竹田恆正【竹田恒正】氏(旧・竹田宮家の恆正王【恒正王】殿下)が日本ゴルフ協会(JGA)の新会長に(2015年6月)

 武田恆正竹田恒正】氏(たけだ つねただ : 旧・竹田宮家の恆正王殿下 : 恒正王殿下)が、日本ゴルフ協会【JGA】の新会長に就任するそうです。
 竹田恆正氏は、旧・竹田宮家の当主です。

 

記事:
 JGA新会長に竹田恒正氏 実弟はJOC会長、五輪見据え連携強化 ― スポニチ Sponichi Annex ゴルフ

 

伏見博明氏(旧・伏見宮家の 博明王 殿下)からネパール大使に茨城県民有志から寄せられた義捐金が手渡される(2015年5月)

 2015年5月31日、茨城県水戸市で県民有志による「ネパール大地震災害復興支援の集い」が開かれ、350人の参加者から寄せられた義援金百万円が、伏見博明氏(ふしみ ひろあき : 旧・伏見宮博明王殿下 : His Imperial Highness Prince Fushimi Hiroaki)から、日本国駐箚ネパール連邦民主共和国大使マダン・クマール・バッタライ閣下に手渡された模様です。

 

記事:
 (掲載は終了しています)東京新聞:義援金100万円をネパール大使に 県民有志が大地震復興支援:茨城(TOKYO Web)(http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20150601/CK2015060102000149.html)

 

ウィキペディア日本語版から「久邇晃子 – Wikipedia」の記事が削除されたので退避しておきます(2015年3月)

 ウィキペディア日本語版の記事「久邇晃子 – Wikipedia」が削除されたので、(権利上の問題では無いようなので)こちらにアーカイブしておきます。

 

関連:
 旧宮家、1947年に皇籍離脱した旧皇族(元皇族)とその男系子孫


 

 


久邇 晃子(くに あきこ、久迩 晃子、1963年(昭和38年)8月25日 – )は、日本の医師。旧皇族久邇家出身。
久邇邦昭(先々代の神宮大宮司、現神社本庁統理、前霞会館理事長)の長女。弘世現の孫。
1986年(昭和61年)頃から1992年(平成4年)夏まで、皇太子徳仁親王(浩宮)お妃候補の切り札といわれた。

経歴
1982年(昭和57年)、学習院女子高等科卒業。
1986年(昭和61年)、学習院大学文学部哲学科卒業。
1997年(平成9年)、東京大学理科二類に合格。のち、同大学医学部医学科に傍系進学(進振り)する。
2003年(平成15年)、東京大学医学部医学科卒業、医師国家試験合格
現在、精神科医。

執筆した論文・記事
ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』における「語り得ず示されるもの」(学習院大学文学部研究年報(学習院大学文学部)37 平成2(1990) pp.41~57)
そこが知りたい 薬物療法Q&A(月刊 臨床精神薬理第7巻5号 平成16年(2004年)5月)
愚かで痛ましい我が祖国へ 旧皇族の問題提起(文藝春秋 平成23年(2011年)12月)

 

訃報(2014年1月1日):東伏見慈洽 青蓮院前門主(元皇族の邦英王殿下、元華族の 東伏見邦英 伯爵) 遷化(1910~2014)

 2014年1月1日、東伏見慈洽ひがしふしみ じごう)青蓮院前門主(門跡名誉門主)が遷化した模様です。
 1910年5月16日生まれの103歳。
 元 皇族(久邇宮家)の邦英王殿下(くにひで)、元 華族・東伏見邦英伯爵、京都仏教会会長です。

 

 (記事の掲載は終了しています:URL: http://kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20140106000066)参列者ら別れ惜しむ 青蓮院、東伏見慈洽さん密葬 : 京都新聞
 (記事の掲載は終了しています:URL: http://www.asahi.com/articles/ASF0TKY201401010021.htm)東伏見慈洽さん死去 天皇陛下の叔父:朝日新聞デジタル

 

結婚(2007年?):壬生基成 氏が結婚

 詳細確認できませんでしたが、壬生基成氏が結婚された模様です。
 公家/羽林家・華族/伯爵の壬生家の継嗣で、1979年9月22日生まれの27歳。

 父基博氏が旧・東久邇宮家から壬生家に養子に入っており、祖父は同家の盛厚王。祖母は昭和天皇長女の成子内親王