婚約(2019年1月):ナポレオン公ジャン=クリストフ皇子殿下とアルコ=ツィネベルク伯爵女オリンピアが2019年1月に婚約していたとの情報

 ナポレオン公ジャン=クリストフ皇子殿下(Jean-Christophe : His Imperial Highness The Prince Napoléon)が、アルコ=ツィネベルク伯爵女オリンピア(Countess Olympia of Arco-Zinneberg : オリンピア・グレフィン・フォン・ウント・ツー・アルコ=ツィネベルクOlympia Gräfin von und zu Arco-Zinneberg)と2019年1月にスイスで婚約したという情報が出ています。

 

 (英語)Royal Musings: EXCLUSIVE: Royal engagement: Countess Olympiia to wed Jean Christophe

 

 ジャン=クリストフ殿下は、ナポレオン1世の弟ジェロームの子孫で、現在、フランス帝室当主及びフランス帝位継承者・ナポレオン公の地位について(亡祖父が父シャルル殿下の再婚に関しジャン=クリストフ殿下を後継指名したため)理屈上は争いになっています。
 母親はブルボン=両シチリア王女ベアトリーチェ殿下(Her Royal Highness Princess Béatrice of Bourbon-Two Sicilies)です。

 

 オリンピア伯爵女は、オーストリア、バイエルン、イタリアなどに関連する貴族の家柄で、母親はハプスブルク家出身(現当主カール大公殿下のいとこ)。

 

追記:
 ベルギー紙で記事が出ました。

 (フランス語)Jean-Christophe Napoléon et Olympia d’Arco-Zinneberg: grand mariage en vue! – La Libre

 ジャン=クリストフ殿下が、ベルギー王レオポルド2世陛下の子孫という中見出しです。

 

関連:
 ナポレオン公ジャン=クリストフ皇子殿下との婚約が報じられたアルコ=ツィネベルク伯爵女オリンピアの車から宝石(?)が盗まれたとの報道(2019年4月)フランス皇帝ナポレオン3世陛下の后ウジェニー陛下のティアラにも使用されたものらしく最低でも1億円以上とのこと

 

訃報(2019年2月19日):“サー”・マイルズ・ハンティントン=ホワイトリー準男爵(第4代)、卒去(1929~2019)母方の祖父はスタンリー・ボールドウィン英国首相(伯爵)。モデルのロージーは従弟の孫

 2019年2月19日、英国の連合王国準男爵、“サー”・(ジョン・)マイルズ・ハンティントン=ホワイトリー準男爵(Sir (John) Miles Huntington-Whiteley, 4th Baronet, Lt Cdr RNR, VRD and Two Clasps)が卒去したようです。
 1929年7月18日生まれの89歳。

 第2代準男爵の三男で、母のマーガレットは、英国首相を務めたスタンリー・ボールドウィン(初代ボールドウィン・オブ・ビュードリー伯爵)の娘。
 モデルのロージー・ハンティントン=ホワイトリーRosie Huntington-Whiteley)は従弟の孫のようです。
 初代準男爵の兄は初代マーチャムリー男爵。

 また、1960年に、カステル=リューデンハウゼン伯女ヴィクトリア殿下と結婚しています。

 卒去に伴い、子息のレオポルドLeopold)が第5代準男爵となると思われます。

 

 (英語)HUNTINGTON-WHITELEY – Deaths Announcements – Telegraph Announcements

 

婚約発表(2018年10月):カステル=リューデンハウゼン公オットー殿下とゾフィア・マウトナー・フォン・マルクホーフ

 カステル=リューデンハウゼン公オットー殿下(Otto : His Serene Highness The Prince of Castell-Rüdenhausen : オットー・フュルスト・ツー・カステル=リューデンハウゼンOtto Fürst zu Castell-Rüdenhausen)とゾフィア・マウトナー・フォン・マルクホーフSophia Mautner von Markhof)の婚約が発表されたようです。

 オットー殿下は1985年5月31日生まれの33歳。
 マウトナー・フォン・マルクホーフ家は、オーストリア貴族の家系だと思います。

 来年夏挙式予定のようです。

 

 (ドイツ語)Markt Rüdenhausen | Gemeinde im Landkreis Kitzingen | Aktuelles | Das Schloss zeigt Flagge – des Rätsels Lösung!

