訃報(2021年8月6日):サピエハ=ロザンスキ公子ヤン・パヴェウ閣下【ジョン・ポール・サピエハ】が薨去(1935~2021)サピエハ家の最年長系統の男系男子

 2021年8月6日、サピエハ=ロザンスキ公子ヤン・パヴェウ閣下(His Serene Highness Prince Jan Paweł Sapieha-Różański)が薨去した模様です。
 1935年8月26日生まれという情報がこれまで出ているものですが、9月26日という可能性も出ています。

 法律上の名前は、英国に移住した時にジョン・ポール・サピエハJohn Paul Sapieha)となったと見られ、またその後にブラジルに移住したときにどうなっているのかは不明です。ただブラジルのポルトガル語系メディアでもジョン・ポール・サビエハと英語式ファーストネームで表記されており(発音はわかりませんが)、変更はないのではないかと思います。

 同公子はリトアニア=ポーランドの名族サピエハ家の最年長系統の男系男子と思われます。
 2回結婚しており、最初の結婚がロンドンでおこなわれ、マイケルMichael)という男子が英国で生まれています。この人物が今後、最年長系統の男系男子ということになるでしょう。
 また2回目の結婚は、(旧)ブラジル帝室ペトロポリス系統の当主の妹であるオルレアン=ブラガンサ公女クリスティーナ殿下が相手で、女子が二人生まれています。次女のパオラ・マリア・ボルボン・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサ・サピエハ公女閣下(Her Serene Highness Princess Paola【Paolla】 Maria Bourbon de Orleans e Bragança Sapieha)は工業デザイナーやモデルなどの仕事を経験し、同じくポーランドの名族シフャトペウク=チェトヴェルチンスキ公子コンスタンティン閣下(ティンコ・チェトヴェルチンスキ)と結婚したようです。同閣下はベルギー貴族に編入されており、パオラ公女もベルギー貴族ということになるでしょう。

 

 (ポーランド語)Jan Paweł Sapieha, cała Polska, 13.08.2021 – pozostałe

誕生(2021年8月3日):ジョアシャン・ミュラ公子殿下。ポンテコルヴォ公夫妻の第一子・長男。ミュラ公の孫。ナポリ王ジョアシャン・ミュラとカロリーヌ・ボナパルトの子孫

 2021年8月3日、ジョアシャン・ミュラ公子殿下(His Highness【His Royal Highness】 Prince Joachim Murat)が誕生したという情報が出ています。

 

 

 この情報によると、ジョアシャン・ジョルジュ・ロラン・ナポレオンJoachim Georges Laurent Napoléon)と名付けられたようです。

 ポンテコルヴォ公ジョアシャン・ミュラ殿下(His Highness【His Royal Highness】 Prince Joachim Murat, Prince of Pontecorvo)とヤスミン妃殿下(Princess Yasmine)の第一子・長男です。
 ポンテコルヴォ公は第8代ミュラ公ジョアシャン・ミュラ殿下の継嗣で、ナポリ王ジョアシャン・ミュラとフランス皇帝ナポレオン1世の妹カロリーヌ・ボナパルトの子孫。
 今回生まれた男子が、将来的に同家の継承者となります。

 

⚠👑🇫🇷 EXCLUSIF : Les photos du prince… – Frederic de Natal | Facebook
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訃報(2021年6月23日):前のトスカナ大公室系ハプスブルク家当主/レオポルド・フランチェスコ【レオポルト・フランツ】大公殿下が薨去(1942~2021)

 2021年6月23日、前のトスカナ大公室系ハプスブルク家当主/レオポルド・フランチェスコレオポルト・フランツ】大公殿下(His Imperial and Royal Highness Archduke Leopoldo FrancescoLeopold Franz】of Austria, Prince Imperial of Austria, Prince Royal of Hungary and Bohemia, Prince os Tuscany)が薨去したようです。
 1942年10月25日生まれの74歳。

 殿下は1984年~1993年までトスカナ大公室系ハプスブルク家当主の座にありましたが、二度目の結婚が貴賤結婚のため、当主の権利を継嗣のジギスムント殿下に譲っています。

※なお、この二度目の貴賤結婚について、(旧)オーストリア帝室の一員としての権利には最終的には影響を及ぼしておらず、帝室の一員およびオーストリア帝位継承順位の中にに留まっている、と見られていました。また、オーストリア帝室の結婚要件緩和により、トスカナ大公室のほうが厳しくなっており、トスカナ大公室をはなれた人物がオーストリア帝室に留まっていると判断できるケースがあります。

 

 (英語)Tuscan high prince Leopoldo Francesco d’Absburgo-Lorena passed away – Diplomat magazine

 

注記:
 トスカナ大公室公式サイトは更新がほぼない上に、 Adobe Flash に依存していたため、どうなるかわかりません。

訃報(2021年6月1日):元カステル=カステル伯子妃アーデルハイト、薨去(1939~2021)

 2021年6月1日、元カステル=カステル伯子妃アーデルハイトアーデルハイト・グレフィン・ツー・カステル=カステルAdelheid Gräfin zu Castell-Castellアーデルハイト・フライイン・ヨルディス・フォン・ローハウゼンAdelheid Freiin Jordis von Lohausen)がザルツブルクで薨去したようです。
 1939年4月22日生まれの82歳。

 (ドイツ語)Trauer: Adelheid Castell-Castell | SN.at

リヒテンシュタイン公子エマヌエル殿下(1978年生まれで公位継承順位第25位の人物か?)が、ルーマニアで巨大熊を撃ったとして問題となっている模様(2021年3月~5月)

 BBC などの報道によりますと、オーストリア在住のプリンス・エマヌエル・フォン・ウント・ツー・リヒテンシュタイン(Prince Emanuel von und zu Liechtenstein)という人物が、ルーマニアで2021年3月に、人里離れた場所にいた巨大熊を撃って殺したとして環境団体から批判を受けているようです。
 ルーマニアでは、人間に危害を及ぼしている/及ぼす可能性のある個体に関しては事前に申請をおこなえばその個体を撃つことは可能のようで、同地では別の熊に関してそのような訴えがなされていたようです。
 記事内からは訴えを悪用して、無許可な趣味の狩猟(トロフィー・ハンティング)がおこなわれた可能性があるように思えます。また、公的機関によって調査がおこなわれているようです。
 この熊は、環境団体などが動向を把握している個体の中では、ルーマニアで一番大きいのみならず、欧州でもっとも大きい熊の一匹(あるいは欧州連合内でもっとも大きい)ではないかということです。

 件のプリンスが誰なのか確定できませんが(リヒテンシュタイン家にはエマヌエルを名前に含む人物が現在でも複数人いるため)、リヒテンシュタイン家の所有する城があるリーガースブルク(Riegersburg)の居住者ということです。
 おそらくは1978年生まれでリヒテンシュタイン公位継承順位第25位のリヒテンシュタイン公子エマヌエル殿下ではないかとみられています。

 リヒテンシュタイン公世子アロイス殿下の「office」(国家元首を代行しているのでどこのことやらまったくわかりませんが)、今回の“私的で個人的な出来事”の背景については把握していないものの、環境保護はリヒテンシュタイン家がもっとも熱心に取り組んでいる問題のひとつだとしています。

 

 (英語)Prince blamed for shooting one of Europe's biggest bears – BBC News
 (英語)Agent Green: A prince from Austria shot the biggest bear in Romania | Romania Insider