訃報(2020年11月2日):ハプスブルク=ロートリンゲン家のハンガリー王女シャロルタ殿下が薨去(1940~2020)故・テシェン公アルプレヒト・フランツ大公殿下の長女

 2020年11月2日、オーストリア大公女シャロルタ殿下(オーストリア皇女 : ハンガリー王女 : ベーメン王女 : Her Imperial and Royal Highness Archduchess Sárolta of Austria, Princess Imperial of Austria, Princess Royal of Hungary and Bohemia)が薨去しました。
 1940年3月3日生まれの80歳。

 

 (英語)Eurohistory: The Passing of Archduchess Sárolta of Austria (1940-2020), Daughter of the Last Duke of Teschen
 (フランス語)Hommages – Pour que son souvenir demeure: Sárolta v.H.-L. WUTHOLEN

 

 父はハプスブルク家のテシェン公アルプレヒト・フランツ大公殿下で、両親の結婚は貴賤結婚のため、シャロルタ殿下と妹のイルディコ殿下は当時の当主オットー殿下よりハプスブルク伯女の称号を受けています。
 また、国王のいないハンガリー王国の摂政だったホルティ・ミクローシュより、アルプレヒト・フランツ大公殿下はハンガリー王子として認められており、その娘として姉妹もハンガリー王女ということになります(これはオットー殿下の認めたものではありません)。
 加えて、21世紀に入ってハプスブルク=ロートリンゲン家の当主によって結婚に関する制限が大幅に緩められ、過去の貴賤結婚についてもあらためて承認されている状況であり(故オットー殿下が決めたのか現当主のカール大公殿下が決めたのかはっきりしないという状況ですが)、シャロルタ殿下の両親の結婚もこれに該当するとみられています。

 家族によると、当人はこれらの称号について特に使用したことはないようです。
 これは良くある、当人が興味を持っていない事例にも思えますが、一方でご本人は歴史やハプスブルクに興味のある様々な人々と会見していたようです。
 ホルティ摂政の承認した称号を使用するのはホルティ時代の政治を支持していると取られる可能性もありますし、また(結婚制限が緩められる前の状態では)当主のオットー大公殿下の権限に挑戦しているとも取れます(オットー殿下にはハプスブルク伯女の称号しか認められていない)ので、慎重に行動していたということかもしれません。

 

ハプスブルク家のエドゥアルト大公殿下(ローマ教皇聖座駐箚ハンガリー大使)が、オーストリア皇帝福者カール1世と皇妃ツィタの結婚式当日の短い映像をTwitterに投稿(2020年10月)

 ローマ教皇聖座駐箚/マルタ騎士団駐箚のハンガリー特命全権大使、オーストリア大公エドゥアルト殿下(オーストリア皇子 : ハンガリー王子 : ベーメン王子 : His Imperial and Royal Highness Archduke Eduard of Austria, Prince Imperial of Austria, Prince Royal of Hungary and Bohemia : エドゥアルト・フォン・ハプスブルクEduard von Habsburgエドゥアルト・ハプスブルク=ロートリンゲンEduard Habsburg-Lothringen)が、自身のツイッターアカウントに、オーストリア皇帝福者カール1世と皇妃ツィタの結婚式当日の短い映像をアップロードしています。

 

Eduard HabsburgさんはTwitterを使っています 「21st of October, the wedding day of Blessed Emperor Karl and Zita: here's a super rare little video clip of a private moment on a balcony the evening before their wedding! https://t.co/KMAU11Ydiz」 / Twitter

 

訃報(2020年9月29日):元ホーエンベルク公子妃クリスティーネ、薨去(1945~2020)

 2020年9月29日、クリスティーネ・ホーエンベルクChristine Hohenberg)の死亡告知が掲載されています。

 

 (ドイツ語)Trauer: Mag. Christine Hohenberg | SN.at

 

 おそらく、1970年に故ホーエンベルク公子ペーター閣下と結婚し、二女を儲けた後に1980年に離婚した人物かと思われます(離婚後も姓を使用)。
 1945年4月27日生まれの75歳。

 ペーター閣下は、オーストリア皇帝位などを継承するはずだったハプスブルク家のフランツ・フェルディナント大公殿下の貴賤結婚の孫です。

 

関連:
 訃報(2017年12月6日):ホーエンベルク公子ペーター閣下、薨去(1936~2017)

 

訃報(2020年9月8日):テーリンク=イェッテンバッハ伯子妃マリア・インマクラータ殿下が薨去(1921~2020)オーストリア大公女マリア・アリーツェ殿下の長女。ミオパチーなどの人々を支援する非営利団体「DGM」の創始者

