離婚(2007年3月):ホーエンツォレルン公子フェルフリート殿下、3度目の離婚

 ホーエンツォレルン公子フェルフリート殿下(His Serene Highness Prince Ferfried of Hohenzollern)が、マヤ・マイナート夫人(Maja Meinert)と離婚したそうです。
 フェルフリート殿下の離婚は今回で三度目。いずれの結婚も貴賤結婚と考えられますが、一度目・二度目の結婚で生まれた子女にプリンス(Prince)・プリンセス(Princess)を用いて表記している情報もあります。

 フェルフリート公子殿下は、ホーエンツォレルン公フリードリヒ・ヴィルヘルム殿下の弟で、1943年4月14日生まれの63歳です。

 

訃報(2007年3月1日):クラリー=アルトリンゲン公マルクス閣下、薨去(1919~2007)

 2007年3月1日、クラリー=アルトリンゲン公マルクス閣下(Marcus : His Serene Highness The Prince【Fürst】 of【von】 Clary-Aldringen)がアメリカ合衆国フロリダ州ボニータ・スプリング市で薨去した模様です。
 1919年9月1日生まれの87歳。
 オーストリア貴族の家系。

 クラリー=アルトリンゲン公位は長男のクラリー=アルトリンゲン伯爵子ヒエロニムス閣下(His Illustrious Highness Count【Graf】 Hieronymus of【von】 Clary-Aldringen)が継承の模様。

 

訃報(2007年2月28日):諫早英雄 氏(旧・男爵?)、卒去(1923?~2007)

 2007年2月28日、諫早英雄氏(旧・男爵?)が卒去した模様。84歳。

 諫早家は龍造寺氏の傍系で、龍造寺四家の一つ。佐賀藩親類同格。
 第19代当主の諫早不二雄男爵が1923年に隠居しているようだが、英雄氏は生まれたばかりのはずなので、このあたりの事情や、本当に男爵を襲爵したのかは不明。

 

訃報(2007年2月28日):ルクセンブルク大公女マリー・アデライード殿下、薨去(1924~2007)

 2007年2月28日、ルクセンブルク大公女マリー・アデライード殿下(ナッサウ公女 : ブルボン=パルマ公女 : ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵子夫人 : Her Royal Highness Princess Marie Adelaide of Luxembourg, Princess of Nassau, Princess of Bourbon-Parma, Countess Henckel von Donnersmarck)が薨去したようです。
 1924年5月21日生まれの82歳。

 

誕生(2007年2月28日):モロッコの“ララ”・カディジャ王女殿下

 2007年2月28日、モロッコ王国のモロッコ王モハメッド6世陛下(ムハンマド6世 : モハメド6世 : His Majesty King Mohammed VI of Morocco)と“ララ”・サルマ妃殿下(Her Royal Highness Princess Lalla Salma)の間の第二子・長女となる“ララ”・カディジャ王女殿下(Her Royal Highness Princess Lalla Khadija)が誕生されたとのことです。