映像(英語):英国王チャールズ3世陛下の即位後初の演説(2022年9月)長男のウィリアム王子殿下はウェールズ公に叙される

 英国王チャールズ3世陛下(Charles III : His Majesty The King)の即位後初となる演説の動画が配信されています。

 

The Royal Family(英国王室 公式チャンネル):
The King's address to the Nation and the Commonwealth – YouTube

 

 印象的な内容ですが、その中で、長男のウィリアム王子殿下をウェールズ公(プリンス・オブ・ウェールズ : Prince of Wales)に叙したことが明らかにされています(07:00あたりからウィリアム王子の称号の話)。
 ウェールズ公に即座に叙すことは予想されてはおらず、やや驚きの声もあります。
 ともあれこれにより、ケンブリッジ公爵 → コーンウォール・ケンブリッジ公爵 と表記の変わっていたウィリアム王子殿下夫妻の称号は、ウェールズ公・ウェールズ公妃の表記となります。

訃報(2022年9月8日):英国女王エリザベス2世陛下が崩御(1926~2022)チャールズ3世が即位

 2022年9月8日、英国女王エリザベス2世陛下(Elizabeth II : Her Majesty The Queen)の崩御が発表されました。
 1926年4月21日生まれの96歳。

 崩御に伴い、長男で継嗣のチャールズ皇太子殿下が自動的に即位、 BBC は統治名がチャールズ3世Charles III)に決定したことを報じており(統治名は君主が自由に決定するものであり、チャールズをこれまで名乗りとしていてもそのまま統治名にするかは別問題でした)、デンマーク王室などはチャールズ3世名宛てに弔意を表明しています。
 また英国王室公式サイトではチャールズ3世の妻の称号は Queen Consort (配偶者であるクイーン=王妃)と言及されており、いろいろありましたが、これを使用していくのではないかと思います( Consort は省略される可能性もありますが……)。日本語ではカミラ王妃と言及されるでしょう。
 君主の最年長の男子で継嗣である人物が自動的に叙爵されるコーンウォール公爵(およびスコットランドでのロスシー公爵・キャリック伯爵)の称号が、ウィリアム王子殿下夫妻の称号に加わります。一方、ウェールズ公(およびチェスター伯爵)の称号は明示的に叙されなければなりません。おそらくですが、日本の外務省および日本のメディアは(ウェールズ公の称号は関係なく)すでにこれからウィリアム皇太子キャサリン皇太子妃と呼んでいくのではないでしょうか。
関連:
 映像(英語):英国王チャールズ3世陛下の即位後初の演説(2022年9月)長男のウィリアム王子殿下はウェールズ公に叙される

 そして、女王の夫の故フィリップ王子殿下が叙され、チャールズ陛下が継承していた第三次エディンバラ公爵の称号は、即位に伴い王位に統合され、なくなりました。

 男系では、エリザベス2世は、エルネスティン系ヴェッティン家 → ザクセン=コーブルク=ゴータ家でしたが、チャールズ3世は父方から、オルデンブルク家 → グリュックスブルク家となります。家名は変更の発表などなければ(ないでしょうが)ウィンザー家のままです(これは姓のマウントバッテン=ウィンザーの件とは別に決定されるものです)。
 デンマークとノルウェーの君主も現在グリュックスブルク男系ですが、デンマークは女王、ノルウェーも次の次は女王と、男系は切り替わることになり、チャールズ3世の孫までは男子の継承順位が高い英国がグリュックスブルクの最後の君主を輩出することになるのではないでしょうか。
 また、この件に関連して、父の故フィリップ王子殿下の(旧)ギリシャ王室(デンマーク王室分家)に関連する権利は放棄されていないという見解から、チャールズ3世陛下及び弟とその男系子孫は、ギリシャ王子/王女、デンマーク王子/王女を称することが可能、とみる向きもありますが、理屈はともかく現実に称することはないでしょう。

続きを読む 訃報(2022年9月8日):英国女王エリザベス2世陛下が崩御(1926~2022)チャールズ3世が即位

結婚(2022年9月3日):ヨルダンのガジ・ビン・ムハンマド王子殿下が、タルノヴォ公妃(未亡人)/ブルガリア王子妃ミリアム殿下と結婚

 2022年9月3日、ヨルダン王の いとこ ガジ・ビン・ムハンマド・ビン・タラール王子殿下(His Royal Highness Prince Ghazi bin Muhammad bin Talal)が、(旧)ブルガリア王室のタルノヴォ公妃(未亡人)/ブルガリア王子妃ミリアム殿下(Her Royal Highness Princess Miriam of Bulgaria, Princess of Tarnovo, Princess of Saxe-Coburg and Gotha, Duchess in Saxony)と結婚したようです。