 

続報:
 結婚(2019年6月15日):カステル=リューデンハウゼン公オットー殿下とゾフィア・マウトナー・フォン・マルクホーフ

 

訃報(2018年9月2日):マヌエラ・フライフラウ・フォン・ペルファル・デ・ザイフ・ナセリ、卒去(1952~2018)バイエルンのグライフェンベルク城の所有者一族

 2018年9月2日、ドイツ連邦共和国バイエルン州のグライフェンベルクで、グライフェンベルク城を所有してきたペルファル家の一員のマヌエラ・フライフラウ・フォン・ペルファル・デ・ザイフ・ナセリManuela Freifrau von Perfall de Seif Nasseri)が卒去した模様です。
 1952年7月25日生まれの66歳。
 犬が好きで、著書もあったようです(Amazon.co.jp 「Manuela von Perfall」の検索結果)。

 名前ですが、長めの表記だと上記のようになっていますが、下記記事などでは短く「マヌエラ・フライフラウ・フォン・ペルファルManuela Freifrau von Perfall)」となっています。
 ザイフ・ナセリはすでになくなっている夫の姓のようなので、結婚時にこのようにしたのではないかと思います。

 ペルファル家はバイエルンの古い貴族の家柄で、同地を入手してから長期間統治していました。
 兄二人とその子孫が存命とのことで、グライフェンベルク城自体は兄が所有しているのではないかと思います。

 

 (ドイツ語)Manuela Freifrau von Perfall aus Greifenberg gestorben | Landsberg

 

訃報(2018年9月6日):フランツ・ゲオルク・デッペル・フォン・ヒルシュベルク氏が自邸で死亡しているのが見つかる(?~2018)

 2018年9月6日夕方、フランツ・ゲオルク・デッペル・フォン・ヒルシュベルク氏(Franz Georg Döpper von Hirschberg)が、ドイツ連邦共和国のウンターヴィルデナウにある自邸で亡くなっているのが発見されたそうです。54歳。
 捜査がおこなわれているようですが、最近体調がすぐれていなかったとも報道されています。
 同所でおこなわれる予定だった祭典は延期になった模様。

 同邸宅の所有者である母の、マリア・ドロレス・カタリナ・フライフラウ・デッペル・フォン・ヒルシュベルクMaria Dolores Katharina Freifrau Döpper von Hirschberg)は病院に運ばれているとのことですが……。
 (1928年8月14日生まれの90歳)。

 

 (ドイツ語)Schlossherr Franz Georg Döpper von Hirschberg tot | Oberpfalz TV
 (ドイツ語)Der "Baron" ist tot | Onetz

 

Onetz – Seit einiger Zeit war der "Baron" gesundheitlich… | Facebook

 

 この邸宅ですが、母方のヒルシュベルク家、「フライヘル(Freiherr)」の称号を持っているところが受け継いできたものではないかと思います。
 父の故テオドル・デッペル氏(Theodor Döpper)の家系についてはわかりませんが、貴族であるという情報はありません。

 今回亡くなったフランツ・ゲオルク・デッペル・フォン・ヒルシュベルク氏は、記事からは「Baron」というあだ名(?)で呼ばれていたようですが、父方が貴族でない以上、伝統的には彼も貴族とは分類されず、いわゆる「非貴族の貴族風名前所持者」ではないかと思われます(まだデッペルの系統が不明なのではっきりとはいえませんが)。
 また、フォン・ヒルシュベルク(またはデッペル・フォン・ヒルシュベルク)という名については、母方の名前を使用することは現在のドイツの法律では問題のないことなので、なにかを詐称しているというわけではありません。