ウガンダ伝統的君主:ブガンダ王ロナルド・ムウェンダ・ムテビ2世陛下を支持する若者らが暴動を起こす(2009年9月)

 ウガンダ共和国の伝統的君主/ブガンダ王ロナルド・ムウェンダ・ムテビ2世陛下(His Majesty Ronald Muwenda Mutebi II, Kabaka【King】 of Buganda)を支持する若者らが、ウガンダ共和国の首都カンパラで暴動を起こしました。
 これは、同共和国のカユンガ県が、ブガンダ王国から離脱を表明した(らしい)ことに際し、ブガンダ王が同地を訪問しようとしたところ、ウガンダ共和国大統領ヨウェリ・カグタ・ムセベニ閣下(ムセヴェニ大統領 : His Excellency Mr Yoweri Kaguta Museveni)がこれを妨害したことによる、反政権を目的としたもののようです。

 

 (英語)BBC News – King's supporters riot in Uganda
 (英語)BBC News – Kampala hit by renewed violence
 (英語)Background to the Crisis in Kayunga | Buganda Emergency Response Committee | Friday, September 11th, 2009

 

Al Jazeera English(アルジャジーラ英語版):
Ugandan ethnic tension rises – 12 Sep 09 – YouTube

「ウガンダ政府はブガンダ王国を分割しようとしているが、私たちブガンダ人はひとつだ!」

誕生(2007年4月18日):レソト王室にレロトリ・セーイソ王子殿下が誕生。レソト王レツィエ3世陛下の第三子・長男

 2007年4月18日、レソト王レツィエ3世陛下(His Majesty King Letsie III)とレソト王妃マセナテ陛下(Her Majesty Queen ‘Masenate)の第三子・長男となるレロトリ・セーイソ王子殿下(His Royal Highness Prince Lerotholi Seeiso)が誕生した模様。

 全名はレロトリ・モハト・ベレン・セーイソLerotholi Mohato Bereng Seeiso)のようです。

訃報(2007年3月31日):ウシハ首長デービッド・キダハ・マクワイア、薨去(1922~2007)

 2007年3月31日、現・タンザニア連合共和国内の、ウシハ首長デービッド・キダハ・マクワイア(Chief David Kidaha Makwaia)が薨去した模様です。
 1922年5月7日生まれの84歳。

 1945年にスクマ人(スクマ族)のウシハ首長の地位を継承、50人以上の首長たちから構成されるスクマ人の最高首長となり、タンガニーカ立法会議のアフリカ人の最初の出席者たちの一人となります(立法会議での地位は1958年まで)。
 1953年までに東アフリカでもっとも力のある首長の一人となり、タンガニーカ総督“サー”・エドワード・トワイニング(Sir Edward Twining : のちに一代貴族のトワイニング男爵 : 総督任期:1949~1958)とも親交を深め、いくつかの公的な地位を得ています。
 1953年の英国女王エリザベス2世陛下の戴冠式の賓客。
 1954年に植民地政府で働くために、ウシハ首長の地位を弟フセインに譲る。
 この頃、キリスト教のローマ・カトリックに改宗し、デービッドとポウルという名前(洗礼名?)を自分に加え、以後デービッド・キダハ・マクワイアと呼ばれるようになる。
 1961年にタンガニーカは独立。彼とも親交のあったジュリウス・ニエレレ首相は首長の社会的指導者の地位を廃止して、彼と弟フセイン首長を遠い地区へ追放した。
 2005年に弟のフセイン首長が薨去し、ウシハ首長に復位。子息二人が生存しているようで、ウシハ首長位を継承する可能性あり。

 

誕生(2007年2月28日):モロッコの“ララ”・カディジャ王女殿下

 2007年2月28日、モロッコ王国のモロッコ王モハメッド6世陛下(ムハンマド6世 : モハメド6世 : His Majesty King Mohammed VI of Morocco)と“ララ”・サルマ妃殿下(Her Royal Highness Princess Lalla Salma)の間の第二子・長女となる“ララ”・カディジャ王女殿下(Her Royal Highness Princess Lalla Khadija)が誕生されたとのことです。

 

訃報(2007年2月11日?):旧ブルンジ王妃バランパライェ陛下、崩御か(?~2007)

 2007年2月11日頃、旧ブルンジ王国のブルンジ王妃バランパライェ陛下(Queen Baramparaye)が崩御されたとの情報が入っています。

 ブルンジ王ムワンブツァ4世(King Mwambutsa IV of Burundi)の王妃で、ブルンジ王ンタレ5世(King Ntare V of Burundi)の母とされています。