ベルギー王室継嗣/ブラバント女公/ベルギー王女エリザベート殿下が、王立軍事学園で軍事訓練をおこなう(2020年9月)

 王立軍事学園(Royal Military Academy)で学ぶことが発表されていたベルギー王室継嗣/ブラバント女公/ベルギー王女エリザベート殿下(Princess Elisabeth of Belgium : Her Royal Highness The Duchess of Brabant)の、同大学での一学年の課程に含まれる軍事訓練がおこなわれたようです。

 

Belgian Royal PalaceさんはTwitterを使っています 「La Princesse Elisabeth et ses camarades de promotion ont entamé la phase d’initiation militaire le 2/9 sur les terrains du camp militaire d’#Elsenborn. Ce camp fait partie de la formation @kms_erm_rm, où elle suit la première année en Sciences sociales et militaires. https://t.co/9H5BZLTv7m」 / Twitter

 

Belgian Royal PalaceさんはTwitterを使っています 「Prinses Elisabeth en haar medestudenten startten op 2 september met de militaire initiatiefase in het Kamp #Elsenborn te Bütgenbach. Het is een belangrijk onderdeel van haar opleiding (1ste jaar) Sociale en Militaire Wetenschappen aan de @kms_erm_rm. @BelgiumDefence https://t.co/9yWQUTgXKj」 / Twitter

 

訃報(2019年7月12日):ヴィンディシュ=グレーツ公女シュテファニー殿下が薨去(1939~2019)オーストリア皇太子ルドルフの子孫。ベルギー王レオポルド2世から絶対長幼制ならベルギー女王になっていたとの記事も

 2019年7月12日、ヴィンディシュ=グレーツ公女シュテファニー殿下(Her Serene Highness Princess Stephanie of Windisch-Graetz : シュテファニー・プリンツェッシン・ツー・ヴィンディシュ=グレーツStephanie Prinzessin zu Windisch-Graetz)が薨去した模様です。
 1939年7月17日生まれの79歳(1月17日生まれとの情報は誤りのようです)。

 名族ヴィンディシュ=グレーツ家の一員で、先祖にはオーストリア皇太子ルドルフ殿下やベルギー王レオポルド2世陛下がいるようです。

 

 (フランス語)Cousine d’Albert II, la princesse Stéphanie de Windisch-Graetz est décédée – La Libre

 葬儀には、ベルギー王子ロラン殿下(His Royal Highness Prince Laurent of Belgium)が参列したとのことです。
 アルベール2世の私生児であることを主張しているデルフィーヌ・ボエルDelphine Boël)も姿を見せたようです。

 

 また下記の記事では、シュテファニー殿下はベルギー王レオポルド2世陛下から継承法が絶対長幼制になっていたならベルギー女王になっていたと言及されています。

 (オランダ語)Stéphanie de Windisch-Graetz, de prinses die koningin der Be… – Het Nieuwsblad

 こういう話は言い出したらキリがありませんが……。

追記:
 継承順を書いておきますと、
 ベルギー王レオポルド2世陛下
 → 第一子・長女のベルギー王女ルイーズ殿下(1858年生まれ)
  → 第二子のザクセン=コーブルク=ゴータ公女ドロテア殿下
 → 第三子・次女のベルギー王女シュテファニー殿下がすでに薨去し(オーストリア皇太子ルドルフ殿下との子供の)オーストリア大公女エリザベート殿下(1883年生まれ)もすでに薨去しているためその第一子のヴィンディシュ=グレーツ公子フランツ殿下(1904年生まれ) → そしてその第一子が今回薨去したシュテファニー殿下となります。

 

婚約(2019年1月):ナポレオン公ジャン=クリストフ皇子殿下とアルコ=ツィネベルク伯爵女オリンピアが2019年1月に婚約していたとの情報

 ナポレオン公ジャン=クリストフ皇子殿下(Jean-Christophe : His Imperial Highness The Prince Napoléon)が、アルコ=ツィネベルク伯爵女オリンピア(Countess Olympia of Arco-Zinneberg : オリンピア・グレフィン・フォン・ウント・ツー・アルコ=ツィネベルクOlympia Gräfin von und zu Arco-Zinneberg)と2019年1月にスイスで婚約したという情報が出ています。

 

