訃報(2017年12月16日):“アラウカニア・パタゴニア王国”の“アントワーヌ4世公殿下”が“薨去”(1942~2017)

 19世紀に現在のアルゼンチンとチリのあたりに建国したかった“アラウカニア・パタゴニア王国”の現在の代表者であった“アントワーヌ4世公殿下(His Royal Highness Prince Antoine IV : サン・ペドロ・デ・フエイウスコ公爵 : Duke of San Pedro de Hueyusco : ジャン=ミシェル・パラシリティ・ディ・パラJean-Michel Parasiliti di Para)”が2017年12月16日に“薨去”した模様。
 1942年3月26日生まれの75歳。

 子息がおられるようですが、継承するのか、または後継者を評議会で選出するのか、そのあたりはよくわかりません。

 

 (フランス語)Dordogne : le prince d’Araucanie Antoine IV est décédé – Sud Ouest.fr

 

追記1:
 未亡人シェイラ=ラニSheila-Rani)が摂政になったとの情報がありますが、未確認。
追記1-1:
 君主の未亡人が摂政を務めるとの原則が確認されています。
 (フランス語)Microsoft Word – communique2017.12a.doc

 

追記2:
 対立していたスタニスラス1世が弔意を表明。
 (フランス語)Communiqué de presse de S.A.R. le Prince Stanislas d' Araucanie. – Royaume d'Araucanie et de Patagonie.
 また、スタニスラス1世は当然“アントワーヌ4世”を認めていませんが、アントワーヌ4世がその継承より前に叙爵されていた爵位は認めているようで、長男がサン・ペドロ・デ・フエイウスコ公爵、次男が次のランクの爵位を受け継ぐ前提のような文章があります。

※スタニスラス1世はフランス王ジャン2世の子孫を称しており、系譜の情報も出回っています。

 

追記3:
 スラニスラス1世とは別にアントワーヌ4世と対立していたフランソワ・ドゥ・ラ・ガルド氏(François de La Gardeフィリップ・オルリーPhilippe Orllie)がコメント記事を発表(スタニスラス1世との関係は不明瞭で、スタニスラス1世側からは対立者ではなく離脱者とみなされているようにもとれます)。
 (フランス語)Jean-Michel Parasiliti di Para n’est plus | Araucanie Info
 どうやらアントワーヌ4世に宥和と対話を求めていたようですが、かなわなくなりました。
 ドゥ・ラ・ガルド氏は、プリンスなどの称号を称しておらず、先代(三者にとって先代のフィリップ1世=フィリップ・ボワリー)と始祖から取ったのかフィリップ・オルリーという名乗りも使っているようです(オルリーのつづりが一般と違うのはなぜなのかよくわかりませんが……)。