訃報(2018年1月5日):パッペンハイム伯女ウルズラ殿下、薨去(1926~2018)パッペンハイム家地所所有者

 2018年1月5日、1960年の父パッペンハイム伯ルートヴィヒの薨去に伴ってパッペンハイム家の所領を継承していた、パッペンハイム伯女ウルズラ殿下(Her Illustrious Highness Countess Ursula of Pappenheim : ウルズラ・グレフィン・ツー・パッペンハイムUrsula Gräfin zu Pappenheim)が薨去したようです。
 1926年4月9日生まれの91歳。

 薨去に伴い、地所は娘のレッケ=フォルマーシュタイン伯爵女・パッペンハイム伯女・エグロフシュタイン伯爵子夫人イニガ(Countess Iniga of Recke-Volmerstein-Pappenheim : イニガ・グレフィン・フォン・デル・レッケ=フォルマーシュタイン=グレフィン・ツー・パッペンハイムIniga Gräfin von der Recke-Volmerstein-Gräfin zu Pappenheim)が継承するようです。

※パッペンハイム家当主およびパッペンハイム伯の地位は、1960年のルートヴィヒの薨去に伴って傍系の男子に継承されていることになりますが、地所というか所領というかは上記のように、ということです。

 

記事:
 (ドイツ語)Pappenheim: Eine Pappenheimer Ikone ist verstorben – Weißenburg – nordbayern.de
 (ドイツ語)Pappenheim trauert um Gräfin Ursula | Pappenheimer Skribent
 (ドイツ語)Pappenheim: Gräfin von Pappenheim gestorben
 (ドイツ語:死亡告知)Anzeige von Ursula Gräfin zu Pappenheim | miteinandertrauern.de – ursula-graefinzupappenheim#/trauerfall

 

※記事では、パッペンハイム家(パッペンハイマー)が消滅したかのような書き方ですが、傍系は宗派が違うせいか地元にいないせいか地所を持っていないためかスルーされていますね。また、傍系の男系男子も比較的若い世代が一人で未婚(1981年生まれのゲオルク殿下)のため、存続についてはやや危うい状況です。

 

訃報(2018年1月2日?):亡命ラオス王族のスリヤウォンサワーン王子殿下が薨去したとの情報が出ています(1937~2018)

 2018年1月2日に、亡命ラオス王族で、亡命ラオス王室の摂政を務めていたことがあるスリヤウォンサワーン王子殿下(His Royal Highness Prince Sauryavong Savang)が薨去したとの情報が出ています。
 1937年1月22日生まれの80歳で、フランス/パリで薨去とのこと。

 

追記:
 1月9日に葬儀がおこなわれた模様。

somvone Sananikone:
Funérailles de S A R le Prince Sauryavong SAVANG du 09 01 2018 Chap 9 – YouTube

 

訃報(2017年12月30日or31日):オルレアン派フランス王室/クレルモン伯爵フランソワ王子殿下、薨去(1961~2017)パリ伯アンリ殿下の長男

 日付が情報によって違いますが、2017年12月30日または31日に、オルレアン派フランス王室のクレルモン伯爵/フランス王子フランソワ殿下(オルレアン公子 : His Royal Highness Prince François of France, Prince of Orléans, Count of Clermont)が薨去されたようです。
 1961年2月7日生まれの56歳。

 

王室公式サイト:
 (サイト運営が終了しています)(フランス語)Communiqué de Mgr le Comte de Paris | Le Comte de Paris
掲載時URL:http://leblogducomtedeparis.fr/communique-de-mgr-le-comte-de-paris/

 (フランス語:弟:ヴァンドーム公爵ジャン殿下の公式サイト)Prince Jean de France – Décès de S.A.R. le prince François d'Orléans

王党派ブログ:
 (サイト移転により記事の掲載が終了しています)
(フランス語)S.A.R. le prince François de France est décédé cette nuit – Le blog de La Couronne
掲載時URL:http://www.la-couronne.org/actualite-royale/s-a-r-prince-francois-de-france-decede-cette-nuit/
(フランス語)Portrait de S.A.R. le prince François de France, comte de Clermont – Le blog de La Couronne
掲載時URL:http://www.la-couronne.org/actualite-royale/portrait-de-s-a-r-prince-francois-de-france-comte-de-clermont/

一般報道:
 (フランス語)Le prince François d'Orléans est mort à l’âge de 56 ans – Le Parisien