 (英語)Royal Musings: EXCLUSIVE: Royal engagement: Countess Olympiia to wed Jean Christophe

 

 ジャン=クリストフ殿下は、ナポレオン1世の弟ジェロームの子孫で、現在、フランス帝室当主及びフランス帝位継承者・ナポレオン公の地位について(亡祖父が父シャルル殿下の再婚に関しジャン=クリストフ殿下を後継指名したため)理屈上は争いになっています。
 母親はブルボン=両シチリア王女ベアトリーチェ殿下(Her Royal Highness Princess Béatrice of Bourbon-Two Sicilies)です。

 

 オリンピア伯爵女は、オーストリア、バイエルン、イタリアなどに関連する貴族の家柄で、母親はハプスブルク家出身(現当主カール大公殿下のいとこ)。

 

追記:
 ベルギー紙で記事が出ました。

 (フランス語)Jean-Christophe Napoléon et Olympia d’Arco-Zinneberg: grand mariage en vue! – La Libre

 ジャン=クリストフ殿下が、ベルギー王レオポルド2世陛下の子孫という中見出しです。

 

関連:
 ナポレオン公ジャン=クリストフ皇子殿下との婚約が報じられたアルコ=ツィネベルク伯爵女オリンピアの車から宝石(?)が盗まれたとの報道(2019年4月)フランス皇帝ナポレオン3世陛下の后ウジェニー陛下のティアラにも使用されたものらしく最低でも1億円以上とのこと

 

“ブルガリア王子シメオン=ハッサン殿下”がモロッコ/ラバトのキリスト教/ロシア正教会の大聖堂で領聖を受ける(2018年10月)旧ブルガリア王シメオン2世陛下の女系孫

 ブルガリア王子シメオン=ハッサン殿下(His Royal Highness Prince Simeon-HasanSimeon-Hassan】)が、モロッコ王国ラバトにあるキリスト教/東方正教会/ロシア正教会のハリストス復活大聖堂で、領聖を受けたようです。
※下記公式サイトには“ first communion ”とありますが……「初の領聖」ということでいいんでしょうか。

 

 (英語:ブルガリア王室公式サイト)HRH PRINCE SIMEON-HASAN RECEIVES FIRST COMMUNION IN THE RUSSIAN ORTHODOX TEMPLE “RESURRECTION OF CHRIST” IN RABAT « H.M. King Simeon II

 

Княз Симеон-Хасан е кръстен през м.април… – Н.В. Цар Симеон ІІ | Facebook

 

 シメオン=ハッサン殿下は、2007年生まれで、ブルガリア王女カリナ殿下(ザクセン=コーブルク=ゴータ公女 : ザクセン公女 : ムラニー女伯爵 : Her Royal Highness Princess Kalina of Bulgaria, Princess of Saxe-Coburg and Gotha, Duchess in Saxony, Countess of Murany)と夫のキティン・ムニョス氏(Kitín Muñoz)の子息です。
 旧ブルガリア王シメオン2世陛下(His Majesty King Simeon II of the Bulgarians : 元ブルガリア共和国首相シメオン・サクスコブルクゴツキ氏 : Simeon Saxe-Coburg-Gotha)の女系の孫で、ブルガリアの王子や殿下とはなりませんが、誕生直後より ‘Prince’ として言及されていることがあり、ブルガリア王室公式サイトでは昨年【2017年】と今回の記事で殿下(HRH : His Royal Highness)が使用されています。もはやブルガリア王子と書くよりないと判断したので書きましたが、この件に関して説明や発表などは見かけません。

 なお、シメオン=ハッサンの「ハッサン」は、故モロッコ王ハッサン2世からです。

 

ルーマニア王室当主/ルーマニア王位守護者マルガレータ陛下夫妻が、フランスのスルツマットを訪問(2018年9月)同自治体公式サイトの敬称表記「Sa Majesté(陛下)」

 2018年9月末、ルーマニア王室当主/ルーマニア王位守護者マルガレータ陛下(Her Majesty Margareta, the Custodian of the Crown of Romania : ルーマニア皇太子マルガレータ殿下 : Her Royal Highness Crown Princess Margareta of Romania)と夫のルーマニア王子ラドゥ殿下(His Royal Highness Prince Radu of Romania)は、第一次世界大戦中にドイツ及びオーストリア=ハンガリーによってフランス(とドイツの係争地方)に収容され死亡したルーマニア兵たちの慰霊のためにフランス共和国のスルツマットとアグノーを訪問しました(うち、アグノーは、同自治体よりの招待と表記されています)。

