旧ブルガリア王シメオン2世陛下がまた本を出した模様(2018年9月)

 旧ブルガリア王シメオン2世陛下(His Majesty King【Tsar】 Simeon II of the Bulgarians : 元ブルガリア共和国首相シメオン・サクスコブルクゴツキSimeon Saxe-Coburg-GothaSimeon Sakskoburggotski)が、また本を出したようです。
 表紙に「H.M. King Simeon II ONE PURPOSE-BULGARIA」とありますが、(少なくともまだ)ブルガリア語版しかないのではないかと思います。

 

ジャーナリスト執筆の序文抜粋?:
 (英語:ブルガリア王室公式サイト)Preface to the book of articles of King Simeon II “One purpose-Bulgaria” from Krasina Krasteva, journalist « H.M. King Simeon II

 

Основополагащ принцип на Симеон II за „… – Н.В. Цар Симеон ІІ | Facebook

 

出版記念パーティーの様子:
Изказване на Негово Величество Цар… – Н.В. Цар Симеон ІІ

 

ベルギー系メディアの報道によると、ヴェネツィア訪問中の前ベルギー王妃パオラ陛下が脳卒中で入院とのこと(2018年9月)「重態ではない」との医師のコメント

 前ベルギー王妃パオラ陛下(Her Majesty Queen Paola of Belgium)が、訪問先のイタリア共和国ヴェネツィアで脳卒中のため病院に運ばれたようです。
 医師によれば「重態ではない」とのこと。

 前ベルギー王アルベール2世陛下(His Majesty King Albert II of Belgium)が同行している模様。

 

 (フランス語)La reine Paola victime d'un accident vasculaire cérébral, ses jours ne seraient pas en danger

 

ブルガリアの裁判所が、旧ブルガリア王シメオン2世陛下に対してヴラナ宮殿を政府に“返還”するよう判断(1946年に共産党政権が強制的に接収し、1990年代に憲法裁判所により王室に返還されていた)。陛下と対立している首相の意向を裁判所が丸飲みか。陛下は「またも亡命に追い込まれようとしている」と欧州司法裁判所に提訴を準備(2018年9月)

 ブルガリア語の記事はよくわからなかったので Royal Central の英語の記事になりますが、ここは時々いい加減なことを書くので、注意しつつ情勢を見ていきます。

 

 (英語)Tsar Simeon: “I am being forced into exile again” – Royal Central

 

 Royal Central は完全に旧ブルガリア王シメオン2世陛下(His Majesty King【Tsar】 Simeon II of the Bulgarians : 元ブルガリア共和国首相シメオン・サクスコブルクゴツキSimeon Saxe-Coburg-GothaSimeon Sakskoburggotski)の側を支持しています。

 ヴラナ宮殿は、1946年に共産党政権が強制的に接収し(シメオン2世陛下は亡命)、共産主義政権崩壊後の1990年代に憲法裁判所により王室に返還されていたようです(陛下と姉のブルガリア王女マリヤ・ルイザ殿下(コハーリ女公 : Her Royal Highness Princess Maria Louise of Bulgaria, Princess of Koháry【Fürstin Koháry】)に返還)。
 その後、公園部分がソフィア市に寄贈。
 シメオン2世陛下と旧ブルガリア王妃マルガリータ陛下(Her Majesty The Queen【Tsaritsa】Margarita of the Bulgarians : マルガリータ・サクスコブルクゴツカMargarita Saxe-Coburg-GothaMargarita Sakskoburggotska)が暮らしています。

 憲法裁判所の判断が覆されたとすると、同じく憲法裁判所の判断なのかと思いますが、上記の記事からははっきりしません。

 また同記事によれば、(今のところなぜか名前をはっきり書いていませんが)、ボイコ・ボリソフ首相(Boyko Borisov)の意向を裁判所が丸飲みしたように受け取れます。

 陛下は「またも亡命に追い込まれようとしている」と発言し、欧州司法裁判所への提訴を準備。
 首相の意向を裁判所が丸飲みしたと判断されれば、権力の分立が崩れており、欧州連合の中で問題視される可能性もあります(今の EU にそんなことしている「体力」があるとも思えませんけれど)。

 はたしてどうなることでしょう。

 

関連:
 インタビュー映像:旧ブルガリア王シメオン2世陛下、ヴラナ宮殿所有問題について(2018年10月)

 

旧ブルガリア王シメオン2世陛下が著書のポルトガル版発行を機に同国を訪問。姪のアレクサンドラ・ナデジダ公女やポルトガル大統領と会見(2018年7月)

