メクレンブルク公子ミハエル殿下が、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州ラッツェブルクにて州の閣僚や議員らと会談(2020年7月)国内観光など議題

 2020年7月30日、メクレンブルク公子ミハエル殿下(His Highness Duke Michael of Mecklenburg : カール・ミハエル・ヘルツォーク・ツー・メクレンブルク=シュトレーリッツCarl Michael Herzog zu Mecklenburg-Strelitz)が、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州ラッツェブルクにてシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州経済・運輸・労働・技術・観光大臣ベルント・クラウス・ブーフホルツ閣下(Bernd Klaus Buchholz)やアナベル・クレマー州議会議員(Annabell Krämer)らと会談したようです。
 テーマは国内観光。

 ラッツェブルクは、旧メクレンブルク=シュトレーリッツ大公国を構成していたラッツェブルク公国の一部というか主要都市であり、詳細は未確認ですが、現在、ラッツェブルク公国の大半はメクレンブルク=フォアポンメルン州に属するものの、湖上のラッツェブルクはシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州に属しているのではないかと思います。

 ミハエル殿下は、現当主のボルヴィン殿下の次男。
 今回、ミハエル殿下が会談したのは、メクレンブルク=シュトレーリッツがかつてこの土地を統治していたということに基づくものでしょう。

 

 (英語:メクレンブルク=シュトレーリッツ大公室 公式サイト)Tourism in Ratzeburg – House of Mecklenburg-Strelitz

 (ドイツ語)Schleswig-Holsteins Wirtschaftsminister in Sachen Binnentourismus zu Besuch in Ratzeburg – LOZ-News | Die Onlinezeitung für das Herzogtum Lauenburg
 (ドイツ語)Schleswig-Holsteins Wirtschaftsminister in Sachen Binnentourismus zu Besuch in Ratzeburg | Herzogtum direkt

 

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 ボルヴィン殿下やミハエル殿下は、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公室の貴賤結婚の子孫で、現在この系統が権利を回復して大公室を形成していると見られています。が、以前も書きましたが異論があります。

関連:
 (この記事の下のほう)訃報(2018年7月23日):メクレンブルク公子カール・グレゴール殿下、薨去(1933~2018)

 

婚約(2020年7月27日):プロイセン王子フレデリック殿下(1990年生まれ)とマチルダ・ジョンソン嬢。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世玄孫、現プロイセン王室当主ゲオルク・フリードリヒ王子殿下の はとこ

 プロイセン王子フレデリック殿下(フレデリック・フォン・プロイセン王子 : Prince Frederick von Preussenフリッツィ・フォン・プロイセンFritzi von Preussen)とマチルダ・ジョンソン嬢(Mathilda Johnsonティリー・ジョンソンTilly Johnson)の婚約が明らかになりました。

 フレデリック殿下は、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の玄孫で、現プロイセン王室当主ゲオルク・フリードリヒ王子殿下の はとこ にあたります。
 また、プロイセン王室のこの系統は英国に移住しており、英国貴族とも姻戚関係があります。

 

 (英語)Prince Frederick von Preussen and Miss M. Johnson – Engagements Announcements – Telegraph Announcements

 (英語)Peerage News: Engagement of Prince Frederick von Preussen and Mathilda Johnson

 

ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク公子ルートヴィヒ=フェルディナント殿下が当主グスタフ殿下を提訴した件、第二審は2020年7月の模様(2020年1月)「もはや事実婚は普通の結婚と同等であり、庶民と事実婚した当主は先祖の遺言に背いている」と主張

 ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク公グスタフ殿下(Gustav : His Highness The Prince of Sayn-Wittgenstein-Berleburg : グスタフ・フュルスト・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルクGustav Fürst zu Sayn-Wittgenstein-Berleburg)は、デンマーク王女ベネディクテ殿下の息子、つまりデンマーク女王マルグレーテ2世陛下の甥にあたります。

 このザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク家は、先々代のグスタフ・アルプレヒト殿下が、財産相続に厳しい制限を付けています(第三帝国時代)。
 それは、財産相続人は男子であり結婚相手を「貴族・プロテスタント・アーリア人」に限る、としたものです(ただし、完全に詳細な内容は公開されていないはずです)。
 この条件を満たさない結婚をおこなうと即座に財産の相続権を失い、すでに所有している場合それでも失う、というのがこれまでのドイツの判例からほぼ確実視されています。

 先代のリヒャルト殿下は、結局はデンマーク王女と結婚したので、まったく問題なかったのですが、現当主のグスタフ殿下は、庶民のカリーナ・アクセルソン嬢(Carina Axelsson)との結婚を望んだものの、結婚すると財産を相続できなくなります。そして、それは城というか館というか、自分の家を遠い親戚に渡さなければならないことを意味します。

