デンマーク王フレデリック10世陛下が、デンマーク王室の紋章を変更(2024年12月)カルマル同盟を示す三つの王冠は外される

 2024年12月20日、デンマーク王フレデリック10世陛下(King Frederik X of Denmark : His Majesty The King)は、デンマーク王室の紋章を変更する勅令を発布しました。

 1972年よりの紋章との大きな変更は、カルマル同盟を示す三つの王冠が外されたこと。
 また、グリーンランドを示す白熊、フェロー諸島を示す雄羊が目立つようにそれぞれ独立したクォーターに配置されました。

ウィキメディア・コモンズより/
変更後:
Royal coat of arms of Denmark (2024)

変更前:
Royal coat of arms of Denmark (1972–2024)

 

 (英語:デンマーク王室 公式ウェブサイト)Establishment of new royal coat of arms
 (デンマーク語:デンマーク王室 公式ウェブサイト)Fastsættelse af nyt kongevåben
 (デンマーク語:デンマーク官報)Bekendtgørelse om fastsættelse af det kongelige danske våben

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(旧)ギリシャ皇太子パウロス殿下らが、ギリシャの市民権を回復(2024年12月)

国籍と市民権を混同していたので訂正を入れました。また、曖昧な部分にさらに訂正を入れる可能性があります:

 (旧)ギリシャ王室からの発表および報道によりますと、故ギリシャ王コンスタンティノス2世陛下の五人の子供がギリシャの市民権を回復しました。
 そのうちの一人で現ギリシャ王室当主・(旧)ギリシャ皇太子パウロス殿下(デンマーク王子 : His Royal Highness Crown Prince Pavlos of Greece, Prince of Denmark)の五人の子供は新たにギリシャ国籍を取得しましたギリシャの市民権を取得しました(国籍に関してはよくわかりません)。

 
 1994年に、コンスタンティノス2世と、現在の共和制ギリシャ政府との対立により、(旧)ギリシャ王室の構成員はギリシャの市民権を剥奪されていました。
 その後、コンスタンティノス2世らは、デンマークの外交官パスポートを使用していたようです(コンスタンティノス2世は男系でデンマーク王室子孫、妻のアンナ=マリア陛下はデンマーク王室出身)。
 また、パウロス皇太子の五人の子供は、1994年より後に生まれているため、今回はじめてギリシャの市民権を取得したことになると思われます(国籍は不明)。
※パウロス皇太子の母であるアンナ=マリア陛下は今回の件には興味がないとしてギリシャの市民権を再取得していません。

 現政府との合意の条件の一つは姓を定めることで、デ・グレスDe Grèce)が選ばれたようです。
※そのほかの条件は、現在の共和国憲法に忠誠を誓ったり、王室の権利や称号を主張しないなどです。

 

 (英語版:ギリシャ王室 公式ウェブサイト)Announcement 23/12/2024

 (英語)Greece’s former royal family seeks to reclaim citizenship 50 years after monarchy abolished | AP News
 (英語)Former Greek royal family expresses 'deep emotion' after regaining citizenship – ABC News

訃報(2025年1月3日):ヨルダンのマジダ・ラアド王子妃殿下が薨去(1942~2025)旧イラク王室当主ラアド・ビン・ザイド王子殿下の妻

 2025年1月3日、ヨルダンのアンマンで、マジダ・ラアド王子妃殿下(Her Royal Highness Princess Majda Ra’adマルガレータ・インガ・エリザベート・リンドMargaretha Inga Elisabeth Lind)が薨去しました。
 1942年9月5日生まれの82歳。

 スウェーデン生まれ。
 ヨルダン王室近親で旧イラク王室当主のラアド・ビン・ザイド王子殿下(His Royal Highness Prince Ra’ad bin Zeid)の妻。

 ヨルダン王アブドッラー2世陛下は、葬儀に臨席。また、薨去に伴い、三日間の服喪を指示しました。

 

 (英語:ヨルダン王室 公式ウェブサイト)Statement by the Royal Hashemite Court | Royal Hashemite Court

 (英語:アブドッラー2世 公式ウェブサイト)King attends Princess Majda’s funeral | King Abdullah II Official Website