 旧ブルガリア王シメオン2世陛下(His Majesty King【Tsar】 Simeon II of the Bulgarians : 元ブルガリア共和国首相シメオン・サクスコブルクゴツキSimeon Saxe-Coburg-GothaSimeon Sakskoburggotski)と旧ブルガリア王妃マルガリータ陛下(Her Majesty The Queen【Tsaritsa】Margarita of the Bulgarians : マルガリータ・サクスコブルクゴツカMargarita Saxe-Coburg-GothaMargarita Sakskoburggotska)は、シメオン2世陛下の著書(自伝)のポルトガル版発行を機にポルトガル共和国を訪問しました。

 姪のアレクサンドラ・ナデジダ公女(Princess Aleksandra Nadejda)や、ポルトガル共和国大統領マルセロ・レベロ・デ・ソウザ教授閣下(マルセロ・ヌノ・ドゥアルテ・レベロ・デ・ソウザ大統領 : His Excellency Prof Marcelo Rebelo de Sousa)と会見した模様。

 シメオン2世陛下は、女系でハンガリー貴族の名門コハーリ家の子孫となっていて、その当主的立場にある、とみなされていたか、本人がそう思っていたか、よくわからないのですが、2012年に出た情報によると、コハーリの称号について、姉のブルガリア王女マリヤ・ルイザ殿下(コハーリ女公 : Her Royal Highness Princess Maria Louise of Bulgaria, Princess of Koháry【Fürstin Koháry】)とその二度目の結婚の子孫に譲ったという状況になっているようです。
 アレクサンドラ・ナデジダ公女はマリヤ・ルイザ殿下の二度目の結婚の第一子で、アレクサンドラ・ナデジダ公女の子供も同じく称号付きで言及されていることがあります。

 

 (英語:旧ブルガリア王シメオン2世公式サイト)THE PRESIDENT OF PORTUGAL H.E. MR. MARCELO REBELO DE SOUSA WAS SPECIAL GUEST TO THE PREMIERE OF THE AUTOBIOGRAPHICAL BOOK OF KING SIMEON IN PORTUGESE « H.M. King Simeon II

 

訃報(2018年7月23日):メクレンブルク公子カール・グレゴール殿下、薨去(1933~2018)

 2018年7月23日、メクレンブルク公子カール・グレゴール殿下(His Highness Duke Carl Gregor【Karl Gregor】 of Mecklenburg : カール・グレゴール・ヘルツォーク・ツー・メクレンブルクCarl Gregor Herzog zu Mecklenburg)が薨去した模様です。
 1933年3月14日生まれの85歳。

 

 (英語)News – Death of Duke Carl Gregor | House of Mecklenburg-Strelitz

 (ドイツ語)In Remplin geborener Herzog zu Mecklenburg gestorben – WELT
 (ドイツ語)Nachruf: Mecklenburgischer Prinz in Baden-Württemberg verstorben | Uckermarkkurier.de
 (ドイツ語)Hechingen: Der trommelnde „Jazz-Herzog“ ist tot | Südwest Presse Online
 (ドイツ語)Traueranzeige von Carl Gregor Hetzog zu Mecklenburg | schwaebische.de Trauerportal

 

 メクレンブルク=シュトレーリッツ大公室の貴賤結婚の子孫で、現在この系統が権利を回復して大公室を形成していると見られています。
 が、カール・グレゴール殿下の父ゲオルク・アレクサンダー殿下は、メクレンブルクの称号や敬称は認められたものの大公室の一員としては認められていなかったとする主張もあり(というか大公室の一員として認められたとする根拠が特にない)、その場合メクレンブルク家の男系男子は消滅し、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公位およびメクレンブルク=シュヴェリーン大公位の権利は、ホーエンツォレルン家当主/プロイセン王室当主のゲオルク・フリードリヒ殿下にあるとされることが多いようです。

 また、シュトレーリッツ系統の主張を認めた場合、全メクレンブルクの権利が当主のボルヴィン殿下にあることになりますが、現状ではメクレンブルク=シュヴェリーン系統の家産などはシュヴェリーン系統長系の男系女子メクレンブルク公女ドナータ殿下(Her Highness Duchess Donata of Mecklenburg)が管理しているとみられており、またドナータ殿下は子息にメクレンブルクの家祖またはその父とされている人物の名前を付けるなど、将来子息を当主とする気を隠そうとしていないように見受けられます。