 2018年9月29日は、スルツマット(ゾウルツマット、ズルツマット)を訪問。
 この地にあった収容所は墓地となっているようです。
 これまでもルーマニア王フェルディナンド1世陛下と王妃マリア陛下(英国王室出身)、旧ルーマニア王ミハイ1世陛下と王妃アナ陛下(ブルボン=パルマ家出身)らなど、ルーマニア王室から訪問がなされています。

 慰霊のための式典には、キリスト教/東方正教会/ルーマニア正教会の西欧・南欧府主教ヨシフ座下(His Eminence Metropolitan JosephIosif】 of Western and Southern Europe)が臨席。

 陛下と殿下は、同コミューン(規模が小さいようですが市としておきます)の市長ジャン=ポール・ディーリンガー閣下(Jean-Paul Diringer)から、スルツマット=ヴィンツフェルデン名誉市民(Citoyens d’Honneur de Soultzmatt-Wintzfelden)の称号を授与されました。
※「ヴィンツフェルデン」というのは同市の中にある地名のようですが、なぜ名誉市民称号に加えられているのかは不明です。

 

 (ルーマニア語:ルーマニア王室公式ニュース配信サイト)În Anul Centenar, Majestatea Sa a devenit cetățean de onoare al localității Soultzmatt | Familia Regală a României / Royal Family of Romania
 (ルーマニア語:ルーマニア王室公式ニュース配信サイト)Ceremonie la cimitirul martirilor români din Primul Război Mondial | Familia Regală a României / Royal Family of Romania

 (ルーマニア語:ルーマニア正教会通信)Majestatea Sa Margareta şi ASR Principele Radu au devenit cetăţeni de onoare ai oraşului Soultzmatt – Basilica.ro
 (ルーマニア語:ルーマニア正教会通信)Familia Regală s-a rugat pentru eroii români înmormântaţi la Soultzmatt – Basilica.ro

 

 現時点ですが、スルツマット市の公式サイトトップページはこうなっています。

 (フランス語)Soultzmatt – Site officiel de la commune

 一方、そこからリンクされているページは、当日の予定のものでした。

 (フランス語)Réception en l'honneur de la Famille Royale de Roumanie le 29 septembre 2018 – Soultzmatt – Site officiel de la commune

Réception en l’honneur de la Famille Royale de Roumanie le 29 septembre 2018
Sa Majesté Margareta de Roumanie, Gardienne de la Couronne, et Son Altesse Royale le Prince Radu seront en visite officielle à Soultzmatt, dans le cadre du Centenaire de la Première Guerre mondiale et de la création de l’État roumain moderne.

 「Sa Majesté Margareta de Roumanie, Gardienne de la Couronne」
 マルガレータ陛下の表記はこうなっています。

 「Sa Majesté」は陛下です。
 「Gardienne(ガルディエンヌ)」は、英語での Guard や Guardian のフランス語(女性形)で、英語の Custodian などに対応するちょうどいい言葉はないのかもしれませんが、これでは王冠を守っている女性警備員と思われるのではないのかという心配が。
※そもそも「Custodian」自体が警備員や清掃員などを連想させるという指摘もありますので、物理的な王冠をイメージさせる「王冠守護者」ではなく、このサイトでは「王位守護者」としています。

 

Familia Regalăさんのツイート: "Vizită regală la Soultzmatt, pentru a onora memoria martirilor români din Primul Război Mondial https://t.co/cPOhSVWAAs… https://t.co/PQplHRiKpV"
https://twitter.com/casamsregelui/status/1046023437322506245

 

Familia Regalăさんのツイート: "Ceremonie la cimitirul martirilor români din Primul Război Mondial https://t.co/bsBLYkJUsk… "
https://twitter.com/casamsregelui/status/1046088906784034817

 

În locul inaugurat de Regele Ferdinand I… – Familia Regala a Romaniei | Facebook

 

Familia Regală a României (@familiaregalaaromaniei) • Instagram photos and videos

 

Familia Regală a României (@familiaregalaaromaniei) • Instagram photos and videos