訃報(2013年5月8日):シャウムブルク=リッペ公妃(未亡人)エヴァ=ベニタ殿下、薨去(1927~2013)

 報道などによりますと、2013年5月8日、シャウムブルク=リッペ公妃(未亡人)エヴァ=ベニタ殿下(Her Serene Highness Eva-Benita, Prince of Schaumburg-Lippe)が薨去しました。
 1927年11月18日生まれの85歳。

 1955年に(当時の)シャウムブルク=リッペ公世子フィリップ=エルンストと結婚。後にフィリップ=エルンストは公室当主の地位を継承し、二人の間に男子が生まれますが、長男ゲオルク=ヴィルヘルム公世子は事故で亡くなります。
 2003年にフィリップ=エルンスト公は薨去し、次男アレクサンダー殿下が家を継承しました。

 

 (ドイツ語)Fürstin Benita ist tot

 (英語)Royal Musings: Death of the Dowager Princess of Schaumburg-Lippe
 (英語)Royal Musings: Official death announcement for the dowager Princess of Schaumburg-Lippe
 (英語)Royal Musings: The Dowager Princess of Schaumburg-Lippe

訃報(2013年5月4日):バイエルン王女イーディタ殿下、薨去(1924~2013)

 2013年5月4日、(旧)バイエルン王室のバイエルン王女イーディタ殿下(Her Royal Highness Princess Editha of Bavaria : イーディタ・プリンツェッシン・フォン・バイエルンEditha Prinzessin von Bayern)が薨去しました。
 1924年9月16日生まれの88歳。

 

 (英語)Royal Musings: Princess Editha of Bavaria (1924-2013)
 (英語)Royal Musings: Princess Editha of Bavaria's death notice
 (英語)† Princess Editha of Bavaria | Royal Travel and Events
 (英語)Luxarazzi: Cousin of Grand Duke Jean Dies Aged 88

 

訃報(2011年1月4日):イラン皇子アリー=レザー・パフラヴィー殿下、薨去(1966~2011)

 2011年1月4日、パフラヴィー朝・旧イラン帝室のイラン皇子アリー=レザー・パフラヴィー殿下(His Imperial Highness Prince Ali-Reza of Iran)が自殺した模様です。
 1966年4月28日生まれの44歳。

 

CNN:兄のイラン皇太子レザー・パフラヴィー殿下へのインタビュー映像/
Reza Pahlavi(レザー・パフラヴィー公式チャンネル):
Reza Pahlavi Exclusive interview with CNN – YouTube

 

Associated Press(AP通信):
Reza Pahlavi Says Family Has Battled Depression – YouTube

↑と同内容/
Reza Pahlavi(レザー・パフラヴィー公式チャンネル):
Reza Pahlavi of Iran speaks exclusively with Associate Press – YouTube

訃報(2007年4月9日):プロイセン王子ヴィルヘルム=カール殿下が薨去(1922~2007)

 2007年4月9日、プロイセン王子ヴィルヘルム=カール殿下(His Royal Highness Prince Wilhelm-Karl of Prussia : Wilhelm-Karl Prinz von Preußenヴィルヘルム=カール・プリンツ・フォン・プロイセン)が薨去された模様です。
 1922年1月30日生まれの85歳。

 ルター派の聖ヨハネ騎士団ブランデンブルク大管区管長などを務めました。

訃報(2007年3月31日):ウシハ首長デービッド・キダハ・マクワイア、薨去(1922~2007)

 2007年3月31日、現・タンザニア連合共和国内の、ウシハ首長デービッド・キダハ・マクワイア(Chief David Kidaha Makwaia)が薨去した模様です。
 1922年5月7日生まれの84歳。

 1945年にスクマ人(スクマ族)のウシハ首長の地位を継承、50人以上の首長たちから構成されるスクマ人の最高首長となり、タンガニーカ立法会議のアフリカ人の最初の出席者たちの一人となります(立法会議での地位は1958年まで)。
 1953年までに東アフリカでもっとも力のある首長の一人となり、タンガニーカ総督“サー”・エドワード・トワイニング(Sir Edward Twining : のちに一代貴族のトワイニング男爵 : 総督任期:1949~1958)とも親交を深め、いくつかの公的な地位を得ています。
 1953年の英国女王エリザベス2世陛下の戴冠式の賓客。
 1954年に植民地政府で働くために、ウシハ首長の地位を弟フセインに譲る。
 この頃、キリスト教のローマ・カトリックに改宗し、デービッドとポウルという名前(洗礼名?)を自分に加え、以後デービッド・キダハ・マクワイアと呼ばれるようになる。
 1961年にタンガニーカは独立。彼とも親交のあったジュリウス・ニエレレ首相は首長の社会的指導者の地位を廃止して、彼と弟フセイン首長を遠い地区へ追放した。
 2005年に弟のフセイン首長が薨去し、ウシハ首長に復位。子息二人が生存しているようで、ウシハ首長位を継承する可能性あり。