 2020年9月8日、テーリンク=イェッテンバッハ伯子妃マリア・インマクラータ殿下(Her Illustrious Highness Countess Maria Immaculata of Toerring-Jettenbach : マリア・インマクラータ・グレフィン・ツー・テーリンク=イェッテンバッハMaria Immaculata Gräfin zu Toerring-Jettenbachマリア・インマクラータ・フライイン・ヴァルトボット・フォン・バッセンハイムMaria Immaculata Freiin Waldbott von Bassenheim)が薨去したようです。
 1921年7月27日生まれの99歳。

 母はテシェン系統のハプスブルク家/オーストリア大公女マリア・アリーツェ殿下。

 

 (英語)Eurohistory: + Countess Maria Immaculata zu Toerring-Jettenbach (1921-2020)

 

 ミオパチーなどの人々を支援する非営利団体「DGM」の創始者のようで、同団体が訃報を出しています。

 (ドイツ語: DGM 公式サイト)DGM-Gründerin Maria Gräfin zu Toerring-Jettenbach verstorben | Deutsche Gesellschaft für Muskelkranke e.V. (DGM)

Wir erhielten die traurige Nachricht,… – Deutsche Gesellschaft für Muskelkranke e.V. DGM | Facebook

 

結婚式(2020年9月12日):ブルボン=パルマ公子アンリ殿下とオーストリア大公女ガブリエラ殿下。ハプスブルク、ルクセンブルク、リヒテンシュタイン各家から参列者

 2020年9月12日、ブルボン=パルマ公子アンリ殿下(His Royal Highness Prince Henri of Bourbon-Parma)とハプスブルク家/オーストリア大公女ガブリエラ殿下(Her Imperial and Royal Highness Archduchess Gabriella of Austria)の結婚式がおこなわれました。

 アンリ殿下は1991年生まれ。
 ガブリエラ殿下は1994年生まれ。母はルクセンブルク大公女マリー・アストリッド殿下です。
(二人の間には2017年にヴィクトリア嬢が生まれていますが、結婚前の子供となりますので、もちろんパルマ公室の一員とはなりません)

 ガブリエラ殿下は、ルクセンブルク女大公マリー=アデライードのティアラを使用した模様。

 ハプスブルク家、ルクセンブルク大公室、リヒテンシュタイン公室などから多数の参列者があったようです。

 

 (英語)Eurohistory: The Marriage of Prince Henri of Bourbon-Parma and Archduchess Gabriella of Austria
 (英語)Bourbon de Parme & Austria – A true royal match

 (フランス語)Secret de robes de mariée: Gabriella d'Habsbourg-Lorraine et Diane Lelys – Point de Vue
 (フランス語)Gabriella d’Autriche et Henri de Bourbon-Parme, mariage impérial au Tyrol – Point de Vue

 (ルクセンブルク語)RTL – Royal Hochzäit: De Prënz Henri vu Bourbon-Parma huet d'Äerzherzogin Gabriella bestuet

 

Louise G.さんはTwitterを使っています 「#RoyalWedding Exclusive: Archduchess Gabriella of Austria and HRH Prince Henri of Bourbon-Parma tied the knot yesterday at Schloss Tratzberg in Jenbach, Austria. She is wearing The Grand Duchess Adelaide Tiara. https://t.co/jY7gTUNyTN https://t.co/mUvfF5FIYO」 / Twitter

 

N.D. Ilaria A. Lunati AragonaはInstagramを利用しています:「#RoyalWedding HI & RH Archduchess Gabriella d’Austria e HRH Prince Henri of Bourbon-Parma si sono sposati ieri a Schloss Tratzberg in…」

 

⚜️ Madameei ⚜️はInstagramを利用しています:「#RoyalWedding Archduchess Gabriella of Austria, Prince Henri of Bourbon-Parma, their daughter Victoria with Gabriella’s parents Archduke…」

 

参列者:
 司式者の一人、パウル・ハプスブルク司祭(ハンガリー副王系統)

新郎の母:
 ホルスタイン=レドレボー伯爵女リュディア(ホルシュタイン=レドレボルク伯爵女リディア

新婦の父母:
 オーストリア大公カール・クリスティアン殿下と大公妃マリー・アストリッド殿下(ルクセンブルク大公女)

新郎側親族:
 新郎の兄/ブルボン=パルマ公子ミシェル殿下
 新郎の甥(姉の子)マーク・ブルボン=パルマ
 新郎のはとこ夫婦/ジャック・ブルボン=パルマ氏とアンナ=ルイーズ・パルマ夫人
 新郎のはとこ/ジョゼフ・ブルボン=パルマ
 新郎のおば/ホルスタイン=レドレボー伯爵女アントーニア(ホルシュタイン=レドレボルク伯爵女)

新婦側親族:
 新婦の従兄オーストリア大公フランツ=ルートヴィヒ殿下
 新婦の叔母夫婦/ルクセンブルク大公女マルガレータ殿下と夫のリヒテンシュタイン公子ニコラウス殿下
 新婦の従弟ルクセンブルク大公子セバスチャン殿下
 新婦の義兄リンブルク=シュティルム伯爵子ロドルフ

※後で追記します。