XユーザーのRHCさん: 「His Majesty King Abdullah II participates in the funeral of Her Royal Highness Princess Majda Ra’ad, the wife of His Royal Highness Prince Ra’ad bin Zeid, at the Royal Cemetery #Jordan https://t.co/9O2zn3oBiO」 / X

جلالة الملك عبدالله الثاني يشارك… – الديوان الملكي الهاشمي | Facebook

クリスマスメッセージ(2024年):ルクセンブルク大公アンリ殿下が退位の日付を発表。2025年10月3日に、長男のギヨーム大公世子殿下に譲位の予定

 ルクセンブルク大公アンリ殿下(Henri : His Royal Highness The Grand Duke of Luxembourg)による、降誕祭(クリスマス)と新年に向けたメッセージ動画が公開されています。

 ルクセンブルク語です(フランス語キャプション)。

 スピーチ内にて、2025年10月3日に、アンリ殿下は長男のルクセンブルク大公世子ギヨーム殿下(ギヨーム皇太子Guillaume : His Royal Highness The Hereditary Grand Duke of Luxembourg)に譲位すると発表されました。

 アンリ大公は、1955年4月16日生まれの69歳。来年4月に70歳となるので、退位時には70歳ということになります。2000年10月7日より約25年の統治となります。

 ギヨーム大公世子は、1981年11月11日生まれの43歳。
 即位時も43歳となります。
 大公世子は、2024年10月8日より、摂政(ルクセンブルク大公権限代行者 : Lieutenant-Représentant of the Grand Duke)となっています。即位時まで摂政として統治を代行することになります。
 ルクセンブルク大公として、ギヨーム5世Guillaume V)と呼ばれると思われます。

 また、ギヨーム大公世子の長男、シャルル大公子が、新たにルクセンブルク大公世子となります。2020年5月10日生まれの4歳。父の即位時には5歳となっていることになります。

 

 (サイト自体はフランス語:ルクセンブルク大公室 公式ウェブサイト)Discours de Noël 2024 de S.A.R. le Grand-Duc | Cour grand-ducale
※フランス語、英語、ルクセンブルク語でのスピーチ内容テキストあり

 (ルクセンブルク政府 公式ウェブサイト)Discours de Noël 2024 de S.A.R. le Grand-Duc – Le gouvernement luxembourgeois

 (英語)RTL Today – End of an era: Grand Duke Henri reflects on 25 years of reign in emotional Christmas speech, announces succession date

 

🇱🇺👑 Mat vill Emotioun huet de Grand-Duc um Dënschdegowend, am Kader vun der traditioneller Chrëschtried, den Datum vu senger Ofdankung zu Gonschte vu… | By Cour Grand-Ducale | Facebook

 

Cour grand-ducale Luxembourg (@courgrandducale) • Photos et vidéos Instagram

訃報(2024年12月16日):ヴァルデック=ピルモント公ヴィッテキント殿下が薨去(1936~2024)ヘッセン州首相ボリス・ライン閣下が弔意を表明

 2024年12月16日、ヴァルデック=ピルモント公ヴィッテキント殿下(Wittekind : His Serene Highness The Prince of Waldeck and Pyrmont : ヴィッテキント・フュルスト・ツー・ヴァルデック・ウント・ピルモントWittekind Fürst zu Waldeck und Pyrmont)が薨去しました。
 1936年3月9日生まれの88歳。

 1967年よりヴァルデック=ピルモント公室の当主となり、史跡の保存などに力を尽くしました。
 2000年にドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章を受章しています。

 薨去に伴い、長男のカール=アントン公世子殿下(Carl-Anton)が地位を継承。

 また、ヘッセン州首相ボリス・ライン閣下(His Excellency Boris Rhein)が弔意を表明。

 

 (ドイツ語:ヘッセン州首相官邸 公式サイト)„Wir trauern um eine herausragende Persönlichkeit“ | hessen.de

XユーザーのBoris Rheinさん: 「Wittekind Fürst zu Waldeck und Pyrmont hat sich mit viel Engagement dafür eingesetzt, das kulturelle Erbe zu bewahren und seine Heimat zu stärken. Hessen verliert einen prägenden Charakter, der nicht nur die Region, sondern das gesamte Land geprägt hat.」 / X