 これが元々の状況で、これに対し、「アーリア人などを条件に含む元々の遺言はナチス時代のものでおかしい」という見解はありました。しかしそれでもドイツの判例からどうにもならないだろうというのがあり、それで二人は結婚せずに一緒に生活していました。

 ところが、2018年あたりからの報道で、リヒャルト殿下の従弟のザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク公子ルートヴィヒ=フェルディナント殿下が、グスタフ殿下に対し、自分に財産を譲るよう要求しているとの報道がなされます。
 これが、簡単にいえば、「事実婚はもう普通の結婚と同じなのだから、条件を満たさない人物と事実婚をしているあなたは財産の所有権がない(=財産は私のもの)」ということです(ルートヴィヒ=フェルディナント殿下が次の相続人とみられています)。

 第一審は、グスタフ殿下側弁護士にリッペ公室当主/リッペ公シュテファン殿下が立つという展開がありましたが、ともあれグスタフ殿下側が勝訴。
 ルートヴィヒ=フェルディナント殿下は控訴し、第二審は今年【2020年】7月とのことです。

 この問題は、「“アーリア人”を含む遺言は差別ではないか」(ただしこれだけでは遺言を無効にできないだろうとみられている)に「事実婚と普通の結婚を区別するのは差別ではないか」という問題が絡み、これまでのドイツ王室・貴族関連訴訟で最も面倒なものになるのではないかと思われています。
 また、この件が難しいのは、現実の制度を拒否し自分の意思をつらぬく絶対君主政主義者などのめんどうくさい人たちを除けば、いつかわからないがいつかは事実婚と普通の結婚はドイツでも同等に扱われるのではないかという考えは広範囲にあり、仮にそうだとすると、今回の訴訟でグスタフ殿下が勝利しても、遺言が無効化されない限り殿下が生きている間に殿下が財産を所有できなくなる可能性は残るということもあります。

 付言すると、ドイツでは、過去の当主や一族などの子孫のうち、歴代の本拠地となる城と館を所有している人物が当主とみなされるのが一般的です。これは過去の継承権などとは別の問題で、そう思われています。
 なので、ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク公位継承ルールはともかく、敗訴すればグスタフ殿下は廃位された公という社会的にはとてつもなくうれしくない立場になってしまいます。

 あと、グスタフ殿下の母、デンマーク王女ベネディクテ殿下がドイツでの生活をやめて完全にデンマークに戻ることになると、デンマークは王室予算は増やさねばならないのではないかという気もします。

 

 (英語)The (In)Famous Sayn-Wittgenstein-Berleburg Will, Round 3: When There Is An Estate Worth Half a Billion Up For Grabs, That's Apparently Where Cordial Family Relations End

 

訃報(2019年7月23日):ビスマルク公フェルディナント閣下が薨去(1930~2019)“鉄血宰相”の曾孫。葬儀にオランダ王ウィレム=アレクサンダー陛下が参列

 2019年7月23日にビスマルク公フェルディナント閣下(Ferdinand : His Serene Highness The Prince of Bismarck : フェルディナント・フュルスト・フォン・ビスマルクFerdinand Fürst von Bismarck)が薨去した模様です。
 1930年11月22日生まれの88歳。

 

 (ドイツ語)Ferdinand von Bismarck (†88): Der Fürst ist tot: Jetzt meldet sich die Familie zu Wort | BUNTE.de
 (ドイツ語)Urenkel des deutschen Reichskanzlers: Ferdinand Fürst von Bismarck gestorben
 (ドイツ語)Ferdinand von Bismarck gestorben – WELT
 (ドイツ語)Ferdinand von Bismarck (†88) in Friedrichsruh neben Otto von Bismarck bei Hamburg – Hamburg – Bild.de

 

 “鉄血宰相”オットー・フォン・ビスマルクの曾孫。

 葬儀にはビスマルク家の一族のほか、 godfather の一人がフェルディナント閣下であるオランダ王ウィレム=アレクサンダー陛下(Willem-Alexander : His Majesty The King of the Netherlands)が参列。弟夫妻のオランダ王子コンスタンティン殿下(His Royal Highness Prince Constantijn of the Netherlands, Prince of Orange-Nassau, Jonkheer van Amsberg)及びオランダ王子妃ローレンティン殿下(Her Royal Highness Princess Laurentien of the Netherlands, Princess of Orange-Nassau, mevrouw Van Amsberg-Brinkhorst)も参列の模様。