その他:
 (フランス語:ミクロネーション「アラウカニア・パタゴニア王国」“アラウカニア・パタゴニア公スタニスラス殿下”公式ブログ)Communiqué du Prince d' Araucanie. – Royaume d'Araucanie et de Patagonie.
※スタニスラス1世はフランス王ジャン2世の子孫を称しており、系譜の情報も存在します。

 (英語)Prince François of Orléans Dies Aged 56 | The Royal Forums
 (英語)Royal Musings: HRH Prince Francois d'Orléans, Count of Clermont (1961-2017)
 (英語)Royal Musings: Death notice for the Count of Clermont

 

 障碍の問題で、継嗣(フランス皇太子)から外されたと(祖父から)宣言されたり、いやそうではないと(父から)宣言されたりといろいろありましたが、今回薨去されました。

PrinceJeandeFranceさんのツイート: "J'ai la tristesse de vous annoncer le décès de mon frère S.A.R. le prince François d'Orléans survenu ce matin. Je le confie à vos prières.… https://t.co/PlydK5Et2H"

 

訃報(2017年12月16日):“アラウカニア・パタゴニア王国”の“アントワーヌ4世公殿下”が“薨去”(1942~2017)

 19世紀に現在のアルゼンチンとチリのあたりに建国したかった“アラウカニア・パタゴニア王国”の現在の代表者であった“アントワーヌ4世公殿下(His Royal Highness Prince Antoine IV : サン・ペドロ・デ・フエイウスコ公爵 : Duke of San Pedro de Hueyusco : ジャン=ミシェル・パラシリティ・ディ・パラJean-Michel Parasiliti di Para)”が2017年12月16日に“薨去”した模様。
 1942年3月26日生まれの75歳。

 子息がおられるようですが、継承するのか、または後継者を評議会で選出するのか、そのあたりはよくわかりません。

 

 (フランス語)Dordogne : le prince d’Araucanie Antoine IV est décédé – Sud Ouest.fr

 

追記1:
 未亡人シェイラ=ラニSheila-Rani)が摂政になったとの情報がありますが、未確認。
追記1-1:
 君主の未亡人が摂政を務めるとの原則が確認されています。
 (フランス語)Microsoft Word – communique2017.12a.doc

 

追記2:
 対立していたスタニスラス1世が弔意を表明。
 (フランス語)Communiqué de presse de S.A.R. le Prince Stanislas d' Araucanie. – Royaume d'Araucanie et de Patagonie.
 また、スタニスラス1世は当然“アントワーヌ4世”を認めていませんが、アントワーヌ4世がその継承より前に叙爵されていた爵位は認めているようで、長男がサン・ペドロ・デ・フエイウスコ公爵、次男が次のランクの爵位を受け継ぐ前提のような文章があります。

※スタニスラス1世はフランス王ジャン2世の子孫を称しており、系譜の情報も出回っています。

 

追記3:
 スラニスラス1世とは別にアントワーヌ4世と対立していたフランソワ・ドゥ・ラ・ガルド氏(François de La Gardeフィリップ・オルリーPhilippe Orllie)がコメント記事を発表(スタニスラス1世との関係は不明瞭で、スタニスラス1世側からは対立者ではなく離脱者とみなされているようにもとれます)。
 (フランス語)Jean-Michel Parasiliti di Para n’est plus | Araucanie Info
 どうやらアントワーヌ4世に宥和と対話を求めていたようですが、かなわなくなりました。
 ドゥ・ラ・ガルド氏は、プリンスなどの称号を称しておらず、先代(三者にとって先代のフィリップ1世=フィリップ・ボワリー)と始祖から取ったのかフィリップ・オルリーという名乗りも使っているようです(オルリーのつづりが一般と違うのはなぜなのかよくわかりませんが……)。

 

訃報(2017年12月6日):ホーエンベルク公子ペーター閣下、薨去(1936~2017)

 ホーエンベルク公子ペーター閣下(His Serene Highnesss Prince Peter of Hohenberg)が、2017年12月6日に薨去したとのことです。

 

記事:
 (英語:)HSH Prince Peter von Hohenberg, KCSG, KM, GCJCO, passes away – Sacred Military Constantinian Order of St. George

 

 その暗殺が第一世界大戦のきっかけとなった、オーストリア=エステ大公フランツ・フェルディナント殿下の貴賤結婚の孫です。

 

関連:
 訃報(2020年9月29日):元ホーエンベルク公子妃クリスティーネ、薨去(1945~2020)