴェウ閣下(His Serene Highness Prince Jan Paweł Sapieha-Różański)と結婚し(1988年離婚・同閣下は2021年薨去)、アンナ・テレサ公女とパオラ・マリア公女の二人の娘がいます。

 

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 (ポルトガル語)Em Petrópolis, morre Dona Cristina de Orleans e Bragança, aos 74 anos – Diário do Rio de Janeiro
 (ポルトガル語)Cristina de Orleans e Bragança, bisneta da princesa Isabel e tataraneta de D. Pedro II, morre em Petrópolis | Região Serrana | G1
 (ポルトガル語)Morre Cristina de Orleans e Bragança, herdeira da monarquia brasileira
 (ポルトガル語)Urgente! Cristina de Orleans e Bragança, Bisneta de Princesa Isabel, morre em Petrópolis
 (ポルトガル語)Cristina de Orleans e Bragança morre aos 74 anos após complicações em cirurgia
 (ポルトガル語)Morre em Petrópolis Cristina de Orleans e Bragança
 (ポルトガル語)Morre, aos 74 anos, Cristina de Orleans e Bragança | Tribuna de Petrópolis
 (ポルトガル語)Morre Cristina de Orleans e Bragança, bisneta da princesa Isabel – BossaNews Brasil
 (ポルトガル語)Morre Cristina Orleans e Bragança, bisneta de Isabel, aos 75 anos
 (ポルトガル語)Morre Cristina de Orleans e Bragança, bisneta da princesa Isabel
 (ポルトガル語)Morre Cristina de Orleans e Bragança, bisneta da princesa Isabel e trineta de D. Pedro II

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関連:
 訃報(2021年8月6日):サピエハ=ロザンスキ公子ヤン・パヴェウ閣下【ジョン・ポール・サピエハ】が薨去(1935~2021)サピエハ家の最年長系統の男系男子

訃報(2021年7月20日):エルジュビェタ・ラジヴィウ公女、薨去(1917~2021)世界遺産「ネスヴィジ城」に居住していたことがある最後の一人

 2021年7月20日、エルジュビェタ・ラジヴィウ公女(Princess Elżbieta Radziwiłł)が薨去したようです。
 生年は複数の情報がありますが、1917年の9月以降だろうということで、103歳となります。
 ポーランド・リトアニアの名族、ラジヴィウ家の一員で、現在のベラルーシにある世界遺産「ネスヴィジ城」に居住していたことのある人物では最後の一人のようです。ソ連軍(赤軍)による城の接収時には、父の故アルプレヒト・アントニ・ラジヴィウ公子が所有していたと思われます(当時は父母の離婚により公女は定住していなかったのではないかと)。

 

 (ポーランド語)Nie żyje Elżbieta Radziwiłł. Ostatnia, dla której zamek w Nieświeżu był po prostu domem – Kresy24.pl – Wschodnia Gazeta Codzienna

Kresy24.plさんはTwitterを使っています 「Nie żyje Elżbieta Radziwiłł. Ostatnia, dla której zamek w Nieświeżu był po prostu domem – https://t.co/4xL7QLVoKR https://t.co/H9EYAl1qcJ」 / Twitter

訃報(2021年8月6日):サピエハ=ロザンスキ公子ヤン・パヴェウ閣下【ジョン・ポール・サピエハ】が薨去(1935~2021)サピエハ家の最年長系統の男系男子

 2021年8月6日、サピエハ=ロザンスキ公子ヤン・パヴェウ閣下(His Serene Highness Prince Jan Paweł Sapieha-Różański)が薨去した模様です。
 1935年8月26日生まれという情報がこれまで出ているものですが、9月26日という可能性も出ています。

 法律上の名前は、英国に移住した時にジョン・ポール・サピエハJohn Paul Sapieha)となったと見られ、またその後にブラジルに移住したときにどうなっているのかは不明です。ただブラジルのポルトガル語系メディアでもジョン・ポール・サビエハと英語式ファーストネームで表記されており(発音はわかりませんが)、変更はないのではないかと思います。

 同公子はリトアニア=ポーランドの名族サピエハ家の最年長系統の男系男子と思われます。
 2回結婚しており、最初の結婚がロンドンでおこなわれ、マイケルMichael)という男子が英国で生まれています。この人物が今後、最年長系統の男系男子ということになるでしょう。
 また2回目の結婚は、(旧)ブラジル帝室ペトロポリス系統の当主の妹であるオルレアン=ブラガンサ公女クリスティーナ殿下が相手で、女子が二人生まれています。次女のパオラ・マリア・ボルボン・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサ・サピエハ公女閣下(Her Serene Highness Princess Paola【Paolla】 Maria Bourbon de Orleans e Bragança Sapieha)は工業デザイナーやモデルなどの仕事を経験し、同じくポーランドの名族シフャトペウク=チェトヴェルチンスキ公子コンスタンティン閣下(ティンコ・チェトヴェルチンスキ)と結婚したようです。同閣下はベルギー貴族に編入されており、パオラ公女もベルギー貴族ということになるでしょう。

