訃報(2022年6月15日):ザルム=ライファーシャイト=ライツ伯女マリー・エリザベート、薨去(1931~2022)

 2022年6月15日、ザルム=ライファーシャイト=ライツ伯女マリー・エリザベート(Countess Marie Elizabeth of Salm-Reifferscheidt-Raitz : マリー・エリザベート・アルトグレフィン・ツー・ザルム=ライファーシャイト=ライツMarie Elisabeth Altgräfin zu Salm-Reifferscheidt-Raitz)がウィーンで薨去したようです。
 1931年8月17日生まれの90歳。

 ザルム=ライファーシャイト=ライツ公ヒューゴ殿下の伯母です(伯女の弟も父もヒューゴ公でしたが)。

 

 (動画あり:チェコ語)Ve Sloupu se loučili s hraběnkou Salmovou. Ostatky uložili na tamním hřbitově – Blanenský deník

訃報(2022年6月7日):ヴュルテンベルク王室当主/ヴュルテンベルク公カール殿下が薨去(1936~2022)

 2022年6月7日、ヴュルテンベルク王室当主/ヴュルテンベルク公カール殿下(Carl : His Royal Highness The Duke of Württemberg : カール・ヘルツォーク・フォン・ヴュルテンベルクCarl Herzog von Württemberg)が薨去しました。
 1936年8月1日生まれの85歳。

 1959年の兄の権利放棄にともない、ヴュルテンベルク王室当主の地位を継承することになりました。
 2018年に長男で継嗣のフリードリヒ殿下が交通事故で急死、そのためカール殿下の薨去に伴いヴュルテンベルク王室当主の地位は故フリードリヒ殿下の子息でカール殿下の孫にあたるヴュルテンベルク公子ヴィルヘルム殿下(His Royal Highness Duke Wilhelm of Württemberg : ヴィルヘルム・ヘルツォーク・フォン・ヴュルテンベルクWilhelm Herzog von Württemberg)が継承します。同殿下は1994年8月13日生まれの27歳です。

 

 (ドイツ語)Adel – Ravensburg – Carl Herzog von Württemberg gestorben – Panorama – SZ.de

 (ドイツ語)Carl Herzog von Württemberg ist in Altshausen gestorben – SWR Aktuell

 

関連:
 ヴュルテンベルク王室当主/ヴュルテンベルク公カール殿下がビジネスから引退。四男のミハエル公子殿下が一時的に引き継ぎ、最終的には将来の当主のヴィルヘルム殿下が(2020年1月)

訃報(2022年3月29日):フリードリヒ・アウグスト3世の男系男子(貴賤結婚の子孫)でヴェッティン家/ザクセン王室当主を称していたマイセン辺境伯リューディガー殿下が薨去(1953~2022)

 2022年3月29日、マイセン辺境伯リューディガー殿下(Rüdiger : His Royal Highness The Margrave of Meissen, Prince of Saxony, Duke of Saxony : リューディガー・プリンツ・フォン・ザクセンRüdiger Prinz von Sachsen)が薨去したとの情報です。
1953年12月23日生まれの68歳。
 心臓発作による急死とのことです。

 

 (ドイツ語)Rüdiger Prinz von Sachsen stirbt mit 68 Jahren

 

 故リューディガー殿下は、ザクセン王フリードリヒ・アウグスト3世の男系男子の中ではもっとも年長系統ですが、貴賤結婚の子孫のため、特に貴族社会においては当主であるとの支持を広く受けていません(アルベルティン系統ヴェッティン家の一員としての認知すら受けていません)。
 最後の異議の無い当主マリア・エマヌエル殿下の後は女系甥で養子のアレクサンダー殿下が後継者、ないしはアルベルティン系統ヴェッティン家は絶えている、というのが多くの立場です。
 しかし、ザクセンに存在するらしい王党派の中には男系維持を主張してデモを起こした人々もおり(リューディガー殿下を支持していたかどうかはわかりませんが、他に候補はいません)、またメディアでも主張を承認している記事を散見します。
 これには、あるいは、アレクサンダー殿下がドイツに在住しておらず、また継承直後以外は熱心な活動をおこなっていないことが原因かもしれません。

 

 リューディガー殿下の薨去に伴い、長男のダニエル・ティモ殿下(Daniel Timo)が新たに地位を引き継ぎます。

 また、ここ数年でアルベルティン系ヴェッティン家当主をポーランド王にという話題がたびたび出、アレクサンダー殿下とリューディガー→ダニエル・ティモ両殿下が候補として名前が挙がります。

訃報(2022年2月17日):キリスト教/オストラヴァ=オパヴァ司教フランティシェク・ヴァーツラフ・ロプコヴィッツ座下(ロプコヴィッツ公子フランツ殿下)が帰天(1948~2022)ロプコヴィッツ公の弟

 2022年2月17日、キリスト教/ローマ・カトリック教会/チェコ共和国のオストラヴァ=オパヴァ司教フランティシェク・ヴァーツラフ・ロプコヴィッツ座下(Bishop František Václav Lobkowicz, O. Praem., Bishop of Ostrava-Opava)が帰天したようです。
 1948年1月5日生まれの74歳。

 ロプコヴィッツ公ヤロスラフ殿下の弟です。

 

 (チェコ語)Zemřel první ostravsko-opavský biskup František Václav Lobkowicz – Seznam Zprávy
 (チェコ語)Zemřel ostravsko-opavský biskup Mons. František Václav Lobkowicz O.Praem.

訃報(2022年1月10日):オーストリア=エステ大公妃マルゲリータ殿下(サヴォイア=アオスタ公女)が薨去(1930~2022)オーストリア=エステ大公/ベルギー王子ローレンツ殿下の母

 2022年1月10日、オーストリア=エステ大公妃マルゲリータ殿下(サヴォイア=アオスタ公女 : Her Imperial and Royal Highness Archduchess Margherita of Austria-Este : Princess of Savoia-Aosta : マルゲリータ・ディ・サヴォイア=アオスタMargherita di Savoia-Aostaマルゲリータ・エルツヘルツォーギン・フォン・エスターライヒ=エステMargherita Erzherzogin von Österreich-Este)が薨去したようです。
 1930年4月7日生まれの91歳。

 イタリア王室アオスタ系統に生まれ、ハプスブルク家の故オーストリア=エステ大公ローベルト殿下と結婚。
 長男のローレンツ大公殿下はベルギー王女アストリッド殿下と結婚し、後にベルギー王子の称号を得ています。

 

Patto per la CoronaさんはTwitterを使っています: 「Scomparsa la Principessa Margherita di Savoia-Aosta, primogenita di Amedeo, Duca d'Aosta e Viceré d'Etiopia. Aveva 91 anni. Dal matrimonio con Roberto, Duca di Modena e Reggio, nel 1953, era divenuta Arciduchessa d'Austria-Este col trattamento di Altezza Imperiale e Reale https://t.co/46lFuUsCB5」 / Twitter

 

 (フランス語)Décès de la princesse Marguerite d’Autriche-Este – Revue Dynastie
 (フランス語)Margherita d’Autriche-Este, le dernier adieu de sa famille – Point de Vue
 (ドイツ語)Abdankung Erzherzogin Margherita – König Philippe in Muri