※すでにリンクした記事に書かれていることと重複してはいますが、動画があったので、それへのリンクを貼り付けつつ、いくつか追加の話題を。
南アフリカ共和国のロベドゥ王室評議会(Royal Council)が、ロベドゥ人の君主であるモジャジ(Modjadji)または雨の女王(Rain Queen)に、レクケラ・モジャジ王子(Prince Lekukela Modjadji)を選出した件ですが、王室評議会の広報がコメントしています(動画一人目)。
要するに、「王でも問題ない」ということです。
過去に六人の王がいたが全員雨を降らすことが出来た、と。
ここで気になる映像ですが、石かなにかにプリントされた文字が、モジャジ王朝に六人の王と六人の女王がいたと示しています。
※映像を見て手で打ったので間違っている箇所があるかもしれません。また、そもそも、各王・女王には異なる表記が存在する人物がいます。
KINGS OF THE MODJADJI DYNASTY
MAKAPHIMO KHUMELONG
MOHALE TLATŠA (DZATHA)
MALATJA TLATŠA
PHETOLE TLATŠA
KHEALE LEBJENG
MOKOTO MOJIDINIQUEENS OF THE MODJADJI DYNASTY
MODJADJI I (MASELEKWANE) 1800-1854 MOJIDINI
MODJADJI II (MASALANABO) 1854-1894 MOJIDINI
MODJADJI III (KHESETHWANE) 1894-1959 MOJIDINI
MODJADJI IV (MAKOMA) 1960-1981 KHEHLAKONI
MODJADJI V (MOKOPE) 1982-2001 KHEHLAKONI
MODJADJI VI (MAKOBO) 2001-2005 KHEHLAKONI
モジャジ(Modjadji)は女王を示す称号のはずですが、先行する王を含めての王朝名になっています。うーん……。
ただ、もともとのモジャジという単語自体には性を示す意味はないとの話もあります。
六人の王には年代表記はありませんが、広報の話によれば、六人の王は1600年~1800年を統治しており、つまり200年の男王六人の統治の後に200年ほどの女王六人の統治があったということになります。
あと、それぞれの最後の文字列はなんなのかということが気になります。
地名と同じものもあるようですが……。
最後の王は最初の女王の父であるはずなので、男系を示しているのかもしれません。
過去に、六人の王の子孫が王族と認めるよう南アフリカ共和国政府に要求したという出来事があったらしいですが、その人物たちがどの王と関係あるのかという点も気になります(ほんの少しですけど)。
続いて文化の専門家が、王室評議会の決定は絶対である、というようなことをコメントしている、と思います。
ただ、そもそもこの王室評議会は、どんな人間がどのような理由で構成しているのか、まったくわからないので、誰かそこを説明してくれないと納得のしようがありません。
続いて現地の人たちのコメントですが、最初の女性は「話し合うべき」というような内容。
次の若い男性は、マサラナボ王女は地元にいない、レクケラ王子は地元にいる、ということで王子の選出を支持しているようです。
最後の男性は、王子でも儀式には問題ないとしています。
これだけだと、現地では王子支持派が多数ではないかと思えますが……。
ともあれ、少なくとも王室評議会が地元民の感覚と完全に乖離しているわけではないようです。
(どこまでが地元かという問題もありますけど)
あと、ここで重要なことが一つあります。
若い男性がいっている、マサラナボ王女が地元にいないというのは、今いないという意味ではなく、将来も地元に住むことがなさそうと思われているのではないかということです。
マサラナボ王女は南アフリカ共和国与党のアフリカ民族会議(ANC)の議員のもとで地元を離れて養育されており、数年前の報道によれば医師を目指しているとのことです。
現在16歳の同王女が医師になるにはこれからさらに10年程度はかかるでしょう。そうなると今後10年は地元に住まないことになり、さらにその後も医師になった王女が地元に戻るのかどうかも見通せません。
そもそも医師のような専門的職業を目指す人物は、別に女王になりたくないんじゃないの、という疑問もわきます。
関連:
(インデックス)(2021年)南アフリカ伝統的君主:ロベドゥ人の君主モジャジ(雨の女王)にレクケラ王子殿下が選出された件に関する記事