 ガジ王子は一度離婚を経験しています。

 ミリアム妃殿下はスペイン出身で、貴族の家柄です(細かいことはあまり説明されてませんが……)。
 ブルガリア王室継嗣だった故・タルノヴォ公カルダム王子殿下の未亡人です。

 

 (英語)Jordan News Agency (Petra) | Prince Ghazi weds Princess Miriam

 (英語:シメオン2世王 公式サイト)ON 3 SEPTEMBER 2022, IN THE CITY OF AMMAN, IN THE PRESENCE OF THE KING OF THE HASHEMITE KINGDOM OF JORDAN, ABDULLAH II, HER ROYAL HIGHNESS PRINCESS MIRIAM MARRIED HIS ROYAL HIGHNESS PRINCE GHAZI BIN MUHAMMAD « H.M. King Simeon II

 

 ヨルダンの報道では、
 ヨルダン・ハシェミット王国国王アブドッラー2世・イブン・アル・フセイン陛下(アブドゥッラー2世アブドラ国王 : King Abdullah II bin Al-Hussein : His Majesty the King of the Hashemite Kingdom of Jordan)、
 国王の叔父の元ヨルダン皇太子/エル・ハッサン・ビン・タラール王子殿下(His Royal Highness Prince El Hassan bin Talal)、
 新郎の兄のタラール・ビン・ムハンマド王子殿下(His Royal Highness Prince Talal bin Muhammad)、
 が結婚式に参列しています。
 また、ミリアム妃殿下の結婚後の表記として、 Princess Miriam Ghazi (ミリアム・ガジ王子妃)となっています。

 一方、旧ブルガリア王シメオン2世陛下の公式サイトでは、上記の情報の他、ガジ王子の経歴や、ブルガリア王室との関連なども述べられているほか、ミリアム妃殿下が東方正教会(ブルガリア正教会)の信徒であり続けることも書かれています。
 これが今後も妃殿下がブルガリア関連の式典や礼拝に臨席することを示しているのかどうかは不明ですが、少なくとも結婚式にブルガリア王室側からの参列者はいないようです。

※故カルダム殿下とミリアム妃殿下の子供のボリス殿下が将来的なブルガリア王室当主です。

訃報(2022年7月24日):ソニア・デ・モラレス・デ・ボルボン=ドス・シシリアス閣下が薨去(1969~2022)スペイン王フェリペ6世陛下らが葬儀に参列

 2022年7月24日、ソニア・デ・モラレス・デ・ボルボン=ドス・シシリアス閣下(The Most Illustrious Sonia de Morales de Borbón-Dos Sicilias)が薨去しました。
 1969年12月9日生まれの52歳で、死因は明らかにされていません。

 母親がカラブリア系統のブルボン=両シチリア王女イネス殿下で、スペイン王室の近親となります(近親の数が膨大ですが)。

※なお、イネス殿下がスペインでのグランデになっているらしいので、グランデの継嗣以外の敬称(The Most Illustrious)を使用しました。

 葬儀にはスペイン王フェリペ6世陛下、スペイン王女エレナ殿下らが参列したようです。

 

España Diario:
⚫ LUTO EN LA CASA REAL por la INESPERADA MUERTE de Sonia Morales: El rey Felipe VI, ROTO – YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=yGcWWlqsj5Y

 

 (スペイン語)Luto en la familia real: muere Sonia de Morales de Borbón-Dos Sicilias, prima de Felipe VI
 (スペイン語)La infanta Elena se reencuentra con su hermano, el rey Felipe, en el funeral de su prima Sonia de Borbón

逃亡中のルーマニア王カロル2世男系孫パウル・フィリップ・アル・ロムニエイ氏(“ルーマニア王子パウル殿下”)がフランスで身柄を拘束された模様(2022年6月)

 バネアサ農園事件などに伴い、3年4ヶ月の実刑判決が出、ルーマニアから逃亡していたパウル・フィリップ・アル・ロムニエイ氏(Paul Philippe al României)ですが、2022年6月27日にフランス共和国のパリで身柄を拘束された模様です。
 判決から拘束まで一年半がかかりました。

 ルーマニア本国への送還がおこなわれると思われます。

 

 (ルーマニア語)Prinţul Paul al României, dat în urmărire internaţională, a fost prins la Paris

Antena 3:
Prinţul Paul al României, dat în urmărire internaţională, a fost prins la Paris – YouTube

 

Antena 3:
Cum poate scăpa Prinţul Paul de închisoare în România. Scenariile avocaţilor – YouTube

 

 (ルーマニア語)Paul al României a fost prins în Franța. Pentru ce fusese condamnat

Wall-Street.ro – El fusese condamnat la 3 ani și 4 luni… | Facebook