 

 (ポーランド語)Jan Paweł Sapieha, cała Polska, 13.08.2021 – pozostałe

結婚(2018年8月):ウラッハ公子アンゼルム殿下とクララ・フォン・ケンピス。アンゼルム殿下は、一時期「リトアニア王位継承者」を称していた(今も?)イニゴ殿下の次男

 2018年8月の最終週の週末に、ウラッハ公子アンゼルム殿下(His Serene Highness Prince Anselm of Urach : アンゼルム・フュルスト・フォン・ウラッハAnselm Fürst von Urach)とクララ・フォン・ケンピスClara von Kempis)の結婚式がおこなわれたようです。

 

 アンゼルム殿下の系統は、ヴュルテンベルク王室の貴賤結婚の子孫で、1918年に設立が計画されたリトアニア王国の王に選出されたウラッハ公爵ヴィルヘルム・カール殿下(リトアニア王ミンダウガス2世)の子孫でもあります。
 父、ウラッハ公子イニゴ殿下は、(兄の現・ウラッハ公爵カール・アンゼルム殿下の結婚がリトアニア王室法を満たしていないことを理由に)数年前にリトアニア王位継承者であることを宣言して活動を始めましたが、その後、特に情勢が報じられていないようです。

 

 クララ・フォン・ケンピスのほうですが、詳細な系譜はわかりませんが、フランス併合下の1797年の短期間にケルン市長を務めたマクシミリアン・フォン・ケンピスMaximilian von Kempis)という人物の同族かもしれません。
 いずれにせよ、貴族かどうかも確認できていません。

 

Vanity Fair(英語)記事:“There’s Nothing Wrong with Falling from Grace”(2018年)君主政復活・王室支持の話と、エチオピア帝室のエルミアス・サーレ=セラシエ皇子殿下とニコライ・トルストイ伯爵子の話題など

 (英語)“There’s Nothing Wrong with Falling from Grace”: The Global Network of Monarchists Helping Deposed Kings and Queens | Vanity Fair
 (英語:上記からニコライ・トルストイ伯爵子に関する部分の一部を抜き出したもの)Count Nikolai Tolstoy on Russian Monarchy and the Romanovs | Royal Russia News

 

 冒頭は、ルーマニア王女マルガレータ殿下(当時)から連絡を受けた人物の話、君主政復活・王室支持の話と、エチオピア帝室のエルミアス・サーレ=セラシエ皇子殿下(His Imperial Highness Prince Ermias Sahle-Selassie)とニコライ・トルストイ伯爵子(Count Nikolai Tolstoy)の話題などが中心となっています。

 

 エルミアス・サーレ=セラシエ皇子殿下は故エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世陛下の孫ですが、一般的にエチオピア帝室の当主とされていません。
 しかし、この記事のように、帝室の代表者として活動しているとみる立場もあるようです。

 

 ニコライ・トルストイ伯爵子の話の一部には、“Pretender【プリテンダー】”という用語に関するものがあります。
 いうまでもなくこの言葉は中立的ではないものですが、Wikipedia英語版のせいか、この言葉が使用されるケースが多い気します(上記の記事すらそうなのですが)。
 そのもっともアホらしい例は、リトアニアの王位継承者を称して活動を始めたウラッハ公子イニゴ閣下(His Serene Highness Prince Inigo of Urach)のものらしきサイト(すぐに更新止まりましたけれど)に、イニゴ閣下をリトアニア王位の“legitimate pretender”とする表記があったことです。もちろんこれは、イニゴ閣下を正当な王位継承者と表現したかったのでしょうが、pretenderに「不当」である意味がありlegitimateに「正当」である意味があることを考慮すれば、ギャグのような言葉の並びです。
 中立的というかなんと表現すればいいのかわかりませんが、“Claimant【クレイマント】”という用語がありますが、一般的の人にはなじみがなく、また、正直これが本当に中立な用語なのか首をかしげるときもあります。日本語で“王位請求者”と(訳して)書いている例がありますが……コメントは避けます
 伯爵子は“Heir【エア】”を使っているようですが、当方でも「(王位)継承者」などこの用語を意識して書いています。この用語が実は一番便利です。曖昧さを許容するという意味でも。pretenderはそもそも本人が称していないのにこう書くのは名誉棄損みたいなものですし、claimantも本人が称していない場合はどうなのか、よくわからない部分があります。