 

 (ドイツ語)Heute wird der Fürst beerdigt – Streit ums Erbe der Bismarcks – Leute – Bild.de

 

 そして、ビスマルク公の称号というか当主の座は長男のカール=エドゥアルト閣下(Carl-Eduard)が継承ということになりますが、財産相続に関して弟(三男)のグレゴール伯爵子(Gregor)が自らが継承することを主張しているようです(少なくとも伝統的な称号に関しては長男の継承を否定する根拠は今のところはなさそうですが……)。
 簡単にいってしまうと、長男のカール=エドゥアルト閣下が各方面からまったく信用されていない人物だということになります。
(次男のゴットフリート伯爵子は2007年にロンドンで死亡しているのが発見されています)

 

訃報(2019年6月3日):ロイス公子妃ヴォイツラヴァ・フェオドラ殿下(メクレンブルク公女)、薨去(1918~2019)バルト連合公国君主に推されたメクレンブルク公子アドルフ・フリードリヒ殿下の娘。薨去に伴いメクレンブルク=シュヴェリーン系統は男系女子二人を残すのみに

 2019年6月3日、ロイス公子妃ヴォイツラヴァ・フェオドラ殿下(メクレンブルク公女 : Her Highness Princess Woizlawa Feodora Reuss, Duchess of Mecklenburg : ヴォイツラヴァ・フェオドラ・プリンツェッシン・ロイス、ヘルツォーギン・ツー・メクレンブルクWoizlawa Feodora Prinzessin Reuß, Herzogin zu Mecklenburg)が薨去した模様です。
 1918年12月17日生まれの100歳。

 父はメクレンブルク=シュヴェリーン大公室のメクレンブルク公子アドルフ・フリードリヒ殿下(His Highness Duke Adolf Friedrich of Mecklenburg)で、母はロイス公女ヴィクトリア・フェオドラ殿下(Her Serene Highness Princess Viktoria Feodora Reuss)。
 アドルフ・フリードリヒ殿下は第一次世界大戦時に、創設が計画されていたバルト連合公国君主に推されていました。

 1939年に故ロイス(=ケストリッツ)公子ハインリヒ1世殿下と結婚しており、子孫が存在。
※ロイス家の男子はハインリヒ●世となるのが通常のため、上記のハインリヒ1世も君主・当主ではありません。

 

 薨去に伴い、メクレンブルク=シュヴェリーン家の男系は女子二人を残すのみとなりました。
追記:
 葬儀にフリーダ・ツー・メクレンブルクFrieda zu Mecklenburg)というトーゴ出身の女性が参列しているという話です。
 故アドルフ・フリードリヒ殿下に婚姻外の子供(婚外子)の男子(フルネーム不明)がいたようで、その娘のようです。故ヴォイツラヴァ・フェオドラ殿下の姪ということになり、身内として扱われていたようです。

 メクレンブルク=シュトレーリッツ家の貴賤結婚の子孫が現在その権利や称号(本人の主張を見る限りではシュトレーリッツに関するもののみ)を主張していますが、もっとも厳格な判断では、すでに(貴賤結婚の子孫を除いて)男系男子が存在しないメクレンブルク家は消滅しています。

 

 (英語:メクレンブルク=シュトレーリッツ家公式サイト)Death of Duchess Woizlawa Feodora of Mecklenburg-Schwerin – House of Mecklenburg-Strelitz

 (ドイツ語)Strittmatt: Eine Prinzessin stirbt im Hotzenwald | SÜDKURIER Online
 (ドイツ語)Gedenkseite von Woizlawa Feodora Prinzessin Reuß Herzogin zu Mecklenburg | trauer.mittelhessen.de
 (ドイツ語)Die letzte Geraer Prinzessin ist tot – Gotha | Thüringer Allgemeine

 

Haus Mecklenburg-Strelitzさんのツイート: "Gedenkseite von Woizlawa Feodora Prinzessin Reuß Herzogin zu Mecklenburg https://t.co/UTpA0i6QbG… "

 

Haus Mecklenburg-Strelitzさんのツイート: "Eine Prinzessin stirbt im Hotzenwald. Woizlawa-Feodora Prinzessin Reuß stirbt im Alter von 100 Jahren. Sie war eine der letzten lebenden Angehörigen des Hauses Mecklenburg-Schwerin. https://t.co/WGXJrfwbO4"

 

Yesterday Her Highness Duchess Woizlawa… – Das Großherzogliche Haus Mecklenburg-Strelitz | Facebook

 

Das Großherzogliche Haus… – Das Großherzogliche Haus Mecklenburg-Strelitz | Facebook

 

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