誕生(2012年12月14日):サヴォイア=アオスタ公女イザベッラ殿下

 イタリア王位を主張する一人アメデオ殿下を支援するウェブサイトによると、殿下の長男アイモーネ殿下とオルガ妃殿下の間に第三子・長女となる公女殿下が誕生とのこと。名前はまだ不明(追記:イザベッラと命名された模様)。

 オルガ妃殿下の御懐妊については情報がまったく流れていなかったため、突然のニュースとなっています。

 

 (イタリア語)U.M.I. – UNA NUOVA PRINCIPESSA IN CASA SAVOIA
※サイトの活動が終了し、ニュース掲載ページが閲覧できなくなっているのでリンクをはずしておきます。
 イタリアの王政復古支持者が運営しており、今はその人物(故人)を記念するサイトになっているようです:
 (イタリア語)Sergio Boschiero – Monarchia.it

 

英国王室のケンブリッジ公爵夫人(キャサリン妃)殿下が懐妊(2012年12月)

 英国王室のケンブリッジ公爵夫人(キャサリン妃)殿下の懐妊が発表されました。
 ケンブリッジ公爵(ウィリアム王子)・同夫人(キャサリン妃)両殿下の第一子となります。

継承順位
生まれてくる子供は性別にかかわらず、英国王位継承順位第3位。
現行法のままだと女子の場合は弟が生まれた場合には継承順位が下がりますが、現在進行中の法改正が成立して絶対長幼制に変更された場合は、3位のままとなります。

称号・敬称
男子の場合、自動的に HRH Prince X of Cambridge (ケンブリッジ公爵家~王子殿下)と呼ばれることになるはずですが、女子の場合は自動的に Princess(王女) にはなりません(が、将来の王位継承者なので勅令によって付与されるのでは)。

 

 CNN.co.jp : 英キャサリン妃が妊娠 つわり重く入院
 英ウィリアム王子の妻、キャサリン妃が懐妊 重いつわりで入院 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News

 (英語 ニュース動画あり)Kate and William: Duchess pregnant, palace says – BBC News

スペイン王妃ソフィア陛下、英国女王エリザベス2世陛下即位60周年記念昼食会出席を取りやめに。ジブラルタル問題が影響か(2012年5月)

 英国女王エリザベス2世陛下の即位60周年記念昼食会に出席予定だったスペイン王妃ソフィア陛下が、出席を取りやめるとのこと。
 ジブラルタル問題が影響しているとの報道が出ています。

 

 女王陛下の次男、ウェセックス伯爵エドワード王子殿下がジブラルタルを訪問する予定があり、それが影響しているとの報道があります。

 

映像(ROME REPORTS):現在も統治を続けるヨーロッパの王室のキリスト教の宗派(2011年9月)

 ROME REPORTSに、現在も統治を続ける欧州の王室のキリスト教の宗派を紹介する短い映像があったので貼り付けておきます。

 

ROME REPORTS in English:
Royal families and their religion – YouTube

 

 ローマ・カトリック教会:
 スペイン王室
 ベルギー王室
 ルクセンブルク大公室
 モナコ公室
 リヒテンシュタイン公室

 ルター派(ルーテル派):
 ノルウェー王室
 デンマーク王室
 スウェーデン王室
 オランダ王室(オランダ・プロテスタント教会は他の教派も合流したもの)

 英国国教会(イングランド国教会):
 英国王室

 

訃報(2007年3月31日):ウシハ首長デービッド・キダハ・マクワイア、薨去(1922~2007)

 2007年3月31日、現・タンザニア連合共和国内の、ウシハ首長デービッド・キダハ・マクワイア(Chief David Kidaha Makwaia)が薨去した模様です。
 1922年5月7日生まれの84歳。

 1945年にスクマ人(スクマ族)のウシハ首長の地位を継承、50人以上の首長たちから構成されるスクマ人の最高首長となり、タンガニーカ立法会議のアフリカ人の最初の出席者たちの一人となります(立法会議での地位は1958年まで)。
 1953年までに東アフリカでもっとも力のある首長の一人となり、タンガニーカ総督“サー”・エドワード・トワイニング(Sir Edward Twining : のちに一代貴族のトワイニング男爵 : 総督任期:1949~1958)とも親交を深め、いくつかの公的な地位を得ています。
 1953年の英国女王エリザベス2世陛下の戴冠式の賓客。
 1954年に植民地政府で働くために、ウシハ首長の地位を弟フセインに譲る。
 この頃、キリスト教のローマ・カトリックに改宗し、デービッドとポウルという名前(洗礼名?)を自分に加え、以後デービッド・キダハ・マクワイアと呼ばれるようになる。
 1961年にタンガニーカは独立。彼とも親交のあったジュリウス・ニエレレ首相は首長の社会的指導者の地位を廃止して、彼と弟フセイン首長を遠い地区へ追放した。
 2005年に弟のフセイン首長が薨去し、ウシハ首長に復位。子息二人が生存しているようで、ウシハ首長位を継承する可能性あり。