訃報(2018年9月8日):英国の一代貴族(クロスベンチ)/ヴィンセント・オブ・コウゼル男爵リチャード・ヴィンセント陸軍元帥閣下、卒去(1931~2018)

 2018年9月8日、英国の一代貴族(クロスベンチ)のヴィンセント・オブ・コウゼル男爵リチャード・ヴィンセント陸軍元帥閣下(Field Marshal Richard Vincent, Baron Vincent of Coleshill : The Right Honourable The Lord Vincent of Coleshill GBE KCB DSO : ヴィンセント・オブ・コウゼル卿)が卒去した模様。
 1931年8月23日生まれの87歳。

 

 1996年に一代貴族に叙され、2016年に貴族院【上院】を退任しています。

 

 (英国議会公式サイト:告知)Death of a Former Member: Lord Vincent of Coleshill – Hansard
 (英国議会公式サイト:議員情報)Lord Vincent of Coleshill – UK Parliament

 

ウガンダ伝統的君主:衝突事件にかかわったとして殺人罪に問われ軟禁中のルウェンズルル王を廃位して、その母親を即位させようという動きがあった模様(2018年9月)

 (英語)The youngest and little-known Ugandan kingdom whose king is under house arrest – Face2Face Africa

 

 記事の内容は、ウガンダ共和国のルウェンズルル王チャールズ・ウェズリー・ムンベレ陛下【イレマ=ンゴマ1世】(His Royal Majesty Charles Wesley Mumbere, Irema-Ngoma I, King【Omusinga】 of Rwenzururu)が、衝突事件にかかわったとして殺人罪に問われ軟禁中である経緯などを述べたものですが、その中に母親で、先代の故イサイア・ムキラニア陛下【キバンザンガ1世】(Isaiah Mukirania【Isaya Mukirania】【Isaya Mukirane】Kibanzanga I)の妻であるクリスティーン・ムキラニア陛下(Christine Mukirania)を王【女王】として立てようとする動きがあったとあります(どうも現実的ではなかったようです)。

 なお、記事中、この方に対して「Queen mother(クイーン・マザー)」という用語を前置していますが、この言葉はアフリカでは必ずしも君主の母親などを意味せず、場合によっては特に血縁家系も近くないひらたくいえば“ババ様”のような特殊な女性権威の称号(の英語表記)であることがあります。
 また、そのような場合でも、王の母親など近親が就くことがままあります(ややこしい)。

 今回の記事からは、そのような権威臭がまったく漂ってこないので、おそらく「王の母」以上の意味はないと思われます。

 

訃報(2018年8月7日):千家倫彦 氏、死去(?~2018)水戸徳川家男系、守山松平家当主子息、母方は出雲国造の千家氏

 週刊現代の記事に、2018年8月7日に千家倫彦氏(せんげ ともひこ)が心不全で亡くなっていたとあるようです。

 

 皇室とも縁戚…38歳「エリート財務官僚」突然の訃報の無念(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

 

※なお、同氏の情報については細かいところで異なるものがあるようですが、系譜などは間違いないと思います。

 同記事によれば(見出しにも38歳となりますが)、「大臣官房信用機構課機構業務室長(38歳)」。しかし1978年誕生との情報もあるようです。

 父は、水戸徳川家分家の守山松平家13代当主松平弘孝氏(まつだいら ひろたか)。
 母は、出雲国造の千家氏の千家統子せんげ すまこ)。離婚しているとの情報もありますが……。

 守山松平家当主である父には他に子供があるという情報はありません。
 父方の祖父は故松平圀弘子爵(まつだいら くにひろ : 守山松平家12代当主)。
 曽祖父は徳川圀順公爵(とくがわ くにゆき : 水戸徳川家第13代当主)。

 亡くなった倫彦氏は母方の祖父である故千家達彦せんげ みちひこ : 出雲大社教第5代管長)の養子となっていたとの情報もあります。養子になっていたとして、将来管長職を継承する考えが出雲大社教や千家氏側にあったかどうかはわかりません(現在の管長は本家に近い方が継承していたと思います)。

 

母方の祖母の血筋をたどれば、伊藤博文にも行き着く。

 とありますが、これは養子を介しているようです。

 

訃報(2018年9月2日):マヌエラ・フライフラウ・フォン・ペルファル・デ・ザイフ・ナセリ、卒去(1952~2018)バイエルンのグライフェンベルク城の所有者一族

 2018年9月2日、ドイツ連邦共和国バイエルン州のグライフェンベルクで、グライフェンベルク城を所有してきたペルファル家の一員のマヌエラ・フライフラウ・フォン・ペルファル・デ・ザイフ・ナセリManuela Freifrau von Perfall de Seif Nasseri)が卒去した模様です。
 1952年7月25日生まれの66歳。
 犬が好きで、著書もあったようです(Amazon.co.jp 「Manuela von Perfall」の検索結果)。

 名前ですが、長めの表記だと上記のようになっていますが、下記記事などでは短く「マヌエラ・フライフラウ・フォン・ペルファルManuela Freifrau von Perfall)」となっています。
 ザイフ・ナセリはすでになくなっている夫の姓のようなので、結婚時にこのようにしたのではないかと思います。

 ペルファル家はバイエルンの古い貴族の家柄で、同地を入手してから長期間統治していました。
 兄二人とその子孫が存命とのことで、グライフェンベルク城自体は兄が所有しているのではないかと思います。

 

 (ドイツ語)Manuela Freifrau von Perfall aus Greifenberg gestorben | Landsberg

 

訃報(2018年9月6日):フランツ・ゲオルク・デッペル・フォン・ヒルシュベルク氏が自邸で死亡しているのが見つかる(?~2018)

 2018年9月6日夕方、フランツ・ゲオルク・デッペル・フォン・ヒルシュベルク氏(Franz Georg Döpper von Hirschberg)が、ドイツ連邦共和国のウンターヴィルデナウにある自邸で亡くなっているのが発見されたそうです。54歳。
 捜査がおこなわれているようですが、最近体調がすぐれていなかったとも報道されています。
 同所でおこなわれる予定だった祭典は延期になった模様。

 同邸宅の所有者である母の、マリア・ドロレス・カタリナ・フライフラウ・デッペル・フォン・ヒルシュベルクMaria Dolores Katharina Freifrau Döpper von Hirschberg)は病院に運ばれているとのことですが……。
 (1928年8月14日生まれの90歳)。

 

 (ドイツ語)Schlossherr Franz Georg Döpper von Hirschberg tot | Oberpfalz TV
 (ドイツ語)Der "Baron" ist tot | Onetz

 

Onetz – Seit einiger Zeit war der "Baron" gesundheitlich… | Facebook

 

 この邸宅ですが、母方のヒルシュベルク家、「フライヘル(Freiherr)」の称号を持っているところが受け継いできたものではないかと思います。
 父の故テオドル・デッペル氏(Theodor Döpper)の家系についてはわかりませんが、貴族であるという情報はありません。

 今回亡くなったフランツ・ゲオルク・デッペル・フォン・ヒルシュベルク氏は、記事からは「Baron」というあだ名(?)で呼ばれていたようですが、父方が貴族でない以上、伝統的には彼も貴族とは分類されず、いわゆる「非貴族の貴族風名前所持者」ではないかと思われます(まだデッペルの系統が不明なのではっきりとはいえませんが)。
 また、フォン・ヒルシュベルク(またはデッペル・フォン・ヒルシュベルク)という名については、母方の名前を使用することは現在のドイツの法律では問題のないことなので、なにかを詐称しているというわけではありません。